デスパレヰシオン-④

   


  *    *    *



 降りしきる雨の中、ホルマリーナは全てが白色の石でつくられた城の前に立っていた。

 傘をさしたヒースローがバルコニーからホルマリーナを見下ろしている。


「デルレイを殺しに来たのかい?」


 口元だけを小さくにやつかせたヒースローの顔を、ホルマリーナは睨み上げる。

 ヒースローが持っている傘をくるくると回して笑った。


「今頃、君の城は僕の部下たちに制圧されるんじゃないかな」

「……」

「それとも、それを知ってここまで来たのかな? いまこの城でまともな戦力が僕ぐらいだと試算して?」


 ホルマリーナは無言で右腕を前に差し出す。

 足元に溜まった雨が、頭上から降りしきる雨が、彼女のその動作にあわせて空中で二匹の魚の形状に収束してゆく。


「そんな古めかしい魔法で、この僕をも殺すつもり? 甘いよね。僕を誰だと思ってる? 今日の天気を知ってる? 雨だよ。君の好きな雨。でも、僕だけを愛す雨」

「……双魚(ピスケス)」


 ホルマリーナが聖臓(オルガン)の名前を口にすると、彼女の目の前の魚たちは空中を泳ぐように上昇してゆき、ヒースローのいるバルコニーの前でぴたりと停止する。


「命乞いをすれば、見逃してやらなくもない」


 そのホルマリーナの言葉に、ヒースローの顔が固まる。

 傘の下で、今まさに自分の脳天に食らいつこうとする二匹の透明な魚をみつめながら、そして彼は笑った。


「こんな金魚で、ボクを……アハ、アハハハハ」


 ヒースローが腹を抱える。


「雨に唄えば(シンギン・ザレイン)」


 そう呟きながら、ヒースローは持っていた傘をぱたりと閉じた。

 それから持ち手を両手でしっかりと握ると、ゴルフのスイングでもするみたいに、空中で傘を大きくなぎ払った。

 鼓膜を突き刺すような高音と共に、空間がばきりと割れる。

 少なくとも、ホルマリーナには景色がそう見えていた。

 ヒースローの手前から空がふたつに割れて、一瞬でただの雨に戻る魚たち。

 これは、と思った瞬間にはもう遅かった。


 ばしゃり。

 雨の溜まる床に。ホルマリーナの上半身と下半身が転がった。

 何が起きたのか? 理解する間も与えられずに倒されたホルマリーナは、現実を飲み込めずに目を見開いていた。

 これは、一体……?


「……君の魚がいくら優秀でも、僕の傘には及ばない」


 バルコニーから飛び降りたヒースローが、ホルマリーナの隣に着地する。


「愚かな奴。でも君は”何も持たない者(ホルマリーナ)”。君の人工臓器(アフェレイシス)に僕は興味なんてないのさ」

「……」


 ヒースローの靴が、ホルマリーナの頭部を踏みつける。

 地面に押しつけられたホルマリーナの顔が水溜りに沈んだ。


「君を殺したらどうなるのかな。僕は興味があるのさ」


 槍のように突き出された傘の先端が、ホルマリーナの背中に突き刺さる。

 ヒースローは傘を引き抜くと、同じ動作を何度もホルマリーナの背中に繰り返した。

 内蔵を潰されている。

 痛みを感じずとも、ホルマリーナは自分の身に何が起きているのかを理解した。


「さあ、最後は眼球だけど……」


 膵臓、肝臓、肺、胃、心臓を貫いた傘の先端が、ホルマリーナの後頭部にこつりと当たる。


「ほんとうに死んじゃうなら、最後に俳句でも読ませてあげるよ?」

「貴様は……」


 ん? とヒースローが聞き耳を立てる。

 地面に押しつけられたホルマリーナが、低く何かを呟いている。


「何かな?」

「……」

「おーい、全身ハチノス女」


 ヒースローがサッカーボールのようにホルマリーナの頭を蹴り飛ばす。

 その瞬間、獣のように歯を剥き出して笑うホルマリーナの顔がヒースローを睨んだ。


「……貴様の負けだ、ヒースロー」

「は?」

「忘れたか? 私は何も持たない者。この命さえも……所詮は借り物。今夜この場所に来たのは、お前の聖臓をこの目で”視る”ため」

「……」

「デルレイは、私が必ず殺す」


「うるさいよ」


 ぐじゃ、という音と共にヒースローがホルマリーナの頭部を踏みつぶす。

 雨の溜まった地面に赤い血が海のように広がり、やがて周囲は水の落ちる音しかしなくなった。


 ヒースローは傘をひらいて、鼻歌を歌いながら城の中へと戻ってゆく。

 ホルマリーナは死んだ。

 他のやつらと相違なく、ただ無様に死んだ。


 城の門を開けた瞬間、そこに子熊のぬいぐるみを抱えたデルレイが立っていた。

 ヒースローが微笑む。


「……ねえデル」

「なあに? ヒースロー」

「僕たちはどうしてバカみたいに毎日誰かを殺し続けないといけないんだろうね?」


 デルレイが首を傾げる。

 ヒースローはゆっくりと持っていた傘の滴を払うと、そこについたホルマリーナの血液を指ですくってぺろりと舐めた。

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