Chapter 1. The 13th Mary (十三番目のマリア) 8



 恨みがましい目で、弟は姉を見上げる。


「ひどいよ、お姉ちゃん」


「ごめんごめん。でも、あんたなら何とかなるでしょ?」


 ジョナサンは不満そうに口を尖らせ、うんざりした表情で台本を見下ろした。


 ジョナサンも旅芸人なのだから、全くの素人よりは演技が上手い……はずだ。ただ、問題はジョナサンが男だということである。


「女装なんて嫌だよ」


「昔の劇では、男の子が女装して女役やってたのよ?」


「そういう問題じゃないよっ。僕は強い西部の男になりたいのに!」


 度々女の子に間違えられるジョナサンの口からそんな言葉が出て、ルースは思わず笑ってしまった。


「今、笑ったよね。じゃあ僕出ないから」


「ごめんごめん! ね、出てあげてよ。この通りだから!」


 手を合わせて頼むと、ジョナサンは不服そうに首を傾げた。


「別に中止で良いんじゃないかな」


「だめよ。もう、あんたがやるって言っちゃったし」


「お姉ちゃんて、いつも勝手なんだから!」


 これは本格的に怒られそうだと覚悟を決めたとき、ノックの音がした。


「入って良いか?」


「フェリックス……良いわよ」


 承諾を得て、フェリックスが部屋に入ってきた。


「何を揉めてるんだ?」


「ジョナサンが嫌がってるのよ。西部の男になるとか、よくわからないこと言い出して」


「わからなくないよ!」


「おいおい、ジョナサン」


 拗ねるジョナサンの目線に合わせるように膝をつき、フェリックスはゆっくりと話しかける。


「ルースは普段、無茶な頼みごとなんかしないだろ?」


 ジョナサンはしばらく考え込んでから、小さく頷いた。


「……そうかも」


「じゃあ、たまには願いを聞いてやったらどうだ?」


「うーん」


「ルースは嫌なんだろ? 自分たちが来たときに祭りが中止になるって事実を残すのが、さ」


 言ってもいないのに見抜かれ、ルースは決まりが悪くなって頬をかいた。


「――そうよ。勝手だとは思うけど……」


「そんなことないだろ。一座を思う気持ちがあるってことだ。さて、ジョナサン。お前はどうだ?」


「僕だって、あるよ」


 ジョナサンはむきになったように言い切り、ため息をついてから、ようやく首を縦に振った。


「……わかったよ。やるよ」


「ありがとうジョナサン!」


 思わずジョナサンを抱きしめると、息が苦しいと言ってジョナサンは必死にもがいていた。




 祭りの最終日、劇は無事に行われた。一番目のマリアがやたら小柄だったことを除けば、例年に負けない出来だったようだ。


 最後に十二人から殺される場面では、ルースは心臓をわしづかみにされるような恐怖を覚えた。


(――どうして、かしら)


「いやー、素晴らしかった。特に最後の場面は圧巻でしたな。演技とは思えぬ恐怖の表情!」


 舞台から降りた途端に町長に絶賛され、ルースは戸惑いながら一礼した。そして、観客の中で佇むフェリックスの方をなぜか見てしまう。


(あたし……何か忘れてないかしら)


「それでは、ストー牧師とのお約束通り、公演も是非開催してもらいたいですな。宣伝は任せてください」


「――ありがとうございます」


 これで万事解決なのに、どうして何かが引っかかってるような気がするのだろう。




 公演は大成功に終わった。「マリア役のお嬢ちゃん、女の格好した方がかわいいぞ!」と野次を飛ばされて、ジョナサンが憤慨したことを除けば――だが。


「もう、あんなことやらないからね!」


 後片付けのとき、ジョナサンはフィドルを叩き壊しそうな勢いだった。そんな彼に、フェリックスがこっそり囁く。


「おいおい、ジョナサン。西部の男は一度は女装するんだぜ」


「え、本当?」


「嘘だけど」


 二人のくだらないやり取りを聞いて笑いながら、ルースは空を見上げた。


(そういえば、あの二人の会話で気になることを聞いた気がする……。でも思い出せない――)


 見れば、二人は楽器類を持って幌馬車の方に向かっていた。


 自分一人が舞台に立っている状態に、考え事を束の間忘れる。遠くに見える大きな夕焼けに目を細めて、歌いたいと素直に思う。


「歌い手さん。もう一曲、歌ってくれない?」


 後ろから声をかけられ、振り向くと両腕を吊るしたクレアが立っていた。


 トレードマークのようだった三つ編みをほどいていたので、一瞬誰かと思ってしまった。


「クレア……」


「もちろん、お金は払うわ」


「いえ、結構よ。お見舞いの花束に代えて、私の歌を贈って良いかしら」


 ルースが笑うと、クレアは睫毛を震わせ頷いた。


「お見舞いに来てくれたそうね、ルース」


 会えなかったけれど、と言いかけてルースは口をつぐむ。


 彼女は、見舞いに行った誰とも会おうとしなかったという。皆は一番目のクレア役を降りざるを得ないことがショックだったのだと噂していたが、どうもそれは違うようだとルースは漠然と考えていた。


「クレア。どんな歌が良いの? リクエスト受けるわよ」


「――死んだ恋人に、捧げる歌を」


 そこでルースは息を呑む。まさか、クレアは――


「素敵な人だったの。どうしようもない人でもあったけれど」


 クレアは大人の女性のように艶っぽい笑みを浮かべてから、目を伏せた。


「すぐに、段々と変わっていってしまったけれど……それでも、私は忘れられなくて」


 劇中で、キリストに最も近しいとされた一番目のマリア。彼女とクレアが重なって――否、同一にすら見えてくる。


「クレア。それでは、あなたの恋人が素敵だった頃のことを思い出して聞いてね」


 そしてルースは、何の伴奏もなく歌を紡いだ。クレアの傷が少しでも癒えるようにと、願いをこめて。


「安らかに、眠って欲しいわ」


 クレアの呟きが耳をかすめる。


 行方不明とされているが、クレアは彼がもう死んだと思っているのだ。そしてルース自身も、そんな気がしていた。


 歌を終えると、クレアは綺麗に微笑んでくれた。


「……ありがとう、ルース。どうしてあなたに話したくなってしまったのかしら」


「さあ。でも、あたしも聞けて良かったと思うわ」


 なぜかは、わからないけれど。とある夜の記憶を失った二人の少女は、それでも言いたい理由が、聞きたい理由があったのだと心の奥深くで感じていたのだろう。








 そんな二人の少女を、遠くから見守る青年がいた。彼は隠れた壁に張りついたお尋ね者の紙を発見し、ため息をついて壁からその紙をはがす。


「俺は、もっと男前だっつの」


 茶化した言葉とは裏腹に、青年の表情は微かに強張っていた。


 ニャーと鳴き声を響かせて、痩せた猫が青年を見上げる。


「ミスター・キャット、変な二人組見なかったか?」


 フギャーと機嫌の悪そうな返事をして、猫はさっさと踵を返した。


「もしやメスだったか……」


 もちろん、猫から情報が取れるとは夢にも思っていなかったが――


「フェリックス。そこで何してるの? もうごはんだよ」


 今度はジョナサンがひょっこり現れ、青年――フェリックスは苦笑を漏らした。


「ああ、わかった」


「何、その紙?」


「ゴミだよゴミ」


 フェリックスが丸めた紙を放り投げると、道端のゴミ箱へと見事に入った。


「すごいなあ、フェリックス。何でも百発百中なんだね」


「まあな」


 そうしてフェリックスとジョナサンは肩を並べ、ルースを呼びにいくため、もう一度舞台へと向かった。








 砂混じりの風が吹き、一番上にあった紙屑がゴミ箱から転がり落ちる。そのぐしゃぐしゃになった紙を、ブーツで踏み潰す。


 そしてその紙を拾い、広げる。


「――どうやら、この町にあいつが来たようだな」


 赤い唇を歪め、ぼろぼろになったその紙を握り潰す人物の胸には、星型のバッジが輝いていた。




To be Continued...


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