第3話 スキレット

 王都を脱して三日、アカネたちは数名の同乗者とともに馬車に揺られていた。落ち着いた態度のビシドとコンコスールに比べてアカネはしきりに立ったり座ったり、手のひらを尻に敷いたりせわしない様子であった。予想以上に尻が痛いのだ。


 当初の心づもりでは道すがらコンコスールに字を習ったり、ビシドに魔法を教えてもらう予定であったが馬車の揺れがひどく、ままならない。


「うう、こんなんじゃ魔王を倒す前に痔になって死ぬわ…」

 気を紛らわすためか、しきりに独り言を繰り返している。


「勇者様、魔王討伐の為国王陛下から特命を受けた者がいる、とは俺もうわさで聞いていますが、本当にあなたがそうなのですか?」

「あ~、それねぇ。武器屋のおやじも全然信じてない感じだったよねぇ。」

 勇者の答えを待たずしてビシドが答える。


「武器屋…王都で装備を整えていたのか…」

「まあ、こっからどういう戦いになるかわかんないから、とりあえずの間に合わせの武器と防具だけどね。」

 アカネが腰に差したマチェーテをなでながら答える。


「その…旅の目的がいまいち不明瞭なため、言い出せないまま馬車に乗ってしまったのですが…

 俺の装備が何もないんですが…」


「あっ…」

 しまった、という顔でアカネが声を漏らす。装備を整えたのがコンコスールとの合流前だったため、彼の装備を整えるのをすっかり忘れていたのだ。


 彼の現状の装備は、というと、奴隷契約をしたときに着ていた粗末な麻の服だけである。

「ちょ、ちょっとアカネちゃん、まずいじゃん!次の町に着くまでに野盗や魔物に遭遇する可能性だってあるんだよ!?」

「間に合わせで何とかするしかない!なんか荷物になかったかな?」


「ちょっと荷物見せてアカネちゃん!

 どれどれ…うわ、大したもんないな…んん?これは鎖分銅?でもこんなの練習なしに使える武器じゃないし。

 これは…配管部品?なんでこんなわけわかんないもんばっかり買ってんのよ!」


 ビシドの激しい追及にしどろもどろになりながらアカネが答える。

「や、ちょっといろいろ試したいことがあったんだよ!あ、これ武器になるんじゃない!?ちょっとコンコスール!とりあえずこれ持っててよ!」


 コンコスールはスキレットを装備した!


「スキレットで…どうしろと…」

「ええっと、盾にもなりそうだし、鋳鉄製で重量もあるしさ…なんとかなんないかな?

 あ、ビシドそういえばナイフ持ってたじゃん!それ貸してよ!!」


「や、やだよ!これは私のなんだから!近接戦になったら何もできなくなっちゃうじゃん!!」

「いや、正直スキレットよりもリーチの短いナイフ一本渡されても大して変わらないが…」


 同乗していた行商人とおぼしき老人が困惑しながら口を開く。

「お前さん方、もぅちっと静かに…」


「静かにッ!!」

 ついさっきまで一番うるさかったビシドが一喝した。

「ど、どうしたの…?」

アカネが不安そうに尋ねる。


「…風上…道の先にだれか人がいる…待ち伏せられてる…?」

「オヤジ、馬車を止めてくれ、緊急事態だ。」

 コンコスールが落ち着いて御者に指示を出す。


 するとビシドが道に飛び降り地面に耳を当てながら状況を語りだした。

「岩場みたいな場所で止まってる…人数は4…いや、5人。近くには馬もいるみたい。」


 少し考えこんでからコンコスールが話し出した。

「まずいな…この先の道は確か崖に挟まれた峡谷になっている。矢を射かけられたらひとたまりもない。急いで駆け抜けるよりはここで応戦したほうがまだ勝ち目があるだろう。」


「コンコスール…」

 妙に落ち着いた声で、さっきまでわたわたしていただけのアカネが話し出した。

「この先の道を、知ってるの?やっぱり始めて通る道じゃないんだね?」


「…今はそんなことはどうでもいい!この馬車に戦える人間は俺たちしかいない。戦いに負ければ、男は全員殺されて、女は慰み者になった後奴隷として売られる。

 お前も奴隷になるんだぞ!」


「そうだよアカネちゃん!くだらない話してる場合じゃない!馬車の床板を外して盾を作って!戦えない人は馬車の奥に!」

 真っ先に馬車の奥に行こうとするアカネ。


「アカネちゃんは!!床板を外して盾を作る!!そんで馬車の防衛!!」

 初めて見るビシドのブチ切れ顔である。


「コンコスールも相手が近接戦の距離に近づくまでは馬車の防衛を!」

「分かった!」


 矢継ぎ早にビシドが指示を出す。さすがにハンターとして場数を踏んだ経験があるのか、内容が的確で迷いがない。


「ちょっとビシド、弓矢はあんたの一組しかないのよ!?まさか一人で応戦するつもり!?そんなショートボウじゃいくらあんたが元ハンターだって言っても…」

「魔法を使う…」

 そういうとビシドは首から下げていた笛を吹き始めた。


 するとどういうことか、先ほどまで馬車の進行方向に対して緩やかな向かい風だったのが180度風向きが変わって追い風になった。

 最初はゆるゆると吹いていた風が次第に強くなってゆく。


「魔法…風の…!?」

 実際に見る初めての魔法に驚きを隠せないアカネ。とはいうものの現象だけ見ると風向きが変わっただけなのであるが、それを自身の魔法であると思わせるだけの迫力が今のビシドにはあった。


「魔法の肝要は魔力の流れを感じること、そして強く意識してイメージを現実化することです。」

 魔法を始めて目の当たりにしたのだろうということを察してコンコスールが説明を始めた。


「イメージをより明確にするために複数の魔法を使用できる者は詠唱を行って、魔法の呼び出しをルーチン化します。ルーチンは言葉による詠唱である必要はなく、彼女のように楽器を使う者も多いです。

 そろそろ向こうもこちらの逆待ち伏せに気づいて近づいてくるか、あきらめて退避するか、アクションを起こすはずだ…」


「来た…!!」

 ビシドが笛を吹くのをやめる。首から下げている笛を背中側に回すと矢を弓につがえた。

 笛も邪魔だろうけどそのでかい胸も邪魔そうだな、と馬車の奥からアカネは不思議と落ち着いた様子でぼんやり考えていた。二人の冷静さに触発されて落ち着くことができたのだろう。


 野盗どもはすでに馬で目視できる距離まで突撃してきている。向こうもやはり弓矢を備えている。

 第一射はビシドからだった。正直ショートボウが届くような距離には見えなかったが、放たれた矢はみるみる距離を伸ばし野盗の馬に命中、一人が落馬した。風はすでに突風と呼んで差し支えない強さとなっていた。


「そうか、それで風向きを変えたのか…!逆に相手の矢は向かい風でこちらに届かない!!」

 アカネの言った通り野盗も弓矢で応戦しながら近づいてくるが、矢はいずれも馬車まで届かない。


 5人の野盗のうちすでに3人は落馬して戦意を喪失している。残り二人が馬車の先10mまで近づいてきたが、内一人は直前で肩に矢を受けて落馬。

 残りの一人がビシドに曲刀で切りかかるが…


ギィン!!


 鋭い刃の当たる音を立てるとともにコンコスールがビシドの前に躍り出た。危うく難を逃れたビシドは後ろへ下がる。


「てめぇは…コンコスール!なんでこんなところにいやがる!!」

 野盗が馬に乗ったままどすの利いた声で怒鳴りつける。どうやらコンコスールとは知り合いのようだ。


「それはこちらのセリフだ、ダンズール。行方不明とは聞いていたが野盗にまで身をやつしているとはな…

 今の俺の雇い主がその馬車の中にいる。それ以上でも以下でもないさ。」


「相変わらずいけ好かねぇ奴だぜ。王都で奴隷をやってるって噂は本当だったようだな!!」


 ダンズールと呼ばれた男が切りかかってくるが、それを紙一重でかわしてコンコスールが跳躍し、得物で野盗の鼻っ柱に強烈な一撃を叩き込む。

 馬の上で大きくのけぞって鼻血を出しながら踵を返し、撤退態勢をとる。


「昔馴染みを殺すのは忍びない。行け!!」

「覚えてやがれ、後悔させてやるぞ!!」

 月並みなセリフを残して野盗たちは去っていった。撃退に成功したのである。


 コンコスールたちが服装を整えて馬車に戻ると、アカネは外した床板を回収して元の状態に修理しようとしているところだった。


「コンコスール…あの野盗とは知り合いなの…?」

「昔…同じ貴族に仕えていたもの同士です。貧すれば鈍するといいますが、まさか野盗になっているとは…」

「前は貴族に仕えてたんだね…あんたやっぱり、エルベソ家の…」


「アカネちゃんさあ!!」

 なぜか立腹しているビシドが会話に割って入ってきた。

「私たちが命懸けで戦ってる間馬車で何してたの!?せっかく追い風吹かしてたんだからさあ!投石するだけでもかなりの援護になるんだけど!?」


「い、いや、待ってよビシド!アタシだって指くわえて見てたわけじゃないんだよ?見てよコレを!!」

 アカネは持っていた袋を差し出してビシドに見せた。


「え…?なにこれ銀貨?これが何?」

「アンタたちが戦う準備してる間、同乗者に交渉して命を守ってやるから用心棒代払えって徴収したのよ!」

 有り体に言えばカツアゲである。


「ホラ!町に着いたらこれでうまいもんでも食おう!!」

「こっ…この女…!!」

 あきれ果てたビシドからとうとう「この女」呼ばわりが飛び出した。汚物を見るような目でアカネを眺めているが、当然本人はそれに気づかない。


「アンタたち、本当に旧エルベソ領まで行くのかい?」

 不穏な雰囲気に耐えかねた御者が口をはさんだ。


「悪いことは言わん。やめたほうがいいぞ。これから南に向かえばああいった手合いはどんどん増えていく。魔王軍も怖いが野盗はそれ以上に厄介だ。話し合いなんて通じないからな。さっきの奴らがどうかは分らんが、旧エルベソ家に仕えていた兵士たちが野盗になって食い扶持を得ているケースも多いんだぞ。」


「アタシ達にはやらなきゃいけない事があるからね。怖いなんて言ってらんないんだよ。」

 戦いもせずに馬車でカツアゲしていた女の発言である。


「勇者様、少し、いいですか…」

 野盗と最も近距離で対峙したコンコスールの発言である。正直叱責は免れないと覚悟をしていたアカネであるが…

「あなたは雇用主で、俺は奴隷です。俺が最前線で身を守ることに文句があるわけじゃないんです。ないんですが…


 戦わないんならそのマチェーテとスキレット、交換してくれませんかね…?」


 野盗を撃退したコンコスールの得物はスキレットであった。

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