第127話 上から見るか、下から見るか、君のとなりで見るか

 そうして俺たちは何も言葉を交わさないまま、花火を見続けた。

 菊、牡丹、冠、柳、花雷。

 花火の種類はたくさんあれど、どれも夏の夜を照らす七色の光は、俺たちの心を掴んで離さない。


 しかし、そんな夢の時間にも限りがある。

 花火から出た煙が、俺たちの鼻先を燻り、少しずつ夢から覚めさせる。

 

「そろそろ終わりだね……」

「ああ、もうそんな時間か。名残惜しいな」

「そう、だね」


 花火が打ち上がるペースも下がり、一発一発が大きな花火になってくると、花火大会の終わりを感じてしまう。

 やはり、楽しい時間というものはあっという間に過ぎてゆくものらしい。


「帰りたくないな……」

「それは俺も思うけど、しょうがないだろ。俺は十分満足したぞ」

「私は……、私は、まだ満足してないな」


 終わりの時間が近づくにつれ、紗季の言葉がしおらしくなっていく。

 態度も弱々しくなったのか、俺の肩に紗季が頭をもたれさせた。


 それほど今日が楽しかったということだろうが、時間はどうやったって戻ってこない。

 俺は紗季のわがままを優しくあやすことしかできなかった。

 

「また、来年くればいいじゃないか」

「来年、来年か……」

「そうだ。またこうやって二人で一緒にかき氷を食べて、ウインドウショッピングをして、この秘密基地で花火を見よう。約束だ」

「……そっか。じゃあ、まぁ、いっかな……」


 紗季は俺の言葉聞いて、ギュッと手を握りしめ、口約束ではあるものの、納得してくれた。

 きっと、手を強く握りしめたのは、俺に約束を反故にしないようにするための注意だろう。

 

 ただ、納得している割に物憂げな表情で、何かを思い残しているように見えるのが気がかりだが。


「なぁ、紗季――」

「次が、最後の花火となります。最後の花火は、四尺玉を用いた、世界最大級の打ち上げ花火です」


 紗季に一言、気の利いた言葉をかけようとした瞬間、花火大会のアナウンスが響き渡った。

 次がすごい花火なのは分かったが、なんというタイミングだろう。

 神が俺の言葉を止めたのかと思うほどだった。


「ほら、アナウンスもされたことだし、せっかくだから最後まで楽しんでいこうぜ」


 最後にそう言って俺は、眼下に広がる花火大会の会場に意識を戻した。

 もう一度言い直してもよかったのだが、ここで話しかけたら会話中に花火が打ち上がって、花火に集中できないだろう。

 花火を見る時はね、誰にも邪魔されず自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ、独りで静かで豊かで・・・。

 それに、花火の圧巻されて、機嫌が直る可能性もあるだろう。


 ドンッ。


 なんて考えていると、花火が尾を引いて、暗闇を裂いて昇っていくのが見える。

 ここが一人だったら、『たまや―』と叫んでいたかもしれない。

 

 

 そして――



 俺の瞳には、夜空という大きなキャンパスに描いた壮大な牡丹が映る


 

 ――ことはなかった。



 目を瞑った紗季の顔が、俺の視界のすべてを奪った。

 


 なぜ、一面に花火が見えるはずなのに、紗季の顔が見えているのか。

 俺は止まった頭を再起動させて考える。

 そして行き着いた答えは。



 俺は今、紗季にキスされている。



「~~っ!」


 そのことを遅れて自覚した俺は、慌てて紗季を俺から離す。

 紗季は特に抵抗することもなく、簡単に俺の横に戻ってくれた。


「おいっ! 紗季!」


 紗季をどけた視界には、もはや花火なんてなく、客が帰ろうとしている景色だけが 見える。残念ながら、花火は見えなかった。

 だが、俺は今そんなことに怒っているわけではない。


「キス、しちゃったね……。」

「しちゃったって、お前……」


 隣にいる紗季は、声にすこし妖艶の色を込めて、俺の手に再び手を重ねる。

 

 今の俺に紗季の顔は見えないし、表情は分からない。

 もはや、こうして手が触れあっていても、紗季の考えていることは何一つ分からない。

  

 隣にいるはずなのに、今の紗季は遠くに感じる。

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