第7ー15話 恐ろしき正妻の話術

 馬鹿と天才は紙一重というのはどこからを線引するのだろうか。



 大きな事を言い続けている者は馬鹿なのか。



 静かに大きな事を成し遂げるのは天才と言えるのか。



 答えは簡単な事だ。



時間が判定する。



 万人から馬鹿と言われても、結果として評価されればそれは天才となるだろう。



 画家として生前は無名であっても死後に評価された者すらいるのだ。



 時間とは残酷なまでに経過していき、その間に人間の観点を大きく変化させる。



 戦争のない天上界を作るなんて言っている神族の狐を、世界は馬鹿と笑うだろう。



 しかし彼が天才である片鱗を見せる時が来た。



 絶体絶命の状況下で、敗走して逃げようとする白陸兵らに風を切って現れたのは南の旗を掲げる大軍ではないか。



 そしてかの者らは、関係のないルーシー大公国へと無条件で宣戦布告しては死地へと突入していく。



 最前線でルーシーの英雄であるユーリと戦っている虎白にも、その異変が訪れた。



 戦意を失っている白陸兵が、突如として騒ぎ始めた様子を不審に思った虎白はユーリを突き飛ばして、周囲を見渡した。



「う、嘘だ・・・援軍要請なんてしてねえぞ・・・それにあいつらに何の得があるってんだよ・・・」



 驚きを隠せない虎白が、颯爽と現れる秦軍とマケドニア軍を見て絶句していると聞き慣れた高笑いが白い耳へと響いた。



 同時にこれも聞き慣れた低い声が自身を励ます様に、配下の兵を率いている。



 この異常事態を見たユーリも動揺を隠せずにいた。



「これは南の軍勢か・・・こいつらがこの戦いに何の関係があるんだ!! スタシアと同盟を結んでいるのはお前の白陸だけじゃないのか!!」

「はーはっはっは!! おい鞍馬よ!! 何をもたついておるのだ!? 我らは皆アレクサンダーではないか!!」




 どこか頼もしさすら感じさせる高笑いを響かせるのは、征服王ことアレクサンドロス大王だ。



 凶暴なルーシー兵を寄せ付ける事もせずに、剣を振り回す偉大なる征服王は犬猿の仲でもありながら、互いに認め合う虎白を助けに現れた。



 微かに笑みを浮かべる虎白の瞳には、涙が浮かんでいる。



 そんな虎白の背中を押すかの様に、マケドニア軍が動揺するルーシー軍へと体当たりする勢いで突き進むと、戦況は一変した。



 これにはたまらずルーシー軍を持ってしても戦意喪失かと誰もが思っている。



「我らルーシーに敗北はない!! 最後の一人まで戦え!!!!」




 そう叫んだのはユーリだ。



 彼女の声を聞いた獰猛なる戦闘民族は、更に奮起してスタシア、白陸、秦、マケドニア連合軍へと果敢に反撃を開始した。



 しかしユーリはこの状況を深刻と見たのか、虎白との戦いを諦めて全軍の指揮を執るために後方へと下がっていった。



 驚きと安堵の表情を浮かべる虎白の隣に姿を見せたのは、大親友の嬴政と好敵手でもあるアレクサンドロスだ。



「二人とも・・・どうして?」

「友の夢を叶えるためだ」

「何を偉そうに嬴政めが。 正直に言えばよかろう。 恋華だ」



 虎白の正妻にして長年留守であった夫の代わりに、皇国第九軍を束ねていた恋華。



 かの傑物はアーム戦役の終盤に姿を現してから、異彩を放ち続けている。



 今では虎白の代わりに白陸の指揮まで始めた彼女は、秦国とマケドニアまで動かしたというわけだ。



 虎白は親友嬴政の勇ましい表情を見て、彼なら躊躇ちゅうちょなく援軍に駆けつける事には合点がいった。



 しかしアレクサンドロスからすれば、近頃の虎白の活躍は南軍の最高権力者である征服王を忘れさせる勢いで、決して面白いものではないはずだ。



 言葉には出さなかったが、虎白はその疑問が頭から離れずにいた。



 恋華は一体何を言ってこの傑物を、遥か遠く離れた北側領土にまで引っ張り出したのか。



「お前の夢は戦争のない天上界なのであろう? それは我とて叶えたい悲願だ。 何よりも天王様も喜ばれるはずだからな」

「恋華はお前にそう言ったのか?」



 虎白からの問いに答える前に、征服王は恋華からの突然の訪問を思い出していた。



 マケドニアの王都へと突如来訪した、美しき恋華は優雅に着物をなびかせて謁見の間へと入ると、黄金の玉座でワインを飲む征服王と対面した。



 最高権力者の顔を立てる事すらなく、命令にも従わずに活躍だけはしてくる虎白に対して不満すら感じていたアレクサンドロスは、冷たい視線を彼女へ向けた。



 だがまるで動じる事のない恋華は小さく、美しい口を滑らかに開いた。



「皆がアレクサンダーとは誰もが同じ志で貴公きこうに従うという事か」

「その通りだ。 皆が我の背中を見て奮い立つのだ」

「しかし貴公の背中は黄金の玉座の背もたれにしか見えていない様だが」



 突如来訪して侮辱までするのか。



 手に持っているゴブレットを握り潰すほどの握力で、めきめきと音を鳴らしている。



 物凄い剣幕で恋華を睨みつけているが、やはり彼女は動じる事はなかった。



 怒鳴りつける前にこの生意気な女が何を言い出すのか聞いてやろうと、深呼吸した征服王は恋華に引き続き口を開かせた。



「皆が貴公の背中を見る。 我が夫もその背中を見て戦争のない天上界を作ろうとしたはず。 そうなれば貴公が崇拝すうはいするゼウス様も喜ぶだろうしな」



 もうこの生意気な女の淡々とした口調に付き合うのも限界だ。



 ゴブレットを投げつけようとした時だ。



 白くて小さい手のひらを上げて、待てと促す生意気な女は不敵な笑みを浮かべていた。



 しかし恋華の瞳は恐ろしいまでに瞳孔が開き、彼女が見ている先にはもはやアレクサンドロスすら写っていないかの様だった。



「南の英雄と呼ばれる夫がもし、北側領土で死ぬ事があれば貴公の面目も潰れるというもの。 最高権力者は何をしていたのだと言われるぞ。 そうなれば誰が一番責任を感じると思う?」




 瞳孔が開いている恋華の視線は、睨むだけで常人を殺してしまうのではと思わせるほどに鋭かった。



 幾多の修羅場を乗り越え、征服王とまで呼ばれるかの傑物ですら汗が頬を滴る感触を覚えた。



 この女が話しているのは虎白を見殺しにすれば、英雄を失った南の民の怒りが自身へと向き、更には南側領土の最高権力者に任命したゼウスまでもが批判を浴びるというわけだ。



 それはアレクサンドロスにとって何よりも恐ろしい事であった。



 恋華は小さく笑うと、近づいてきた。



 見れば見るほど美しい顔を近づける恋華が、最後に放った言葉に戦慄した征服王は出陣をその場で表明した。



「お前でなく我が夫を最高権力者に選ぶべきだったと天王は嘆くだろう・・・しかしそう嘆く頃には夫は死んでいる。 全てはお前の決断力のなさからだ」

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