第120話 かき氷
「あっ」
「うっ……」
電車の振動で倒れてきた紗季を咄嗟に抱きしめるように支えた。
おかげで、紗季がスタンションポールに頭をぶつけることはなかったものの、俺と紗季の距離が今までにないほどに近づいた。
「「……」」
思いもよらない状況に、お互いに何も言葉を交わすこともなく、気まずい時間が流れていく。
紗季の身長は俺とあまり変わらないほどだが、前のめりに倒れていることで俺の胸の高さにちょうど良く入ってしまっている。
そうなると俺の鼻は紗季の髪の匂いをダイレクトに嗅ぐ羽目になるわけで、今までに嗅いだことのないような甘い香りが俺の心臓を握り潰す。
いつもの紗季とは違った匂い、というかフェロモンが、また俺に紗季を女性だと思わせる。
これ以上の接近は普通の友達ではありえない、それどころか親友でも絶対にない。
「さ、紗季」
「うん?」
「近いって」
「んー、そうかな?」
俺は紗季の背中に回していた手を引っ込めて、紗季の肩を軽く押して遠ざける仕草を見せた。
しかし、紗季は顔を真っ赤にしながらも俺の意図を汲み取らないで知らぬ存ぜぬをつきとおす。
自分でも恥ずかしいと思っているくせに、なぜそこまで意地を張る。
あと、顔が近い。上目遣いをするな。
「よいしょ……っと」
「むぅ」
結構な力を入れて紗季の肩を押し返して離れさせる。
紗季は不服そうにしながらも、諦めて俺から体を離して元の位置に戻る。
そして体をドア側に向けて、車窓から景色を見始めた。
やっとのことで心が落ち着けられると、俺も景色を見ようとガラスに目線を移すもすぐに目を離すことになった。
なぜなら車窓に写っていた彼女の顔は、今までに見たことのない、言いようのない幸せそうな顔で、また彼女にどきりとさせられたから。
◆◇
そうしてそのまま電車に乗って数分後。俺たちが乗った電車は、目的地である駅へと向かって速度を落とし始めた。
「で、結局どこに行くんだ? 俺は集合場所とこの駅しか聞いてないんだが」
「そうだね、言ってなかったね」
そう言って紗季は寄りかかっていたドアから背中を離し、腕を軽く伸ばして毛伸びをした。
その様子は俺にこれから何かが起こることを予感させるには十分で、楽しみとともに億劫さが湧いて出てきた
そんな俺を尻目に、紗季は電車が止まって扉が開くと同時にホームに降り立つと、後から降りて出てきた俺に振り返って胸を張った。
「かき氷たべよ」
……どうやら、俺はかき氷なんかというただの甘い氷を食べるためにここに連れてこられたらしい。
俺の溜息は、真夏の太陽によって霧散していった。
「あぁ、食べたいな」
◆◇
「やっぱり、夏はかき氷だよね」
「その意見には禿同だけど、ここまで並ぶものなのか?」
「そりゃそうだよ。パンケーキと同じっ」
俺たちはいつの日かのパンケーキと同じように、二人で長蛇の列に並んでいた。
あの時と同じで前を見ても後ろを見ても女性ばかりで、男性が見えたとしてもその連れは女性。つまり、女性客とカップルしかいない、ただの男友達には辛い環境。
唯一違う点は、女子高生が多かったパンケーキとは違って女子大学生や社会人が多いという点。
しかし、それがあの時よりいい環境かというとそれは違う。なんだったら、パンケーキの時と比べて年齢層が大人になっていて自分たちと年齢が近い分、『この場にふさわしいんじゃね?』という無駄な希望が見えてタチが悪い。
この数か月でこういう場にも慣れてきたと実感していたが、それは欺瞞だとひどく分からされた。
「あっ、ありがとうございます!」
半べそをかきながら並んでいる俺の隣で、紗季は店員さんからメニュー表を受け取っていた。
こういう人気店あるある、というより俺の偏見だが、こういう人気店は並んでいるときにメニュー表を渡してくる、そのメニュー表がとても可愛らしくて手書き、そもそも、店員さんが若い女性でとてもかわいい、というのがある。
まだメニューもお店も見ていないが、このお店が人気なのは間違いないだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます