第6ー18話 孤児の青年の父

 記憶とは人間に与えられた最も重要な知能だ。



仕事をする上でも学習をする上でも、記憶がなければ何も得る事はできない。



 そして時に記憶とは薄れていくもので、年月と共に曖昧になるものだ。



 ティーノム帝国軍の制服を着ている青年は、遠い昔にも感じる記憶を蘇らせている。



優雅な笛の音色が奏でられる隊列の先頭を歩いている青年は肩に銃をかけてスタシア侵攻を、目標に掲げているのだ。



 美しい音色にかき消されて歩兵共の密かな会話は貴族の耳には入らない。



青年の後ろで慌ただしく動き始めた貴族に、異変を感じながらも青年は隣の歩兵と会話をしている。



「さっき男爵が話していたが、主力部隊が撃退されたらしいぞ」

「本当か!? あそこはアルデン王がいるんだよな?」

「ああ、それと南側領土から来た鞍馬とかいうやつだ。 人の戦争に口挟むなんて物好きだよな」




 鞍馬という名を聞いた青年は表情を一気に曇らせた。



異変を感じた歩兵が青年の様子を伺うが、口を開く事はなかった。



 やがて背後の貴族が上品にも威厳ある口調で、命令を下した。



前方には浅瀬の川が流れている。



「歩兵共は先に川を渡河して我々の装束が汚れない様に川に板を敷け」



 偉そうに話す貴族は戦場に来ているというのに、服が川の泥で汚れる事を嫌い歩兵に木の板を並べて簡易的な橋を作れと話している。



青年は不快感を表情に浮かべつつも、貴族に背を向けたまま優雅な音色と共に行進した。



 川の目の前にまでティーノム帝国軍が辿り着くと、歩兵共は制服を泥だらけにして板を並べ始めた。



「こんな浅瀬の川ぐらい馬で渡ればいいのにな」

「馬より俺らの方が下なんだろうな」




 身分の高い上品な貴族とは異なり、ティーノム帝国軍の歩兵は集落から集められた農民や身寄りのない孤児などから編成されている。



上流階級で育った貴族らは彼ら市民兵を、人間とは思っていないかの様な振る舞いをする事が多かった。



 青年は泥だらけになりながら板を手で持って、貴族と愛馬が渡河するまで川に浸かっている。



すると、隣の歩兵が青年に声をかけた。



「噂じゃ四聖剣のメアリーの戦域も我らが負けているらしい・・・」

「そうなのか、こっちにも四聖剣がいるんだよな?」

「ああ、名前は確か・・・」




 歩兵が四聖剣の名を口にしようとした刹那。



開いた口を開けたまま、下を向くと川の水位が増している事に異変を感じた。



 その異変は青年にも感じ、眉間にしわを寄せると同時に遠くから徐々に迫る轟音も聞こえ始めた。



ざわめき立つ歩兵共の様子を冷たい目で見ている貴族も、川の上流を見ていた。



 次の瞬間には貴族の上品な表情は一気に青ざめた。



轟音と共に迫ってきたのは津波の様な勢いで迫る濁流だくりゅうではないか。



 慌てた貴族らは歩兵を無視して愛馬を駆けさせると、一気に渡河した。



川を渡りきった貴族らは歩兵共に早く渡河する様、催促している。



 しかし濁流の勢いは凄まじく、歩兵共は川に流されていった。



これには上品な貴族らも青ざめる他ない。



 呆気にとられる貴族の静寂と流されていく庶民兵らの悲鳴が、奇妙に絡み合う中で響き渡った女の声はティーノム帝国軍を戦慄させた。



「スタシアに栄光あれー!!!! 貴族共めが私を討ってみろ!! 我が名はリヒト将軍だ!! 四聖剣の一撃を受けてみろ!!」




 紫色の髪を颯爽と白馬の立髪と共になびかせているのは、四聖剣の一人だ。



リヒト将軍と名乗った女騎士は川の水を塞き止めて、ティーノム帝国軍が渡河した途端に決壊してみせた。



 大量の歩兵が流され、川は激しさを増し、貴族共は対岸で孤立した所をリヒトらに強襲されたというわけだ。



 だが偶然にも渡河をしていなかった貴族が僅かに残っている。



彼らは残りの歩兵共を率いて、一度撤退しようと来た道を戻ろうとした。



「今だ十面埋伏じゅうめんまいふくの計!! 予め背後に十の奇襲隊を潜伏させて敵の退路を塞ぐ。 四聖剣が強さだけの将軍と思ったか」




 この戦いは最初からリヒト将軍に軍配が上がっていたというわけだ。



彼女はティーノム帝国軍が優雅に行進している段階から、周囲の森に奇襲隊を潜ませていた。



 そして川の水を塞き止めてから決壊させる事によって、指揮官を倒せば敵軍は我先に逃げ出す事も計算して奇襲隊を解き放った。



大混乱のティーノム帝国軍は来た道にはいなかったはずの奇襲隊を前に次々と、倒されていった。



「背後は激流の川。 正面には我が奇襲部隊。 スタシアを滅ぼしたければ、川を埋めてみろ!!!!」




 こうして既に三つもの戦域でティーノム帝国は惨敗した事になる。



残る一つの戦域にも四聖剣の一人が控えている。



 惨敗したティーノム帝国軍は大半の兵士が川に流されていった。



板を持っていた青年も溺死の恐怖と戦いながら、水中で走馬灯を見ている。



「孤児のあなたが、帝国兵?」

「ああ、俺の父親は遠くにいるんだ」

「何よ父親ってあなたは孤児よ?」




 薄れゆく意識の中で青年は、会った事のない父親の姿を思い出していた。



幼少期から天上界の孤児院で育った自身には、産みの母と育ての父がいるはず。



 だが顔すらろくに思い出せないが、微かに記憶の片隅に出で立ちだけがぼんやりと浮かんでいた。



彼の走馬灯は昼下がりのうたた寝の様に淡く、どこか懐かしくも蘇った。




「なんで半年で・・・どうして死んだんだよ・・・」




 人間の男が病院の中で泣いている。



青年の走馬灯は泣いている男を、見上げている様に写っている。



 だがそれではまるで自身が死に、男は自身を見て泣いているかの様ではないか。



やがて青年の意識は消えかけ、苦しさよりも不思議な快楽すら感じ始めた。



いよいよ溺死するというわけだ。



 走馬灯も終わりがけか、徐々に情景が薄れかけている。




「よお祐輝、お前の息子は俺にとっても息子の様だ」

「ち、父上・・・」

「俺の名は鞍馬虎白。 神族だ」




 青年は水中の中で目を見開いた。



記憶から消えかけていた父の名が蘇ったのだ。



 水中の中では溺死した仲間達が無惨に流されていくが、どうした事か青年だけは今だに体が動くではないか。



まるで神族の様な頑丈さをみせた青年は水中で藻掻きながら、岸へ手を必死に伸ばした。




「第・・・七感・・・お、俺の父親は鞍馬虎白だ!!」




 青年は水中から飛び出すと、木にしがみついた。



そして彼は確かに言ったのだ。



 父の名は鞍馬虎白だと。



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