デスパレヰシオン-③
少年はどこからかスプーンを取り出した。
銀色で、小さくて、どこにでもある可愛らしい食器だ。
少年は右手に黒い手袋をしていた。
スプーンはその手に握られている。
少年は、手袋をしていないもう一方の手……左手にスプーンを持ち帰ると、そのままそのスプーンを蛾灯悠一郎めがけてスローイングナイフのように投げつけた。
(……?)
空中で回転しながら飛んでゆくスプーン。
その途中。
蛾灯悠一郎に命中する寸前、そのスプーンはその場所で”脱皮するように巨大な投げ斧に変化”した。
(……!)
ヒュン、という音とともに蛾灯が鎌を振り払う。
投げられた斧はその瞬間、空中で静止した。
「あれ」
「”スピードを殺しました”。残念でしたね?」
面食らった様子の少年に向かい、蛾灯は俺の腹を切り裂くのに使ったナイフを取り出す。
「喧嘩は得意じゃないんですが……」
左手にナイフ、右手に鎌を握ったまま、蛾灯は少年に接近する。
リーチの長い鎌の先端が少年の両腕を狙って真横になぎ払われる瞬間、少年はまたもどこからか取り出した食事用のフォークとナイフを右手から左手に移し替えた。
ガキン、という金属同士の衝突音。
少年の目の前で、騎士が持つような長剣と槍が柱のように地面に突き刺さり、鎌の一撃から少年の身を護っていた。
「便利な魔法ですねえ」
蛾灯が嬉しそうに呟く。
「あげないよ」
少年がバターナイフを長い柄がついた斧に変え、蛾灯の心臓を狙って振り下ろす。
その一撃も、蛾灯が鎌を振り払うのと同時に空中で勢いを殺される。
その様子を眺めているうち、俺は自分の口の中に鉄の味がひろがるのを感じた。
はじめは薄く、徐々に濃く。
俺の顔にかかった蛾灯の血液が、俺の口内に流れ込んだものだろう。
(……あれ……)
その血を舐めていると、俺は動かせなかった身体を少しずつ動かせることに気がついた。
指先だけだが、かすかに動かせる。
さっきまではあの鎌で切られた腕は、指先ひとつ動かせなかったのに。
舌を伸ばして、口元の血を舐めとってみる。
さっきより多くの部位を動かすことができた。
……間違いない。
俺はある確信をした。
「ラチがあきませんね……」
幾度なく繰り返された少年との攻防の末、蛾灯がぽつりと呟いた。
「私の〈シカゴ〉はどうやら、無限に武器を生み出せる君のような能力と相性が悪いようですね」
「僕もそう思った」
「もっとも、私の聖臓(オルガン)は一撃必殺。いかに相性が悪かろうが、君が一回ミスをすればそれで終わりですよ」
モデルのように整った顔で、蛾灯がにこりと微笑む。
少年の体力は少しずつではあるが、確実に消耗されている筈だった。
目の前で物体の運動エネルギーをゼロにしてみせる蛾灯の能力。
その身に受ければ同じことが起こると理解しているであろう少年は今でこそ見事な攻防を繰り広げているが、その集中力がいつ途切れるかは誰にもわからない。
少年の顔に焦りはないが、この状況が永遠でないことは理解している様子だった。
「左からいきますよ〜」
そう言いながら、蛾灯は少年の右側から鎌をなぎ払う。
「右じゃん」
嘘つき。そう呟きながら少年はフォークを槍に変え、その一撃を受け止める。
そこに隙が生まれた。
ガトウのコートの内側から放たれたナイフの一撃が、少年の左肩に深く突き刺さる。
死角。
その思わぬ一撃に、少年の目が見開かれる。
「ほら、左からでしょう」
「ずるくない?」
「嘘はついてませんよ?」
ナイフで封じられた少年の左腕。
そこに握られる筈だったナイフが、少年の右手からぽろりと落ちた。
「私の勝ちです」
片腕で、蛾灯が鎌を振り上げる。
少年は諦めたように、蛾灯のその様子をじっと眺めていた。
勝利を確信するように、蛾灯が満面の笑みをこぼす。
「……お兄さんさあ、野生の動物が一番隙だらけな瞬間って、知ってる?」
少年はぽつりと呟いた。
「……知っていますよ、勿論。獲物をしとめた瞬間でしょう?」
「お兄さん、隙だらけだよ」
「いいですね。君のその強気なところ。それでは、こんな言葉は知っていますか? ”負け犬の遠吠え”」
「……」
蛾灯が腕を振り下ろす。
鎌の刀身が少年の身体に触れ、蛾灯が腕を引くと同時に、それは少年の身体を風車のようになぎ払った。
「”君のスピードを殺しました”。スピードとは慣性であり、運動エネルギーのことです。君はもう、その身体を指一本動かすことはできません」
少年の体が床に崩れ落ちる。
俺と同じように、あの鎌に触れられたものは全て、ありとあらゆる”動力”をゼロにされてしまう。
でも、よく頑張った。
一撃で人形のようにされてしまった俺にくらべて、あの少年はよく戦ってくれた。
だからこそ、思う。俺は、こいつを……
「さあ、手術の続きをしましょうか。残るは眼球だけですからね、ねえ、コーマ君……」
振り向こうとする蛾灯悠一郎の首筋に、四肢がかろうじて動くようになった俺は、狂犬のように噛み付いた。
目の前が赤く染まる。
この男の首筋に俺の歯が食い込み、頸動脈を千切って血液をスプリンクラーのように吹き出させる。
その液体を、俺は喉を鳴らしてもう存在しない胃の中へと流し込んだ。
喉が鳴る。
口と鼻いっぱいにひろがる鉄の匂いが、俺の意識をただ真っ赤に染め上げた。
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