Chapter 1. The 13th Mary (十三番目のマリア) 7



(一体、どこに行くのかしら)


 道端の樽に隠れつつ、ルースは眉をひそめた。


 尾行に気づかれないかひやひやしたが、フェリックスは何やら考え事をしているらしく、幸いルースが後を追っていることには気づかなかった。


 彼らが向かった先は、教会だった。着いた途端、フェリックスがジョナサンに何やら耳打ちをすると、ジョナサンは教会の扉の傍に置いてあった樽に隠れるように、しゃがみこんでいた。


 フェリックスが扉を開け放った途端、簡素な教会の中で膝をついて十字架に向かって祈る牧師の後ろ姿が目に入る。


 ルースは思わず叫びそうになった。よく見れば十字架の長さが、普通の十字架とは違っていたからだ。


(――あれは……逆十字だわ)


「考えたな。聖職者に取り憑いているとは予想外だった。おかげさまで、あんたから悪魔の臭いが溢れてるってのに、なかなか信じられなかった」


 牧師はゆっくりと、言葉を発したフェリックスを振り返った。


 その目は血走っている。


「この者は、堕ちた牧師だ。易々と憑かれおったわ」


 哄笑し、牧師はゆっくりと立ち上がった。


「堕ちた牧師? 何をしたんだ」


「人妻と契りおった。それで以前の教区から追い出され、ちょうど牧師が不足していたここに落ち着いたのだ」


「なるほど。姦淫の罪か。そしてお前は牧師の体を利用し、何をしたんだ?」


「私は人の血が好物だ。特に若い女のな――」


「なるほど。それで、あの劇を利用したってわけだ」


 ルースは恐ろしさのあまり、ガタガタと震えていた。


(どうして、フェリックスは平気なの……?)


「“鮮血の悪魔”は特に恐怖に凍った血を好むと聞いた。十三番目のマリアとして選ばれた乙女を劇中で他の者に実際に殺させ、恐怖を味あわせた後に血をすすったんだな」


「そうとも――。それも、町の娘から慎重に選ばれたマリア役――実に美味だった」


 味を思い出したように、牧師――いや悪魔は笑う。


「今年の十三番目のマリアは、あんたの正体を疑ったから殺したのか?」


 フェリックスの質問に、悪魔は笑みを消した。


「疑い深い娘だったよ。まあ、崖に追い詰めたから恐怖の血はすすれたが」


 やはり、とルースは息を呑む。マルティナは殺されたのだ。おそらく十二人のマリアも一緒だったのだろう。敢えて十三にした花束は、劇中で十三番目のマリアとして死ねなかったマルティナへの皮肉だ。


「――べらべら不快なこと嬉しそうに喋りやがって。地獄へ帰してやるよ」


 フェリックスはためらいなく銃を構えて悪魔に向けた。撃鉄を起こす音が、静かな夜に響く。


「物知らずだな。今の時刻は午前零時。私の力が一番に満ちる時だ」


「残念ながら、知っていたさ。だからこそ、お前の化けの皮がはがれた。力が満ちる時には、さすがに人間越しとはいえ十字架を目にするのは辛かったんだろう?」


(そうだわ……。昼間は確か、逆さ十字じゃなかったもの)


 フェリックスの銃が火を噴いた途端、ストーは高く飛び上がり、逆さ十字の上に立った。


「聞いたことがあるぞ……。人に取り憑いた同士を屠る人間が存在すると。――悪魔祓い」


 呼び名を耳にし、フェリックスは不遜に笑ってみせる。


「しかし、お前は我らを見破る力があっても、ただの人間だろう? 無力よな」


 ストーの余裕をいぶかしむ間もなかった。ルースはいきなり後ろから腹のあたりを両腕で締めつけられ、驚愕した。


「何っ!?」


 振り返ると、三つ編みの少女――クレアが虚ろな目をして自分を締めつけていた。


 人間の力とは思えぬ強靭な力に、骨が軋んでルースは悲鳴を上げた。


「ルース!」


 ルースを見て、フェリックスは舌打ちした。


「十二人のマリアは私の僕なんだよ」


 ストーは跳躍し、ルースの傍に降り立った。


「さあ、その子の背骨を折られたくなかったら、銃を捨てるんだな」


 ストーに睨まれ、フェリックスは唇を噛みしめた。


 そして、フェリックスは諦めたように銃を捨てかけたが――


 いきなり続け様に水が顔にかかり、ストーとクレアは悲鳴を上げた。


「こ、これで良いかなっ!」


 水鉄砲を構えたジョナサンが、フェリックスを見る。


「でかしたジョナサン!」


 隙を見逃さず、フェリックスは目にも留まらぬ早さで再び銃を構えて、ストーの心臓に弾丸を撃ち込んだ。


 恐ろしい悲鳴をあげ、ストーの体が砂となり崩れ落ちていく。


 いきなり自分を締めつけていた力がなくなり、ルースは崩れ落ちるようにして倒れる。そして頭を強く打ち、そのまま意識をなくしてしまったのだった。




 曖昧に覚醒した意識の中、誰かの話し声を聞く。


「お前に聖水鉄砲を託しておいて、本当に良かったな」


「ふふん。僕も悪魔祓いになろうかなあ」


「あんまりお薦めしないけどな」


「でもさ、フェリックス。十二人のマリアさんはどうなったの?」


 フェリックスとジョナサンが、喋っているらしい。


「あれは操られていただけだから、大丈夫だ。位は高かったが、そこまで影響力の強い悪魔じゃなかったらしい」


「ふーん。悪魔にも色々あるんだね。難しい」


「ああ。――あれ」


 フェリックスが近寄る気配がして、ルースは緊張を覚える。


「あんまり、重ねるのは良くないって聞いたんだがな」


 額に何か、温かいものが触れる。


「また、忘れてくれ。ルース」


(また……? また、ってどういうことなのかしら)


 質問を口にできないままに額に熱が生まれ、ルースはまた眠りに落ちた。




 目覚めるともう、日が高かった。


「け、稽古の時間が……」


 ルースは慌ててベッドから飛び降り、手早く着替えてから部屋を飛び出す。


 すると、階段でばったりフェリックスに出くわした。


「今日の稽古なら、ないらしいぞ」


「え?」


「牧師が行方不明なんだとさ」


「ええ!?」


 ルースは驚き、目を見開いた。




 フェリックスに伴われて、大騒ぎになっている教会へと向かう。


 ルースは教会に入った瞬間、息を呑んだ。


 逆さ十字――。


 既視感を覚えて、頭に痛みが走る。


「きっと、悪魔が牧師様を連れていってしまったんだ!」


 町人は喚き立て、マリア役の少女たちも戸惑いながら顔を見合わせている。


(クレアがいないわ……)


 クレアの姿が見当たらず、ルースはきょろきょろと首をめぐらせた。自分と同じように寝坊しただけなら良いが……。


「クレアは、どこなんでしょうか?」


 適当に野次馬の男性をつかまえて聞くと、彼は首を傾げた。


「クレア? ああ、あそこにクレアの父親がいるから聞いてみな」


 そうして示された初老の男に歩み寄り、ルースはおずおずと質問を口にした。


「あの、クレアは……」


「クレア? ああ……なぜだか両腕を折っちまったみたいでね。もうマリア役は降りるしかないから、そのことを言いにきたんだが――この有様だ。劇は中止かね」


 クレアの父親の台詞に、少女たちが反応した。


「そんな!」


「せっかく練習してきたのに!」


「――といっても、牧師様もいないしクレアも役を降りる……じゃあ仕方なかろう」


 町長が進み出て言い切ると、少女たちはがっかりした様子を見せた。


「しかし、これじゃあ後々の観光にも響いてしまうなあ」


 そう町長がぼやいたとき、少女たちはいきなり勢いを取り戻した。


「じゃあ、やりましょうよ!」


「そうよ! まだ三日あるんだもの。クレアの代役も立てられるわ」


「でも、誰が代役をするんだ?」


「――あ。あたし、心当たりがあります」


 ルースは思わず、手を挙げていた。


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