第128話 答え合わせ

 俺はあまりに唐突なことで、真ん丸と大きくした目を紗季から外すことができなかった。


「なんでこんなことを……」


 本当は答えなんてとっくに気づいているのに、俺は分からないふりをして紗季に訊く。

 頭の中では、その答えに代わる答えが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。


 紗季は暗闇でも俺に見つめられていることに気づいているのか、重ねた手を離して静かに立ちあがった。

 そして、俺と向き合えるように、座っている俺の前の位置に移動する。


「ごめんね、どうしてもしたくなっちゃったの。自分を止められなくて」


 発せられた言葉は、俺に弁明するような、落ち着かせるような優しい声。


 しかし、紗季が移動したことで月に照らされたその表情は、夜を吸収したかのような影のある笑顔だった。

 眉は少し引き攣っていて、口角も上がりきっていない。

 無理して笑顔を作っているのがバレバレだった。


「仕方ないんだよ。それほど楽しかったってことなの。最高の思い出にしたかったってことなの……」


 紗季は短く言葉を区切っては、強く、強く伝えてくる。

 しかし、そう話す紗季の目線は、どんどん俺から下の地面へと落ちていく。

 

 キスしたとは思えないほどに、かなり気持ちがナイーブになっている紗季。


 どうにかして励ましたいとは思うものの、俺の喉は震えることはなかった。


「来年もまた、来てくれるって言ったよね」

「あ、ああ」


 やっと出た俺の音は、ほとんど言葉になっておらず、もはや声かどうかも怪しかった。


 きっと……、こんな状況になってしまったのは俺の言動が原因だ。

 紗季には俺が、避けてしまったように、拒絶してしまったように映ってしまったのだろう。


「嫌なの」

「え?」

「来年もまたこうやって友達としてくるなんて嫌」


 紗季は地に落とした顔をすっと上げると、俺に美しく無垢な笑顔な笑顔を見せた。

 発言とは真逆の表情に言葉を失い、さっきの心配は不要だったのかと思うのも一瞬の話。

 紗季の目じりに溜まった月光を反射した涙が、流星群のように頬を伝って落ちた。


「今日はね、とっても私頑張ったんだ! 賢太くんもうすうす気づいてくれただろうけど、自分を磨いてきたんだよ」

「もう……、もういいって……」

「でも、賢太くんは私の髪も、服装も感想言ってくれなかったけど」

「……しょうがないだろ。そんな待ち合わせ直後に外見を褒めるなんて、まるで――」


「「デートみたいだ」」


「でしょ?」


 紗季は俺が言おうとしていた言葉を読み取って、いたずらっ子のような言い方で被せてきた。

 けれど、この痛ましい雰囲気が緩和される様子は微塵もない。


「きっと、賢太くんは友達だからって、あ・え・て、言わなかったんだよね。女友達相手にはまず言わないし、言ってしまったらギクシャクしたり、悶々として友人関係には戻れないから」

「……分かってるんだったら、何でキスなんか……」

「そんなの決まってるじゃない」




「好きだから、だよ」




 紗季は、笑顔のまま、俺に告白してくれた。


 その言葉をきっかけとして、まるで時が止まったように俺の世界から色と音が無くなっていく。

 今までに聞いたことのないほど重みと涙に濡れたその言葉を、俺はどうやって受け取ればいいんだろう

 予想はしていたものの、こうして感情をそのまま伝えられると、……こう、困ってしまう。


 でも、こうして紗季は気持ちを言葉にしてくれたのだ。

 俺だって、しっかりと言葉にしなくてはいけない。


「紗季、俺は――」

「いいの。返事なんて、まだ要らない。聞きたくない」


 告白の返事の答えも思いついていないのに口を開いた俺を、紗季はピシャっと打ち止めた。


「でも……」

「いいんだよ。今日の告白は自分がっての、わがままな告白だから。返事をもらうなんておこがましいよ」

「おこがましいって、そんなことないよ」

「……いや、ごめんなさい。おこがましいも違うかな。ただ、私が返事を聞く勇気がないだけかな」


 はははと、あどけなく笑う紗季。


「じゃあ、俺はこの告白の返事をいつ返したらいいんだ」

「そうだねー。じゃあ、私が染井さんに打ち勝った時に聞かせて貰おっかなー」


 紗季は、俺の申し訳なさを隠すように、明るく取り繕い始めた。

 言外に、『気にすることはないよ』という優しさが溢れていて、紗季らしさというものをしみじみと感じる。


 それが一層、俺に責任という重圧をかけているとも知らずに。


「うーん、告白してすっきりしたー。こう、長年心につっかえていたものが吐き出せたようなすっきり感。あー、告白してよかったー」

「……紗季」


 そう言って紗季は、振り返って花火大会の会場を見下ろしながら、背伸びをした。

 その様子は、この話はここでおしまいと主張しているが、その背中はとても小さく感じた。


「やっぱり、ここを告白の場所にしてよかったよ。もしここが暗くなくて、賢太くんの表情が見えていたら、告白なんてできなかっただろうし、心が折れてたから……。だって――」

「そんなことないっ!」


 今度は俺が、紗季の言おうとしていることを先読みして、言葉を遮るように紗季を背中から抱きしめた。

 紗季が傷ついたと知った瞬間からずっと、こうしたかった。

 

 今日の最初から気づいていた。紗季は俺たちの関係を変えようとしていたことを。


 しかし、それを気づいてでも俺は一度、友達のまま今日を過ごそうと思っていた。

 見た目も褒めなかったし、食べさせ合いにも抵抗を示した。


 けれど、やはりは紗季は可愛かった。

 ダメだと分かっていたのに、関係が崩れてしまうと分かっていたのに、手をつなぎたいと思ってしまった。


「俺も、俺も紗季のことが好きだ」

「賢太くん……」

「だから、別に紗季のキスを嫌がったとか、告白が嬉しくなかったわけでは絶対にないんだ」

「……」

「でも、自分でも恥ずかしい話だけど、多分この好きは、まだ親友としての好きなんだ」


「だから、もうちょっとだけ、時間を下さい」


 なんと恥ずかしい、告白の返事だろう。

 告白の返事が保留だなんて。

 最低だ。男らしくない。


 自分を卑下にする言葉はすらすら出てくるのに、ただ一言返事をするのがこんなに難しいだなんて。


「うん、いいよ。待ってる。ずっと待ってる」


「だから、ずっと、私のことを考えてねっ!」


 しかし、紗季はいつになっても優しく、俺を理解してくれている。

 本当に、いつになっても頭が上がらない女の子だ。


「私だけが抜け駆けするのも、あの子に悪いしね」


 そうして、紗季の小さな独り言が溶けた俺たちの一夜は、終わりを告げた。

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