第9話 こんどこそ剣聖
「出てくるのが遅れてすまんな。あまりにもやり取りが面白いので隠れて見ていたのだ。」
山中には心地よい風が吹いている。森の木々は鬱蒼とするほど生えているわけではなく、適度な密度を保っており、日当たりもそこそこ良い。何か非常事態があったとしても、そう、例えば軍勢に攻められたとしても木々が適度に遮蔽物になって、守るにも都合がよい。なるほど、修行場所に選ぶには絶好の山である。
アカネは剣聖を前にして緊張していた。
この男がどれほどの力を蓄えているのか、その一点に興味が全て集中しているのだ。
彼女がこの異世界に来てから、よほど時間がない時以外は基本的に筋力トレーニングを欠かしたことはなかった。以前にも記した通りこの世界では地球で鍛錬をした時よりもはるかに高い効果を得られる。はっきりと効果が感じられるのが楽しくて、何よりこれからの旅路に必ず役に立つ、と信じて鍛錬を欠かさなかったのだ。
しかし、それとは裏腹にこの世界の住人は努力嫌いである。王都にいた時、正騎士ですらほとんど鍛錬にまじめに打ち込んでいる者がいないことに気づいていた。
少しの鍛錬で十分な効果が得られるから、と、ある程度の努力をして満足してしまうのだ。
なるほど、確かにこの世界で異世界から来たまじめな人間が必死で鍛錬をすれば、どんな才能のない人間でも勇者としてあがめられる力が得られるのだろう、とも感じていた。
実際野盗と戦った時も、ほとんど喧嘩の経験などないアカネが勝利を得ることができたのだ。
しかし、今アカネの目の前にいるのは、そんな世界で人生を賭して剣の道に邁進した「剣聖」と呼ばれる人物である。気が触れるほどの努力の末にその称号を勝ち得た「本当」の強者なのだ。
「血気盛んな若者、といった感じだな。」
剣聖がアカネ達を見定める。
「血なまぐさいな…これまでにどれほどの人間を切ってきたのか…」
血なまぐさいのはコンコスールが死体からはぎ取った鎧を着ているからである。
「剣聖エルヴェイティ様、あなたに力を与えてほしいのです。魔王を倒すため、その奥義を私に教えてください!稽古をつけてほしいんです!!」
アカネが懇願するように剣聖に語り掛ける。
「奥義か…奥義ね…」
剣聖がしゃべりながら歩いて、その辺に落ちていた木の枝を拾った。
「勇者殿…剣の神髄とは何か、分かるかね?」
アカネの主張をひとしきり聞いた剣聖が歩きながらアカネに尋ねる。
「剣の神髄…?いえ、私のような若輩者にはそんなこと、とても…」
アカネが戸惑いながら答える。
すると剣聖が木の枝を振りながら語り始めた。
「剣なんてのはなぁ、太刀を担いで、届く位置まで近づいて、振り下ろす!これだけよ!
奥技、秘技なんて声高に叫びながら相手の剣をひらりと躱して己の剣だけを当てようとする、なんて卑怯な考えは、まっこと盗人の理のごときものだ!」
木の枝を剣に見立てて振り下ろしながら話す。
剣聖の語りが終わると、しっかりと決意した表情で真っすぐにエルヴェイティの方を見据えて、アカネが答えた。
「それで構いません!そのすべてを私に叩き込んでください!」
「俺の稽古は厳しいぜ…?鍛錬に耐え切れず逃げ出す者も後を絶たないが…?」
にやり、と笑って剣聖がアカネに問いかける。
アカネは剣聖の方をしっかりと見据えたままコクリ、と頷いた。
「しっかりついて来いよ?俺は剣の道を志してから40年、毎日2時間、ただの一度も稽古をしなかった日なんてねぇ…」
「はい……え?」
予想していたものと全く違う発言に、流れで相槌を打った後、思わずアカネは聞き返してしまった。
「ふっ、さすがにびびっちまったか…?そう、たとえ雨の日でも風の日でも鍛錬はやめねぇ。まあ、さすがに雪の日はちょっと考えるがな!」
笑いながら剣聖が続けた。
「え…いや…ええ?」
アカネは剣聖の語りが冗談なのか本気なのかを測りかねている。疑問符しか出てこない。
「お前にも毎日2時間!たとえ弱音を吐いてもきっちりやってもらうからな!女でも容赦しねえぞ!!」
…どうやら本気のようだ。
「そんな…雨の日でも風の日でも…!?」
「これが『剣聖』と呼ばれるものの鍛錬の秘訣か…正気とは思えない…」
ビシドとコンコスールが口々に剣聖を畏怖するセリフを口にする。どうやらこいつらも本気のようだ。
これで正気ではないとか言ってしまうのなら日に30時間のトレーニングという矛盾を現実にするジャック・ハンマーは何に当たるのであろうか。
「高校生の部活かよ…」
思わずアカネから本音が漏れる。
「エルヴェイティ様…本気ですか?毎日2時間の鍛錬など…彼女にはまだ早いのでは…?」
門で対応した若者が震えながら考え直すように口をはさむ。
どうやらこいつもガチだ。
「強くなりたいんなら当然だ!これからは毎日!週1回の休みの日以外は毎日鍛錬してもらうぜ!!」
みるみるうちにハードルが下がっていくのをアカネは感じた。
「いや、週1回休むなら毎日じゃないじゃん。真面目にやってほしいんだけど?」
耐え切れずアカネが本音をぶつける。
「ん…いや?…え?」
今度は剣聖が疑問符をぶつける番である。
「いや、『剣聖』と呼ばれる者がその程度の練習量って、おかしいでしょ!?こっちはまじめにお願いしてるんだけど!?」
だんだんとアカネが切れ気味の口調になる。
戸惑いながら剣聖が答える。
「んん~、えっと、俺の練習量がおかしい、って『多すぎ』って意味だよな?」
だんだんとアカネには剣聖の体格が小さく見え始めた。
「そんなわけねぇぇっだろッ!!そんなぬるい鍛錬で強くなんかなれるかっつの!!」
アカネの怒りが爆発した。
「な、なんだと貴様!この俺を愚弄するか!?じゃあお前は自分のやり方で俺よりも強くなれるんだって言うんだろうな!?」
年甲斐もなく今度は剣聖がマジ切れした。
「当然だ!!この方は選ばれし勇者様だぞ!!貴様など簡単にねじ伏せるわ!!」
アカネの言葉の尻馬に乗ったのはなんとコンコスールであった。
この男は先ほどまで剣聖の言葉に畏怖していたくせに簡単に手のひらを返したのだ。太鼓持ちとしては申し分ない才能である。
「おお!おお!じゃあやってもらおうじゃねぇか!!勝負だ!勇者アカネ!!泣いたり笑ったりできなくしてやるからな!!」
とても『剣聖』と呼ばれる男とは思えないような汚い口調である。
「ああ~ん!?調子乗ってんじゃねぇよ田舎侍が!!吐いた唾飲まんとけよぉ!?」
だんだんコンコスールの生まれの悪さが表れ始めた。
だが、仲間がブチ切れると逆にアカネは少し冷静になり始める。
「ちょ、ちょっとちょっとちょっと!コンコスール!!いったん落ち着け!!」
慌てた様子でアカネがコンコスールを諫める。
しかし火のついた剣聖は治まらない。
「ああ!?今更ひよってんじゃねぇよ!てめぇ絶対ぶっ殺してやるからなあ!!」
もはや剣聖の鎮火は不可能である。
「いやいやいや、剣聖さんも落ち着いて!分かった!分かったから!!ちゃんと戦うから!!」
「おうおう!!じゃあ早速やろうじゃねぇか!!…へへへ、今宵のムラサメは血を欲しがってるぜ…!!」
剣聖が得物を舐めながら狂気じみたセリフを口にする。しかし持ってる得物はさっき拾った木の枝である。今宵とか言ってるが今は昼間である。コイツ本当に剣聖なのか。
「いや…あの…落ち着いて!!アタシね!!ケガしてるの!!
さっき血なまぐさいって言ってたでしょ?ここに来る途中野盗の犬ッコロを一匹始末してね!その時にケガしたのよ!」
ほんの半日前まであれだけ落ち込んでいたのに、今度は殺した野盗を犬ッコロ呼ばわりである。もちろんケガなどしていない。
たしかに、半日かけてここまで来て疲労してはいるのだが。
「ああん!?逃げようってのかぁてめぇ!!」
「逃げない!!逃げないから3か月待って!ケガが回復したら必ず来るから!!その時勝負するから!!」
「3か月だぁ!?ふざけんな!そんな大けがしてるようには見えねえぞ!1週間で十分だろ!!」
「2か月!2か月待って!お願い!!」
「ふざけんな3週間だ!そんだけありゃいいだろ!!」
値切り合戦が始まった。
「1.5か月!!いや、1か月でいいから!!」
「4週間!28日で十分だろ!?」
「だめだめ!1か月!!これ以上はまけらんないよ!!アタシも生活かかってんだから!!」
かかっているのは生活ではなく命である。
「いいだろう…じゃあ30日後だ。」
「来月10月だから31日ね!!いいでしょ?1日くらい!!」
値切り合戦もだいぶ細かいところまで来た。どうやら終盤戦といったところである。
「31日ってのは今日から31日目か!?それとも31日経った次の日か!!」
この剣聖、意外と細かい。
「31日経った次の日よ!!その日に必ずあなたと戦うって約束するから!!」
「チッ…いいだろう…逃げんじゃねぇぞ!!」
最早何者もこれを留め得ず
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