Chapter 7. True Eyes (真実の目)


 目覚めたルースは、自分が馬の背に座って揺られていることに気づいた。一人で乗っているのではない。後ろから誰かに抱えられている。


「フェリックス……?」


「ルース。目が覚めたか」


 蹄の音に紛れて、二人は会話を交わした。


「ここはどこ? ジョナサンは?」


「ジョナサンなら横だ」


 見れば、ジョナサンはポニーをとことこ走らせている。


「待ち合わせの町に行くのよね」


「ああ。だがその前に、寄り道したいんだ。構わないか?」


「――構うわ」


 家族と、一刻も早く合流したい気持ちが強かった。


「そう言わずに。お前の頭痛を、治してやりたいんだ」


 ルースは思わずフェリックスを振り返ろうとしたが、バランスを崩しそうになって慌てて馬のたてがみにしがみついた。迷惑そうに、馬がいななく。


「フェリックス、どういうことよ。あたしの頭痛を治すって?」


「心当たりが、あるんだ」


 フェリックスはそれだけ言って、黙りこんでしまった。


 この男は、秘密が多すぎる。悪魔祓いだったことだって、今まで頑なに隠していた。――面白くない。


「フェリックス!」


「ルース、じっとしてて。飛ばすぞ、ジョナサン!」


 荒々しい風が頬を撫で、あおられた髪が視界をふさぐ。ようやっと髪を退けたときに、眼前に広がっていたのは小さな町だった。いや、村と言った方が近いかもしれない。


 村に近づくと、簡素な造りの小屋や天幕がいくつも並んでいる光景が目に入った。そしてルースは、きょとんとする。


 赤褐色の肌と黒い髪。頭に羽飾りを付け、見慣れない民族衣装に身を包んだ人々は――。


「先住民の、ひと……?」


 もちろん、こちらに来てから接したことはあったが、ここまでたくさんの先住民を見るのは初めてかもしれない。


「ああ。ここは、先住民と移民の交易所なんだ」


 フェリックスは微笑み、馬を止めて降り立った。ルースもおっかなびっくり降りようとするとあぶみから足を滑らせてしまい、フェリックスに抱きとめられる形になった。


「悪いな。すぐに、家族にも会えるようにするから。ちょっとだけ、ここで治療していってくれ」


「ええ……わかったわ」


 フェリックスの真摯な様子に圧倒されながらも、ルースは頷いた。




 フェリックスは馬を外につないでから、二人をサルーンに案内した。こういったところにもサルーンがあるのか、と感心する。もっとも、普通のサルーンとは違い天幕だったが。


「よう、呼び出しちまって悪いな」


 フェリックスがにこやかに笑って近づいた席には、先住民の青年が座っていた。


 すらりとしたしなやかな体躯に、艶やかで長い黒髪。簡素な民族衣装がその身を包む。しかしどの特徴よりも、その目に惹きつけられた。


 黒く、澄んだ眼。彼は真っ直ぐに、こちらを見据えていた。鋭くはない。ただ、突き抜けるほど透徹な視線だった。


「兄弟。久しいな」


 青年は親しげな笑みを浮かべて、フェリックスに応じた。


「ああ。元気だったか」


 青年は、こくりと頷いた。


 兄弟とは、どういうことだろう……と首をひねるルースとジョナサンを、フェリックスが振り返った。


「こちら、ウィンドワード姉弟だ。ルースにジョナサン」


「……ああ」


 青年はルースを見るとき、少しだけ眉を上げた。


(どうしてかしら……。また頭痛がするわ)


 見たことなんてないはずなのに、この青年を知っているような気がする。


「はじめまして」


 青年は強調するようにして、淀みない発音で挨拶を始めた。


「私は……」


 告げられた名前らしき発音が聞き取れず、ルースとジョナサンが顔を見合わせると、青年は気を悪くした様子も見せずに淡々と言い直した。


「お前たちの言葉で、“トゥルー・アイズ”という名前だ」


「トゥルー・アイズ……」


 ああ、とルースは納得する。本当に、真実を見透かすような目をしていたからだ。


「俺の兄弟だ」


 フェリックスから肩を叩いて紹介されて驚いたものの、二人の互いに信頼し合っているような様子を見て、ルースは疑問を引っ込めた。


「あなたが、あたしの頭痛を治してくれるの?」


「――そうだ」


 トゥルー・アイズは、迷いなく頷いていた。




 治療は明日だと言われ、宿で一休みすることにした。いつも通り、ルースはジョナサンと同じ部屋だった。


「静かなところね」


 うつらうつらするジョナサンに語りかけたが、ジョナサンからの返事はなかった。


 フェリックス曰く、ここは秘された交易所だという。連邦政府の検閲から隠れており、法に制限されているものも取引できるらしい。


 道理で、人が少ないはずだ。天幕が多いのも、いつでも移動できるようにだろう。


 ルースはジョナサンが何やら寝言を口走るのを聞いて、思わず微笑む。


(そういえば、ジョナサンは知っていたようだわ)


 フェリックスが悪魔祓いだということ。数々の不審な行動も、それを隠すためだったのだと思えば納得がいく。


 どうして、そんなにも隠したかったのか。また、頭がひどく痛み出す。


 外気に当たればましになるかもしれないと考え、ルースはそっと身を起こしてベッドから足を下ろした。




 外に出る前に、話し声に気づいてルースは足を止めた。廊下に設えられた窓が若干開いており、そこから漏れ聞こえているようだった。


 宿から少し離れた岩に座って話しているのは、フェリックスとトゥルー・アイズだった。


「……あれって副作用なのか? 普通でも起きることか?」


「いや、私たちが儀礼で使う際には起きないことだ」


 一体何の話かもわからないまま、ルースは息をひそめて耳をそばだてた。


「儀礼の際は、ほとんどの記憶を消去してまっさらな状態にする。だが彼女の場合は……」


「そうか、一部の……特定の記憶だけだからか」


「そういうことだ」


 ルースはハッとした。記憶という言葉が引っかかる。まさに、彼らは自分のことを話しているのではないか?


「悪魔祓いだと、ばれたそうだな」


「いやー、頑張って隠してたんだけどさ。どうしても無理な事態になりまして」


 フェリックスはおどけたように言って、次に弱々しく息をついた。


「前にも、ばれたことはあるんだ。現場を見られた」


「それで、どうした?」


「お前に習った通りの手順で、それを忘れさせた。だが、今思えばルースが頭痛を訴え出したのはそのせいかもしれない。素人が、やるもんじゃないな」


 今度はトゥルー・アイズが、ため息をつく番だった。


「なるほど。ならばもう、お前が悪魔祓いであることを忘れさせるのは止めた方が良い。これから露呈ろていする度に繰り返していては、あの娘の体にも悪いだろう」


「了解。肝心の記憶を取り戻したりは、しないよな?」


 フェリックスの問いに、トゥルー・アイズは自信に満ちた様子で、首を縦に振った。


「あれは、消したのだ。取り戻せるものではない」


 ルースは血の気が引くのを覚えた。


(あたしは忘れてるんじゃなくて……記憶を消されてるってこと……?)


「本人の意志により、消したものだ。たとえ本人が望んだとしても、帰ってはこない。たとえあの娘があったことを知っても、それは思い出したことにはならない」


「なるほどねえ。じゃあさ、あれを体験した後のルースと、今のルースはいわば別人なわけだな」


「ああ」


 ルースは衝撃を受けてふらふらと窓から離れ、すとんと床に腰を下ろした。


(前のあたしが、忘れたいと望んだ……?)


「もしかしたら、前の記憶に関することで知覚するものもあるかもしれないが、それは記憶の残滓にすぎない。完全な記憶とはならない」


 それではトゥルー・アイズを見たことがあると思ったのは、おそらく気のせいではなくその“残滓”のせいなのだろう。


 ルースはどくどくする心臓のあたりを押さえて、部屋に戻った。静かな、ジョナサンの寝息だけが聞こえてくる。


 頭が、痛い。


 倒れ込むようにしてベッドに寝転び、ルースは目を閉じて眠りの世界に逃げた。


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