Chapter 1. The 13th Mary (十三番目のマリア) 3
稽古は翌日から始まった。
町の唯一の劇場が稽古場として貸し切りになっていると聞いて、ルースは思わず目を丸くした。さすがは、町の一大行事である。
もらった台本を読んで、ルースはへえと呟く。最後の晩餐の筋と聞いたが、大分改変が加えられていて、もはや別物だ。
はじまりは最後の晩餐の場面。キリストと、彼を取り囲むようにして食事をするマリアたち。そしてキリストが裁判にかけられる際の十三人の行動に焦点が当てられていく。なかでも、結末に驚きだ。裏切りのマリアは主を裏切った罪で、十二人のマリアに殺されることになっている。
「ね、あなたが十三番目のマリア役なのね」
長いおさげ髪の少女に声をかけられた。素朴な顔には、そばかすが散っている。
「私は“ファースト・マリア”こと、クレアよ。よろしく」
一番目のマリアを名乗る少女は、友好的に挨拶してくれた。
「あたしはルース。よろしく」
二人はにこやかに握手を交わしたが、次の瞬間急にクレアが真顔になった。
「本当に良いの? 引き受けちゃって」
「どういう意味?」
「十三番目のマリア役の子はね、二年連続で死んでるのよ」
衝撃的な事実に、ルースは息を呑む。
「原因は?」
「不明よ。劇のクライマックスは、すごい狂乱状態になるの。それでなのか知らないけど、誰もその前後のことを覚えてない。去年観客だった私もね。劇が終わってから、初めて気づいた」
「演技者も、観客も……誰も覚えてない?」
「ええ」
クレアの話に、一抹の不安を抱えずにはいられない。そんなとき、後ろから肩を叩かれた。
「ルース、クレア。練習を始めるよ」
ストー牧師が、穏やかな笑顔を浮かべて立っている。
「牧師様!」
クレアはぱっと顔を輝かせ、牧師のもとに走っていってしまった。他のマリア役の少女たちも、わらわらと彼の周りに集い始めた。
牧師といえば宗教的な指導者だから、町長よりも発言力を持つこともある。されど少女たちが彼に向ける思慕の視線は、少々異常にも見えた。
若くて整った顔立ちの男性だというせいもあるのかもしれないけど、それにしても――とルースは微かな違和感を覚えた。
稽古は夕方になってようやく終わり、牧師が少女たちに差し入れのパイを持ってきてくれた。
「休憩しましょうよ」
一人の意見に皆が賛同し、舞台に円になって座った。
甘いものを片手に、少女たちは早速新入りを質問攻めにする。
「ルースは、旅芸人なんでしょう。どんな暮らしなの?」
真っ先に質問を口にしたのは、やはり一番目のマリア――クレアであった。
「どんなって――そうね、ずっと旅をしてる感じかしら」
自分でも他に答えはないのか、と思ったが少女たちは優しく微笑んでくれた。
「色んなところを旅できて、羨ましいわ」
「ほんと。あたしなんか、この町から出たことないや」
「毎日、同じとこ往復するだけだしねー」
ルースは皆と一緒になって笑いつつ、全員の名前を言えないことに気づいた。一通り自己紹介されたはずだが、何しろ記憶力は台本に全て注ぎ込んでしまっている。クレア以外、名前をそらんじる自信がない。
かといって、もう一度名前を聞くのもためらわれた。
「ねえ、ルース」
クレアに声をかけられ、ルースは我に返る。
「何?」
「ルースは行く先々で、友達をたくさん作ってるのよね」
「……ううん、そんなこともないわよ」
公演で留まる期間はまちまちだし、同い年の子供と親交を温める機会は少ない。ジョナサンは人懐こいから、時折町の子と仲良くなったりもしていたが、ルースは人見知りをしてしまうので機会を逃していた。
「そうなの?」
クレアは驚いたようだ。
「私たちは、もう友達よね?」
「――ええ」
クレアの確認を耳にし、ルースは一瞬動きを止めてから花開くように笑った。
滅多にないことだけに、純粋に嬉しかった。
その後もしばらくお喋りに興じたが、クレアがハッと時間に気づいて皆に告げた。
「みんな、もう帰らなくちゃ」
クレアはリーダー的な存在なのだろう。クレアの発言は、皆も真剣に聞く。
ルースは皆に挨拶をして、他の少女より先に稽古場を出た。こんなにも遅くなるとは思っていなかった。
そして入口でフェリックスの姿に気づいて、ルースはぎょっとした。
「あんた、いたの?」
「つれないなあ。せっかく、ルースを迎えにきてあげたっていうのに」
恩着せがましい口調にむっとしながら、ルースはフェリックスの横をすり抜けた。フェリックスが慌てて追いかけてくる。
「全然気づかなかったわ。いつからいたのよ」
「ちょっと前から。しっかしルース、借りてきた猫みたいだったな! 誰かと思った」
からから笑われ、ルースは頬をふくらませた。
「うるさいわね!」
「――そうそう、それそれ。それがルースらしい。子犬みたいにキャンキャン噛みついてくれないと、ルースじゃないもんな」
本人は褒めているつもりらしいが、あいにく全く嬉しくなかった。
「案外、人見知りなんだな。ああ、そういえば初めて逢ったときも結構大人しかったっけ。それじゃ、今は俺に心を開いてくれてるってことだな」
「勝手に解釈しないでちょうだい! あたしはね……」
自分の心情を説明しようとして、ルースは一旦詰まる。
フェリックスの言うような、ただの人見知りではない。人見知りであることは事実だが、それだけではないのだ。
「あたしは、ええっと……」
上手い言葉が見つからない。
「俺から見たら、委縮してるようにも見えたけどな」
ぽつりと、フェリックスが言葉を落とす。
「委縮――ああ、そうだわ。なんていうか、“よそ者”感があったのよね」
言ってしまえば異分子。マリア役は、全て町の少女から選ばれる。その中に唐突に加わってしまったというだけで、違和感を覚えてしまう。しかしそれだけではない。
「ものすごく、結託してるのよね」
クレアを中心として、彼女たちは深く結びついていた。マリア役の選抜を共に勝ち抜いた少女たちなのだ。連帯意識があっても不思議ではない。
「でもさ、不思議だよな」
フェリックスが夜の空を仰いで疑問を口にする。
「たとえ十三番目とはいえマリア役になるのは栄誉みたいなのに、どうして今年はなり手がいなかったんだか」
ぎくりとする。クレアから聞いた話を、フェリックスにもすべきだろうか。
いや、それを話せばフェリックスから両親に伝わってしまうかもしれない。どういった事情があろうと、自分から引き受けると請け負ったことを翻したくはなかった。
「さあね。みんな、信仰深いんじゃない?」
ルースは適当に答えて、フェリックスに表情を伺われないように速足で歩を進めたのだった。
宿に戻ってからも、台本を広げて台詞を口に出す。興味を持ったのか、ジョナサンがルースのベッドに飛び乗ってきた。
「お姉ちゃん。練習?」
「そうよ。なかなか覚えられなくって」
今日が初日だといえ、本番は一週間後。一刻も早く台詞を頭に叩きこんでしまいたいところだ。
「台本見せて」
請われて、ルースは苦笑しながら台本を渡す。
ぱらぱらとジョナサンは本をめくり、ふと最後のページで手を止めた。
「あれ? 名前が書いてあるよ」
「――名前?」
ルースは眉をひそめてジョナサンの指差した先を覗き込んだ。
“マルティナ”とある。
「前の年の人のかしら……」
そう考えるとゾッとした。前年度の十三番目のマリアは、亡くなったのだ。
「お姉ちゃん、どうしたの? 顔が青いけど」
「……気のせいよ」
ルースはかぶりをふって否定した。
(でも、おかしいわね……。この台本、去年のものにしては新しすぎるわ)
それに、台本は一年ごとに改訂されていくと牧師は言っていなかったか。
ルースは黒いインクで刻まれた“マルティナ”という名前から目を逸らし、台本を閉じる。
私は十三番目のマリア――と台詞の一つを暗唱すると、なんとも寒々しい気分になった。
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