第126話 夏、丘の上で

 そうして俺たちは、手をつないだまま人混みの中を歩いていった。

 会場に近づいていくにつれて人は増え、どんどんと混んでアスファルトの夜を反射した黒色が見えなくなっていく。

 そして視覚だけでなく聴覚も、周りの雑多な音声で、よく聞こえなくなってきた。


 ただ、それに反比例して、繋いだ手から伝わる紗季の情報は研ぎ澄まされていく。

 

 今、紗季が何を考えているのか、どう思っているのか。

 隣にいる彼女の顔を、もはや見る必要はない。

 やはり――

 

「うわぁ! あっ、遂に止まっちゃったか」


 考え事をしながら歩いていると、急に前の人が止まってつんのめりそうになる。

 ここまで周りに流されるように歩いていたが、遂にこの行列の足が止まり、渋滞となってしまったらしい。


 花火大会が始まるまでそこそこ時間はあるが、そんな残り時間では解消されそうにないほどの渋滞だ。


「ほんとだ。あともうちょっとなのに……」


 紗季はスマホの地図マップと渋滞を見比べて、不安そうな顔をする。

 俺も紗季のスマホを見てみると、開催される川までは直線距離であと百メートルほどだと示されていた。

 

 ここからでも一応見られるだろうが、立ったままなのと人が多いここでは、落ち着いて見られないだろう。

 ただ、このままではここから見ることになるのもまた事実。

 うーん。


「ねぇ、こっち」


 俺がどうしたものかと考えていると、紗季が俺の手をぐいぐいと引っ張った。

 顔を上げて紗季を見てみると、紗季は裏路地を指さしており、その顔にはいたずらっ子のようなお茶目さが出ていた。

 

「まさか、そんな危なそうな路地裏に行こうなんて言ってないだろうな」

「ふっふっふ、そのまさかだよ」

「夜でその細道は危険が危ないって」

「確かにそうかもね。でも、この道は行けそうってスマホが言ってるんだもん」


 紗季は俺に、この紋様が目に入らぬかとばかりに地図アプリを見せつけ、『ズームして見て』と言う。

 手が片方埋まっているからといって、俺の扱いがぞんざいではないかと思いながらもズームしてみると、俺たちの少し先に細い路地があった。


「それにさ」


 俺がそれを見て少し苦い顔をしたのを、紗季が見て重ねて言った。


「どうせ賢太くんが守ってくれるでしょ?」


 紗季は、俺を引っ張るために一歩離れていた距離を埋めて、含みのない純粋な笑顔で俺に笑いかけた。


 くそっ。


 なんだこの可愛い生き物。

 俺が路地裏に入って襲ってやろうかな。


 ◆◇

 木でできた段高の階段を上り、とても道とは言いにくいような雑木林を抜けていく。

 紗季に腕を引っ張られるようにしてたどり着いた先は、誰もいないような丘の上だった。


「すごいな、ここ。まるで秘密基地みたいだな」


 眼下に見えるきれいな夜景と誰も来たことが無さそうな鬱蒼とした空間に、忘れていた少年心をくすぐられて思わず興奮してしまう。

 ただ、ここの外灯は薄暗く、よく見えないのが難点だ。

 もっとビタミンAを取っておくべきだった。


「そうでしょ、去年もここから見たんだよ。誰かさんは受験勉強で来てくれなかったけど」

「ごめんって、でもこんな場所だと言ってくれれば――」

「いや、来ないよ。それぐらい賢太くんは受験に懸けてたから」


 そんな興奮した俺に、紗季は微笑を浮かべながら口を尖らせた。


「だって、親友だった私の連絡先も消しちゃうぐらいだもんね」


 そう言って繋いでいた手を離し、ぽつんとあった背もたれ付きのベンチに足を向ける紗季。

 まるで年に一回の花火大会を見るために設置されているそのベンチは、木の影にあってかなり年季があるように見える。


 器用な表情ができるものだと感心しつつ、その寂しそうな背中を追いかけ、自然に空いていた紗季の隣のスペースに俺も並んで腰を掛けた。


「でも、こうやって並んで過ごせてるから、結果オーライかもね」

「かもな」


 紗季は俺が何も言わずに隣に座ってくれたことが嬉しかったのか、自然と笑みがこぼれていた。

 いや、自然と笑みがこぼれていたことだろう。

 俺はそろそろ打ち上がるであろう川を見下しながら返事をした。

 

 そうしたのは、外灯の光も月の光も遮る木の下では紗季の表情がよく見えないし、そもそも見る必要がなかったからだ。

 わざわざ見なくても、俺の手に重なった紗季の手が伝えてくれる。

 紗季のドキドキとした心臓の鼓動から、『今、楽しんでるよ』という感情まで。


 そしてついに――


 ドンッ。


 

 花火が打ち上がった。




 ほら、やっぱりそうじゃないか。




 花火は彼女のきれいな横顔を照らしてくれて、弾けた笑顔を誘爆させていた。

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