第17話 小さな恋の唄

 ここ、ラーライリア大陸は温暖な気候で知られるが、さすがに11月も近づく秋深く、野営をするのも道を行くのもずいぶん寒さを感じるようになってきていた。

 しかし峠を下る道中、コンコスールの瞳は希望に燃えていた。燃えてはいるのだが…


 当初の予定ではエイエと自分の悲恋を語ることでアカネの同情を誘い、うまくゆけば彼女の方からエイエを救い出すことを提案してもらうよう仕向けたかったのだが、さすがに『闇の勇者』からはそんな甘い言葉は聞けなかった。


 此度の道中、彼は全体の指揮と作戦を任される運びと相成った。

 はて、これは困ったぞ、と彼は考える。何しろこれまでの人生で自分の決断で道を進んだことなど一度もないのだ。

 奴隷としてその生を受けた環境もあるだろうが、彼は主体的に物事を進めるのが大の苦手であった。


 いわば指示待ち族、というものである。実はギヤック家のある町を目の前にしてもいまだにノープランであった。


 エイエに「自由の翼を与えたい」などと偉そうなことをほざいてはいるが、彼にとって「自由」など重荷でしかないのだ。

 「自由」がなんであるかは朧気ながら知っている、だがそれを実際に経験したことはない。

 なにやら素晴らしいものであるらしい、と噂に聞いてはいるのだが…


 そして突然天から降って湧いたように現れた、今回の生まれて初めての「自由」である。

 はてさてどうしたものか、なぜ皆こんな厄介なものを欲しがるのか。


「まあ、どうにかなるさ…」彼は自分に言い聞かせるように小さく呟いていた。

 「出たとこ勝負」はイルセルセ人全体の気質であり、良きところでもあり、悪しきところでもある。


 ギヤック領の町に着くと、とりあえず宿をとることにした。いざ荒事になった時、疲れていては話にならない、というアカネの提案である。


 宿の食堂でビシドとエピカが二人で話していた。


「実際エピカちゃんさあ、今回のことどう思ってるの?コンコスールのことあきらめたわけじゃないんでしょ?」


 コンコスールの話では何が何やら、といった感じであったが、道すがらアカネに丁寧に説明されて、どうやら漸くビシドも事態を呑み込めたようである。


 エピカはうつむきながら、力なく答えた。

「正直複雑な気持ちです。コンコスール様と結ばれたい、という気持ちも、もちろんありますが、彼に幸せになってほしい、という気持ちもあるんです。

 いろいろ考えた結果、彼が望むことなら存分にやってほしい、と思うことにしました。

 どのような結果になっても、それは天の采配だと思います。…思うことにしたんです。」


 ここまで話して、エピカはテーブルに突っ伏してシクシクと泣き出してしまった。


 エピカの泣く姿を見て、ビシドは複雑な表情になりながらも、この場にコンコスールとアカネがいなくて本当に良かったと思った。

 きっとあの二人がいたら話が逸れに逸れてぐだぐだになっていたに違いない、と思ったからである。



 次の日の朝、一行はギヤック家の館に向かった。

 しかし、事と次第によっては奥方を攫おうというのだ、当然正面からは入らない。しばらくはギヤック家の広大な敷地の周辺を観察し、様子を探ることとした。


 敷地の森に入り込み、しばらく彷徨っていると、人を見つけた。

 最初は使用人にでもうまく取り持ってエイエと話をしたいと思っていたのだが、どうやらその人影はエイエ本人のようだ。物語の都合もあるが話が早い。


 その人物は穏やかな光に包まれた庭園に置かれたテーブルと椅子で、そろそろ終わりも近いコスモスの香りを楽しみながらハーブティーを喫しているようであった。


「エイエ様…」

 コンコスールが取り付かれたようにふらふらと茂みから立ち上がり、無造作に近づいてゆく。


「うお、あいつノープランで行きやがったぞ!」

 小声でアカネが呟く。そう、彼女たちは屋敷には来たものの、何をどうするか、コンコスールから一切何も聞いていないのだ。


「ま、まあ、こうなったらもうあのコンコスール野郎に任せるしかないよ。」

 人の名前を形容詞のように使いながらビシドも小声で呟く。


 エピカは、ただ静かに見守っている。


「エイエ様…私を覚えておられますか…?」

 コンコスールが話しかける。当然ながら今日は野盗から奪った鎧と剣は装備していない。エイエの警戒心を解くためにも、最初に着ていた粗末な麻の服だけである。


「あなたは…もしかしてコンコスール…?」

 話に聞いていた通り小鳥のさえずるような美しい声でエイエが答える。

 とりあえず、顔は覚えていたようだ。一同はほっと胸をなでおろす。

 全然覚えていなくてトットヤークの時のように腹の探り合いになるような事態は免れたのだ。一瞬アカネに悪寒が走る。


「噂は本当だったのですね。政略結婚の為ギヤック家に嫁いだという…」


 コンコスールの「政略結婚」という言葉を聞きながら、アカネがふと、あることを口にした。

「なんかさ、…聞いてた話とちょっと違わない…?」


「そうだね…牢獄に入ってないじゃん…」

 ビシドが的外れな回答をする。どうやらまだ完全には理解していなかったようだ。


「ずいぶん自由にしてますし…なにより幸せそうにしか、見えないというか…」

 パーティーにアホじゃないやつが一人いるだけで話の進み具合が随分と違う。


 コンコスールが話しかける前、エイエは穏やかな笑顔を浮かべており、時折腹を静かにさすっていた。


「いや…まさかとは思うけど…」

 アカネが独り言をつぶやいている。


 視線をコンコスールたちに戻すと、どうやら話を続けているようだった。

「噂には聞いていますわ。勇者様の従者をしているそうですね。『月刊勇者』にも書いてありました。」


「『月刊勇者』!最新号が出てたのか…!!アタシの事も書いてあるのか!?」

 声が大きくなってしまったアカネをビシドとエピカがおさえる。

 アカネは承認欲求が強い。


「女だてらに勇者を名乗って、あの剣聖エルヴェイティ様を倒すなんて…本当にすごいですね。」

 このエイエという人物は本当に穏やかな語り口調だ。勇者一行との対比で一層そう感じる。


「ま、まあ…ほとんど私が倒したようなもんですけどね。勇者様は本当に危なっかしいというか、エルヴェイティ様を激怒させていましたし。」

 コンコスールが頬をぽりぽりと掻きながら恥ずかしそうに答える。


「あんのクソ野郎……ッ!!誰のせいで剣聖と戦う羽目になったと思ってんだ…!!」

 アカネは今にも飛び出しそうだ。エピカがはらはらしながらそれを見ている。


「まあ、そうだったんですの?ずいぶん気性の激しい方らしいですね。それでは従者をするのも大変でしょうね。」

 かつての自分の付き人を気遣う心優しいエイエ。


「ははは…まあそうですね、生傷が絶えませんよ。

 でも、いいところもあるんですよ。たとえば…」


「…たとえば…んんっ…たとえばですね…

 いや、ホントあるんですよ?ただ、ちょっとすぐ出てこなくて…もうちょっと待ってください。」

 コンコスールが眉間にしわを寄せて苦悶の表情を浮かべる。


「んだよお!あるだろ!?顔がかわいいとか、美しい黒髪をしてるとか!!あと生傷が絶えないのはお前が失礼な発言ばっかしてるからだろうが!!」

 今にもマチェーテを投げつけそうなアカネをエピカとビシドが必死で押さえる。


 5分ほど沈黙が続いた後、絞り出すような声で脂汗を浮かべながらコンコスールが語った。

「む…胸が小さくて機敏な動きが出来る、とか…」


「あいつホント許さねえ!!エピカより先にアタシのマチェーテけつの穴に突っ込んでやるわ!!」

 ビシドはアカネを押さえつけながらベイヤット山でのエルヴェイティを思い出していた。


 コンコスールが一転真面目な顔になって話し出した。


「今日は、そんな話をしに来たのではないんです。勇者様の話は…人格破綻者の勇者様の話はどうでもいいんです。」


「なんで今言い直したあ!!」

 どうやらアカネの怒りはコンコスールに一撃入れるまで収まりそうにはない。


「私は政略結婚を強いられて、望まぬ契りを結ぶ羽目となったエイエ様を助け出すためにここへ来たんです…!」

 コンコスールがついに核心に迫った。


 これに、一瞬驚いたが、穏やかな声でエイエが返す。


「政略結婚…ふふ…確かにそうですね。

 はじめは私も嫌でしたわ…」


「あ、…これまずいパターンだ…」

 一足早く事態を察したビシドが呟く。


「でも、結婚したルートル・ギヤック様は決して私に何かを強要したことはありません。

 素晴らしい人格者で、私はとても彼を尊敬しておりますわ。

 …私、今とても幸せですの。」

 最早この一言だけで本来は勝負は決しているのだが…


 エイエの言葉にコンコスールは一瞬あっけにとられたような表情をしたが、すぐに持ち直す。

(かわいそうに…そうやって無理やりにでも自分を納得させることしかできないんだな。)

 いらぬ推察をする。


「人を愛するということは…だれかに…親に強制されてすることではありません。」


「まだ続けるの?コンコスール様!無謀です!!」

 小さい声でエピカが叫ぶ。


「そうね。さっきも言った通り、ルートル様は私に何も強要しないわ…もちろん他の人もね。」

 そう言うとエイエはコンコスールにとどめを刺すべく、すっと立ち上がって自分の腹をさすった。


 先ほどアカネが「まさか」と言ったのはこれであった。腹が少し膨らんでいる。


「私と、ルートル様の子を…授かっているのです。」


 妊婦であった。


 これにはさすがのコンコスールもひざがかくっ、と落ちて倒れそうになった。

 しかし堪えるコンコスール。


(倒れるな…!ここで倒れたら一体だれが戦うというんだ…ッ!!俺のために戦えるのは、俺だけなんだッ!!)


 そうではない。倒れていいのだ。倒れるべきなのだ。

 これがボクシングであればとうの昔にタオルが投げ込まれているほどの事態なのだ。


 それでもコンコスールは折れない。何がこの男を突き動かしているのだろうか。この男は物語の主人公が自分だとでも思い違いをしているのだろうか。


「バカ!もう下がれ!!これ以上傷口広げてどうするつもりだ!!」

 アカネには安西先生が「諦めてください。もう試合終了してますよ。」と懇願している姿が見えた。


 自分への死体蹴りを続けるべく、足元のふらつくコンコスールは口を開いた。

「エイエ様…おかわいそうに…腹の子供までは憎めないでしょう…」

 一瞬溜めて、さらにコンコスールが続ける。


「ですが!それは私も同じです!!」

 何の決意だ。


 それはエイエには分らない。


 言った本人、コンコスールにも分からない。


 エピカにも分からない。


 ビシドにももちろん分からない。


 アカネは走り出していた。


 コンコスールは走って近づいてくるアカネに気づくと、自身も少しずつアカネに向かって歩き始めた。だが、その歩みは夢遊病者の如く頼りない。目の焦点も定まっておらず、これはいよいよ尋常ではないことを、その全てが物語っている。


 次の瞬間、アカネの右足より、上段回し蹴りが発せられた。慈悲に満ちた介錯の回し蹴りである。


 これに対し意識の混濁したコンコスールではあったものの、とっさに腕を上げてガードの姿勢をとる。たとえ体が倒れたがっていてもそれを小脳が許さないのだ。


 だが、剣聖との戦いで実力をつけたアカネの技はそれをはるかに凌駕する。


 蹴り足が彼の腕に当たる寸前、軸足を反転させて踵を相手に向ける。すると、右足はコンコスールのガードを軽々と飛び越え、今度は真上から彼の首筋を襲った。

 ブラジリアンキック、である。


 糸の切れた操り人形の如くコンコスールがその場に崩れ落ちると、アカネはエイエの方に軽く会釈をして挨拶をした。


「いや、ホントすんませんでした。元気なお子さん産んでください。」


 コンコスールをひょい、と担ぐと、闇の勇者一行は森の奥に消えていった。

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