Chapter 5. Dirty Juliet (穢れたジュリエット)
オーレリアという女性はまるで、艶やかな大輪の花のようだった。
ある夜、公演を終えたルースを呼び出しオーレリアはこう告げた。
「悪くなかったわよ、あなた。でも何か足りないわねえ。子供が頑張って歌ってる感じが出てる。あ、色気が足りないのね」
羞恥で顔が赤くなり、思わず手が出そうになったが、後ろから誰かに羽交い締めにされてしまった。
「町長の娘さんだぞ。怒らせちゃまずい。ここは、こらえろ」
フェリックスの突然とも言える登場に驚きつつも、ルースは口を尖らせる。
「何であんた、この人のこと知ってるのよ」
「ちょっとな。――やあ、オーレリア」
「あら、フェリックス」
いつの間に知り合いになったのか。ルースはたちまち面白くない気分になる。
「二人で仲良くやってれば?」
フェリックスの脇腹を思い切り殴ると、彼はぐえっと情けない声を出した。
そして、事件が起こったのは、その夜から七日が経った日だった――。
幽霊屋敷もそろそろ居心地が良くなって来た頃、フェリックスが青ざめる事態が起こった。
「フィービーを見ただって!?」
「うん。さっき町でお買い物してたら、そっくりな人見かけたよ」
ジョナサンの報告を聞いて、フェリックスは頭を抱えた。
「畜生! なあ、エレンさんが回復したから、もうすぐ出発するって親父さんが言ってたよな?」
「うん。でも居心地良いからもう少しここでも良いな、って」
「それは困る!」
いらいらしたように歩き回るフェリックスを見て、ジョナサンは首を傾げた。
「何で、そんなに苦手なの?」
「まあ色々あってな……。前回は、本来の保安官補がいなかったから何とかなったが、揃ってたらどうなることやら」
フェリックスは、盛大なため息をついていた。
「保安官補? その人も、あの連邦保安官ぐらい厄介なの?」
「違う意味で厄介な奴なんだ。あああ困った! ――ところでルースは?」
フェリックスはジョナサンの隣にルースがいないことに初めて気づいたようで、きょろきょろ辺りを見回していた。
「お姉ちゃん、もうちょっと買い物するんだって。僕、先に帰ってきちゃった」
買い物ってつまらないんだもの、とジョナサンはあくびをする。
「参ったな。フィービーが来てるってことは、おそらくブラッディ・レズリーの一味がこの町に現れたんだろう。……危険だな。俺、ルースを迎えにいってくる。ジョナサンは留守番よろしく」
「はあい」
歩き疲れて眠くなったのか、ジョナサンはころりとソファに寝転がった。
ルースはジョナサンと途中で別れ、買い物を続けていた。
目的は服だ。町の中央にある服屋で安売りをするらしいと聞き、服屋の前にやってきたのだが……。
「やだ。予想以上だわ」
思わず呟いてしまうほどの、人の数だった。これでは店に入ることすらできない。
「うーん」
しかし、服は欲しい。舞台映えする衣装が、もう色褪せ始めているのだ。
頑張る、と決めてルースは人の中に突っ込んだ。たちまち誰かに押され、危うく後ろ向きに転びそうになる。
地面に叩きつけられる痛みを想像して目をつむったが、代わりにやってきたのはふわりと受け止められる感覚だった。
「気をつけて」
「あ、ありがとうございます」
ルースは慌てて体を放し、助けてくれた人を見上げて息を呑んだ。
滑らかな褐色の肌に、彫像のような彫りの深い顔立ち。テンガロンハットの下の、ゆるやかなウェーブがかかった黒い髪は、やけに艶やかだった。
「どうかしましたか?」
「いえ、ごめんなさい」
まさか、見とれていたとは言えない。
華奢な体躯だが、なよなよしい印象は受けず、むしろ鋭い雰囲気をまとっている。彼は、ルースがあまり見たことのない顔立ちをしていた。さりげなく着こなされたポンチョも、異国情緒を更に増している。
ここまで美しい男性は、初めて見たかもしれない。
若そうだが、年齢がよくわからない。まだ少年……だろうか。
(南大陸の人かしらね)
ぼんやり考えるルースに、彼は問いかける。
「あなたは、この服屋に入りたいのですか?」
「ええ。でも無理そう……よね」
ルースはがっくり肩を落とした。残念だが、諦めるしかなさそうだ。
「何とかしてあげましょうか」
「――できるの?」
ぐいっ、と手を引かれる。男はルースを先導し、器用に人混みをくぐり抜けていく。そして前に出された先には、残りわずかになった服が入った籠があった。
「あ、ありがとう」
振り向いた先に、さっきの男はいなかった。
(どこに行ったのかしら……)
とりあえず目の前にあった服を手に取ったが、見事に男物だった。
めぼしい商品はもう残っておらず、結局何も買えずに店を出る羽目になってしまった。
店を出て、よろよろ歩いていると、急に影が差した。
「何か買えましたか?」
「――あ、さっきの」
ルースは足を止めて、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました。でも、良いのもう残ってなかったのよ。せっかく、あなたが入らせてくれたのに」
「それは残念ですね」
男は心底気の毒そうに、眉をひそめた。
「ところで、あなたはこの町に詳しいですか?」
「え? まあ、地理はある程度わかるけど」
急に問われて、ルースは戸惑う。
住民には負けるだろうが、しばらく滞在しているので大まかな地理は把握しているつもりだった。
「実はこの町で、待ち合わせをしていましてね……。サルーンで待ち合わせということだったのですが、町の中心にあったサルーンにはいなくて。この町に、サルーンは複数ありますか?」
「ああ、そういえば……」
裏路地に、小さなサルーンがあったはずだ。表通りのサルーンと比べてやけに小さく、陰気だったのを覚えている。危ないから近づくなと、フェリックスに忠告されていた。
「もうひとつ、あったはずよ。案内しましょうか?」
「――それは助かる。お願いします」
男は微笑み、思い出したように名前を名乗った。
「私はエウスタシオです」
「あたしはルース。よろしく」
握手を交わした後、ルースはエウスタシオを先導した。
「さあ、こっちよ」
危ないと言われたけれども昼間だったら平気だろうとタカをくくり、ルースは道案内を引き受けてしまったのだった。
小さなサルーンの入り口は、地下にあった。階段を下り切る前に、エウスタシオが足を止めた。
「――怒鳴り声が聞こえますね」
「え?」
「ルース。私の後ろに」
出された指示に、ルースはおっかなびっくり従った。
「あなたを帰したいところですが……裏路地で一人にする方が、危険ですね」
それはルースも同感だった。先ほどから、裏路地には嫌な目つきをした男たちが数人うろついていた。
エウスタシオは階段を下り、入り口の覗き窓をそっと覗き込んだ。好奇心に負けたルースも、彼の横に並んで店内を見る。
中は、ひどい有様だった。酒の瓶が割れて床に散乱し、銃を持った覆面の男たちが客を脅して怒鳴っている。
(ん? あれって、フィービー?)
怯える客に混じって、見覚えのある女性が座っていた。覆面の男たちを睨みつけながら、じりじりと懐に手を伸ばしている。
「ルース。とりあえず、下がって屈んでいなさい」
「え? ここで?」
「ええ。さもないと」
ポンチョを翻し、エウスタシオはホルスターに手を伸ばした。
「死にますよ」
ルースが驚いたのは、それまでポンチョで隠されていたバッジが現れたからだ。星形のバッジには、"U.S. Deputy Marshal"という文字が刻まれている。――連邦保安官補だ。
ルースが一歩後退して屈んだ後、エウスタシオは扉を蹴破り、弾丸を中に向かって放った。腹に響くような、重い銃声だった。
次の瞬間、悲鳴と銃声が交錯する。
エウスタシオは縮こまっていたルースの手を引いて立たせ、中に入る。エウスタシオは素早く、ルースをテーブルの影に隠れさせた。
「フィービー様!」
「エウ! 奴らは奥に逃げたぞ!」
フィービーは既に、両手に銃を装備していた。エウスタシオが作った隙を利用したのだろう。
「――ああ、連れてきたのか」
「今は危険ですから、ここに置いて――とりあえず追いましょう」
フィービーとエウスタシオはルースを見て何やら話していたが、当のルースはわけがわからずきょとんとしていた。
「ここを動かないでくださいね」
エウスタシオはそれだけ言い残して、フィービーの後を追って店の奥に行ってしまった。
しばらくして、二人は若干がっかりした様子で戻ってくる。
「逃げられましたね」
「ちっ。惜しいことをしたな」
そして二人は怯える客に、出ていくように指示を出してからルースを見下ろした。
「お前も一旦ここを出るんだ、小娘」
「わ、わかったわ」
ルースはおっかなびっくり、フィービーの後を付いていく。エウスタシオはルースの後ろに付き、警護してくれているようだった。
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