Chapter 7. True Eyes (真実の目) 2



 編みものをする、器用な白い指先が見えた。


「――ルース。何を見ているの?」


 そばかすの浮いた顔に、淡い茶色の三つ編み。優しい笑顔。


「姉さん、器用だなあって思ったの」


「ふふ、ありがとう」


「あたしも姉さんみたいに、器用になりたかったな。編み物しても悲惨だもの」


 姉のキャスリーンは手を止め、首を振った。


「良いじゃない。ルースは代わりに歌が上手だわ。一座の次の歌い手は、きっとあなただってみんな言っているもの」


「うーん。でも、ママに比べたら全然よ。せいぜいコーラスぐらいが限界」


 謙遜しつつも、実のところルースは歌声に自信を持っていた。エレンの歌声に上手にハーモニーを載せることができると、みんなが褒めてくれるから。


「羨ましいわ。ルースは舞台映えするもの」


 キャスリーンは短く告げて、顔を伏せてまた編み物に戻ってしまった。


 話題が途切れてしまったので、ルースは先ほど仕入れたばかりの情報を口にする。


「そういえば姉さん。移民するって話、聞いた?」


「ええ……。反対意見も多いみたいだけど、父さんは、やる気ね。抜ける人も多くなるかも」


「そう――」


 大人数で賑やかなウィンドワード一座。核となるのはウィンドワード一家だったが、他にも色々な芸を持った者たちが集う旅芸人一座だった。


「誰かが抜けるのは、淋しいね」


「そうね」


 ようやくキャスリーンは顔を上げ、淋しげに微笑んだ。


 キャスリーンも移民に反対する一人だったと聞いたのは、それからずっと後のことだった。




 懐かしい夢を見た後の目覚めは、気だるくてたまらない。


(そういえば……昔の姉さんて、ああいう感じだったのよね。いつから、光り輝く歌姫になったんだっけ。こっちに来てから……?)


 今日も、頭が痛い。寝ても、ましにはならなかったらしい。


 ジョナサンはもう起きてしまったようで、隣のベッドは空になっていた。のろのろと着替え、ルースも部屋の外に出る。


 食堂を覗くと、フェリックスとジョナサンとトゥルー・アイズが卓を囲んでいた。


「ルース、おはよう。よく寝てたから、起こさなかったんだ」


 立ち上がったフェリックスがにこやかに笑いながら椅子を引いてくれたが、ルースは笑顔にはなれなかった。


「……どうしたんだ?」


「――別に」


 ルースは素っ気なく答えて、椅子に座った。


 食事中、ルースが終始黙り込んでしまっているので、フェリックスもジョナサンも戸惑っているようだった。


 時折話題を振られてもルースは生返事してしまい、会話はちっとも弾まなかった。


「さて、食事も終わったことだし治療といきますか……。トゥルー、任せたぞ」


「ああ」


 フェリックスが頼むとトゥルー・アイズは立ち上がり、ルースにも立つよう促した。


「どこで治療するの?」


「宿の部屋だ。人目のあるところではできない」


 元々なのだろうが、今のルース以上の素っ気ない口調に面食らいつつ、ルースはトゥルー・アイズの背を追った。




 一室に入って向かい合った途端、トゥルー・アイズは真っ向から告げてきた。


「言いたいことがあるなら、言えば良い」


 ルースはぐっと唇を噛んで、トゥルー・アイズを見上げた。


「あたし、昨夜……フェリックスとあなたの会話を聞いたわ。あたしの記憶を失くしたのは、あなた?」


 言った後に、激しい後悔が冷や汗となって背中を伝い落ちた。


「――そうだ」


 トゥルー・アイズは、ためらいなく肯定した。


「どうして」


「お前が望んだからだ」


 彼が嘘をついているとは、思えなかった。けれども自分から望んで記憶を失くしたなんて、納得できる話ではなかった。


「わからないわ……。あたしが、どうして……そんなことをしたのか」


「わかるはずもない。記憶は人間を形作るものの一つだ。つまり、それを失った後のお前と、失う前のお前は違う人間みたいなものだ」


 昨夜、立ち聞きで耳にしたことを繰り返し言われ、ルースは青ざめてうつむいた。


「あなたは、あたしの頭痛を治めてくれるのよね。また、記憶を消すの?」


 呆れたような息の音が聞こえて顔を上げると、トゥルー・アイズが顔をしかめていた。


「反対だ。フェリックスが施した術を解く」


 すっとトゥルー・アイズは近づき、ルースの額に手を当てた。


「勘違いするな。私は頼まれたから、お前の記憶を消したのだ」


「――そう」


 しかし、わからない。どうして自分が忘れたいと思ったのか。


 辛いことがあったとして、自分は記憶を消さねば生きていけないほど弱かっただろうか。


「待って、ちょっと待って。あなたはどうして、記憶を操作できたりするの?」


 ルースは身を引いて、トゥルー・アイズの手から離れた。


 頑ななルースに呆れたのか、トゥルー・アイズは肩をすくめてベッドに腰かけた。


「私はレネ族という部族だ。聞いたことはないと思うが――」


 ルースは首をひねった。先住民の主要な部族はいくつか聞いたことがあるが、レネ族という呼称は初めて聞くものだった。


「我らは隠れて生きる部族だ。おそらく、これからも聞くことはないだろう」


 ルースの怪訝な表情を気にせず、トゥルー・アイズは続けた。


「我らには、重要な通過儀礼がある。その通過儀礼の際に、一切の記憶を失くさせる。詳細は省くが、この儀礼のためにこの術が生み出された」


「……そう。あなたは、それができるのね。その、儀礼に使う術が」


「ああ。本来、これは部族以外の者に使ってはならないのだが」


 禁忌を侵してまで、ルースの記憶を消してくれたことを聞いてルースは驚いた。


「どうして、あなたたちの部族は隠れて生きるの?」


「我らは数が少なく、力弱き一族だからだ。……さあ」


 立ち上がったトゥルー・アイズに促され、ようやっとルースは大人しく目を閉じる。額に触れられた手は、温かだった。陽だまりのような温みを感じた後、ルースは目を開けた。


「フェリックスは、レネ族ではない。私の使った手法を用いても、完全には消去できなかった。だから異常として残ったのだ。今、その記憶が戻るだろう」


 トゥルー・アイズの言った通りに、映像が次々と脳裏に浮かび上がった。


 血走った目の牧師。突然現れた一番目のマリア――クレア。牧師に向かって放たれた銃弾。


 ふらついたルースを、トゥルー・アイズが腕で支えた。


「大丈夫か?」


「ああ――そうだったのね」


 一夜の記憶を取り戻したことで、牧師の失踪やクレアの怪我の原因がようやくわかって全てが腑に落ちた。


「以前も、お前の記憶を失くすため、私の元へ連れてきたのはフェリックスだ。何か聞きたいなら、あいつに聞いた方が良い」


 トゥルー・アイズはそう言い残して、一人で出ていってしまった。


 ルースはしばらくそのまま佇んでいたが、意を決して歩き出した。




 食堂に戻ると、フェリックスとジョナサンが心配そうにルースを見てきた。トゥルー・アイズは、涼しい顔でコーヒーを飲んでいる。


 ルースはフェリックスに何か言おうと開いた口を、すぐに閉じてしまった。


(――止めた)


 本当は、聞きたかった。自分が忘れたがった理由。しかし――他でもない自分が記憶を消すと望んだ、という点が気になる。フェリックスは、それを手伝っただけかもしれない。彼に聞いて答えが得られるとは限らないのに、わざわざ事を荒立てるのも嫌だった。


 それに、まだひどく混乱していた。


「気分はどうだ? まだ痛むか?」


「……いいえ」


 フェリックスの問いかけにルースはかろうじて笑って応じ、席に着いた。


「――兄弟」


 突如、トゥルー・アイズが口を開いた。


「何だ?」


「実は私からも、頼みがある。聞いてはもらえないか?」


「ああ、もちろんだ。何でも言ってくれ」


 フェリックスが気安く請け負うと、トゥルー・アイズは淡々とした様子で説明を始めた。


「ここに着いて、仲間から相談を受けたんだが――。お前も知っての通り、ここでは、おおむね平等な取引が行われている。だが最近、強欲な商人が現れたらしい。皆、迷惑している。私共の話は聞かないのだ」


「なるほど。そいつを懲らしめりゃ良いんだな? 任せろ。俺、そういうの得意だから」


 前のサルーンでの喧嘩といい、フェリックスは優男めいた風貌に似合わず荒っぽいことが得意のようだ。用心棒稼業をやっているせいも、あるのだろうが。


「場所は案内しよう。……出発が遅れてしまうだろうか」


 ふとトゥルー・アイズは、ルースとジョナサンを見やった。無表情なのでわかりにくいが、どうやら気遣ってくれているらしい。


「あ、あたしは大丈夫です。フェリックス、手伝ってあげて」


 ルースが素早く言うと、フェリックスがにこにこして頷いた。


「とまあ、俺の主人も言ってるし。気にするな」


「主人? この子が、お前の主人なのか」


「正確に言えば、この子のパパさんだけどー。ルースが主人て言う方が響きがやらし……」


 フェリックスが言い終える前に、ルースの拳が彼の鳩尾に見事炸裂した。


「何をやっている」


 フェリックスの咳き込みと、トゥルー・アイズの冷静な突っ込みが空々しく響く。


「じゃあ、そうと決まったら早速行ってこよう。ルースとジョナサンは悪いけど、ここで留守番……」


「いや、連れていった方が良いだろう。ここの治安は良いわけではないし、子供は目立ってしまう」


 トゥルー・アイズの助言を受け、それなら連れていこうとフェリックスは頷いた。


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