第48話 それ以上 いけない

 見渡す限り、荒涼とした荒れ地とステップが続く。もう半日ほど馬車で進んでいるが景色は変わらない。


「これは…徒歩での移動はちょっときつかったかもな…」

 景色を眺めながらアカネが発言した。


 国境という物は通常、川や山の頂上、峠で決まっている。多くの場合、そういう境界になる部分までしか隣国が侵攻できなかったため、そのせめぎ合いの結果国境として残るのである。


 弱い国だと関係のある大国同士の取り決めの結果で切り分けられることもあるが、基本的には国境はそうやって決まる。


 しかし、ヘイレンダールは少し違って見えた。確かに高山の峰で決まっているのだが、それを越える前と後では明確に景色が違うのだ。完全に別の世界が広がっている。


「急に景色が変わるんで驚いたでしょう。」

 馬車の前の方に座っていたエイヤレーレがアカネの方に振り向いて話しかけてきた。

 強い日差しによる逆光で彼女の笑顔は神々しくさえ見えた。


「国境のベルツ山脈で遮られて、ヘイレンダールまで雨雲がこないのよね。」

 また進行方向に目線を戻しながらエイヤレーレが話し続けた。


「御覧の通りヘイレンダール、旧イルネット王国はあまり豊かな土地じゃないわ。

 ここ50年程大きな戦争が起きていなくて、他の国は平和の恩恵を享受して豊かになったけど、この国だけは困窮した。

 そこに救世主のごとく現れたのが魔王様、ってとこね。」


 エイヤレーレが国の簡単な状況を説明してくれた。


「まだ最大国家のノルアとイルセルセへの侵攻は上手くいってないけど、南部の海洋国家群は支配下に置いた。これだけでも庶民の生活は少し楽になったはずよ。」


「南部海洋国家群は大規模な兵員の輸送や兵站の確保が難しくてこれまではどこも侵攻を諦めていた地域ですよね?どうやって攻略したんですか?」

 御者をしながらチクニーがエイヤレーレに問いかける。その内容はまさにアカネが今知りたい情報ではあったが。


 エイヤレーレはにこにこと笑いながら、この質問を聞こえないふりをして無視した。さすがにそんな重要な情報をぽろぽろ話すほどポンコツではない。


 こんな質問ばかり続けていればエイヤレーレの不信感を買うこととなるが、そもそもトレントの件でエイヤレーレに恨みのあるチクニーはそんなことお構いなしだ。


「見えてきた!あれが国境に近い最初の村、ベヤレよ!」

 エイヤレーレの言葉とともに最初の村が見えてきた。国境から一度も野営せずに村につけたのは、やはりエイヤレーレの用意してくれた馬車のおかげである。

 一人で身軽なエイヤレーレと違ってアカネ達は荷物が多い。徒歩ではこうはいかなかっただろう。


 村に着くと、もう日も落ちてきていたためすぐに宿をとって軽く打ち合わせだけして休みをとった。



「筋肉痛の時はやらない方がいいの?」


「最新の研究ではできる範囲でやった方がいいらしいよ。それより重要なのは血中のたんぱく質濃度を常に高く保つことで…」


 アカネとエイヤレーレがなにやら難しそうな話をしていたが、他のメンバーは就寝することにした。



 次の日、出立する前にアカネが村で調べたいことがある、と発言した。

 彼女が言うには魔王に直接話を聞く前に実際に市民が彼のことをどう思っているのかを実地調査したいのだという。


 これに対しエイヤレーレは自信満々で「お好きにどうぞ」と答えた。魔王の治世によほど自信があるようだ。


「私が言うのもなんだけどね。はっきり言って魔王様ほどの大人物を私は見たことがないわ。ノルアのナクカジャも、イルセルセのスルヴも、なかなかの人物らしいけど、魔王様には敵わないわね。」

 やはり自慢げにエイヤレーレが語る。


「まあ、確かにナクカジャ王は大人物だけど、スルヴはなあ…」

 アカネは自分を認めようとしないスルヴ王を『王』とすら呼びたくないようだ。


 エイヤレーレが言うには、魔王は強大な力を持ちながらも決して驕ることなく、王宮でも倹約につとめ、常に民のことを第一に考えて行動している、王とはかくあるべきという人物だという。


「なんかなあ、そこまで言われると意地でも魔王のあら探ししたくなるんだよなあ。なんかあんたらに言えないような秘密とか持ってんじゃないの?」

 アカネがいつものように嫌らしい笑顔で茶化すが、どうやらその程度ではエイヤレーレは身じろぎもしないようだ。


 アカネはしばらく歩いて村の雑貨屋に入っていき店主にインタビューした。当然エイヤレーレも一緒であるが、彼女の身分は明かさない。忌憚ない意見を聞くためである。


 アカネが店主に聞いてみると…

「う~ん、…まあ、微妙、かなあ?」

 エイヤレーレの顔から余裕の笑みが消えた。


「え?…いや、微妙ってことないでしょ?絶対生活楽になってるって!よく思い出して!!」

 先ほどまでの余裕が一転、エイヤレーレが必死になって店主に問いただす。


「ちょ、ちょっと、エイヤレ、…エイヤ!落ち着いて!」

 思わず本名を言いそうになってアカネが言い直す。


 店主から離れて小声でエイヤレーレに注意する。

「あのねぇ、落ち着いて!忌憚ない意見が聞きたいんだから!バイアスのかかってない生の情報が知りたいのよ!!」


「だ、だって!そんなはずないのに!絶対前より楽になってるのに!!」

 少し涙をにじませながらエイヤレーレが弁解する。


(コイツ…予想外の事態に本当に弱いな)

 心の中で呟きながら再度アカネが店主に問いかける。


「まあ、確かに南部の方とかは交易で景気が上がってるって聞くんだけど、うちらはなぁ…

 やっぱ、実感としては前とそんなに変わらないかなあ…」

 店主の口からは色よい反応は見られない。


「まあ、ここは国境が近いから、ノルア王国との戦争が終わったのだけは良かったかな?」

 ノルア王国との戦争が始まったのはヘイレンダールになってからなので、むしろマイナス評価である。


 これにエイヤレーレが縋るように店主に食い下がる。

「あのね!絶対良くなってるはずなのよ!

 だって魔王様が即位して2年よ!その間ずっと戦争してるにもかかわらず生活の質が落ちてないってことは実質…」


「落ち着けってエイヤ!今アタシが話してるんだから!」


「アカネさんちょっと下がってて!この分からず屋に真実を教えてあげないと!」

 もはや当初の目的を完全に見失っているエイヤレーレである。


 聞く耳を持たないエイヤレーレの乳を、正確に言うと詰め物をアカネがガシッと掴み、そのまま下にスライドさせる。

 その瞬間エイヤレーレがアカネの手首をつかんでそれを阻止して、元の位置に戻した。


「それ以上

 いけない」


 エイヤレーレが言葉を発するとともに冷静な顔になり、不気味な沈黙とにらみ合いが始まった。


 アカネが手を離すと、エイヤレーレも手を放し、沈黙のまま店から出て行った。

 店主は何が起きたのか状況が分からず怯えている。


 一行がしばらく沈黙のまま歩いて店から離れると、エイヤレーレががくっと地面に両膝をついた。

 心配したアカネが覗き込むと、彼女は涙を流していた。


「なんで…なんで…?

 私達も、魔王様もあんなに頑張ってるのに…なんで分かってもらえないの…」


「民衆にとっては結果が全てだよ。」

 エイヤレーレの気持ちを全く考えようとしないアカネの言葉に、チクニーがそれを咎めようとしたが、さらにアカネが続けた。


「だったら、結果がでるまでやるしかない。それだけでしょ。」


「私達は、ただ民衆のために尽くすしかないって言うの…?たとえそれが報われなくても…?」

 エイヤレーレの問いかけはアカネに対してではない。自分に問うているのだ。


「言い訳をして、泣き言を言って、誰かに慰めて貰いたいのか?違うだろ?もう答えは出てるんじゃないのか?前に進むしかないって。」

 アカネの言葉に、エイヤレーレが涙を拭いて、キッと前を見据えた。


「民衆がついてこようが、こまいが、私達は歩みを止めない。自分の信念に基づいて進み続けるだけ。」


「当然よ。信念のない政治家なんて、存在意義がないどころか、有害ですらある。もし信念を捨てるようなことがあれば、アタシが間違いなくあんたを殺すわよ。」

 恐ろしげな台詞を吐きながらも、アカネはどこかさわやかさを感じさせる笑顔でエイヤレーレの方を見ていた。


 しかし、エイヤレーレはまた表情を暗くして恨み言を続けた。

「でも私は、今日あったことは決して忘れない。この恨みを忘れる事なんてできない。」


「エイヤレーレさん…」

 エピカが心配そうに呟いた。


 エイヤレーレはアカネの方をにらんでさらに続ける。

「私のパッドを二度にわたってずらした貴女のことを!」


「そっちかい!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る