第119話 猫かぶり


「ごめんね、ちょっと美容院行ってたら遅れちゃって……」

「いや、それは良いんだけど……」

 

 紗季はいつもとは異なる前髪を、落ち着きもなく指でくるくると弄りながら言ってきた。

 紗季は伏し目がちで俺の方を向くというより、俺の斜め向こう側を見ているように見える。


 俺はそのかわいらしいしぐさに惹かれてしまって、今一度紗季のことを見てしまう。

 遊びに行く前に美容院に行ってきたというだけあって、紗季の髪はあほ毛一本すらない完璧なセット。

 服装も髪型と相まって、二次元のような深窓の令嬢感が醸し出されていた。

 

 こんな格好の女子がデートできてくれたら、男子はうれしさのあまりに死んでしまうのではないだろうか。

 いや、ただ俺の好みにドストレートなだけでそうじゃない男子も多いかもしれない。


 ただ、そう思わされるほど、今日の紗季の破壊力は十分だった。

 現に、紗季と付き合いの長い俺でさえこんなにもドキドキしてしまっている。

 

 今日は紗季を直視できそうにない。


「い、行くか」

「……そうだね。行こっかっ」


 このまま紗季と立ち話を続けていると、照れていることが紗季に伝わりそうなので俺は紗季を置いて駅の改札へと向かった。

 照れ隠しとしてはべたな方法だったが、これしか思いつかないほど俺は追い詰められていたのだ。

 

 それに対して、後ろから聞こえた紗季の声はすこし残念そうに聞こえた。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐに明るい声で俺に並んで歩き始めた。


 ……。


 ……分かってるよ。


 だけど、今はそれを言う勇気はないんだ。許してくれ。


◆◇


 電車に乗ると、クーラーの涼しい風が俺と紗季を出迎えた。

 その風に乗って、今までとは違う紗季の香りが匂ってくる。

 

 香水? もしかしたら、美容院でのシャンプーの匂いかもしれない。 


 そんなことに意識を傾けつつも、電車内の様子を確認する。

 夏休みといえど昼前なので電車はあまり混んでおらず、席もぼちぼちと空いているのが見えた。


「座るか?」

「ううん、いいよ」


 入ってすぐに端の席が一つ空いていたので紗季に座るか尋ねたものの、紗季は首を横に振った。

 今日の遊びが何時まで続くのかは分からないし、熱中症になったことからここでしっかりと休んでほしかったのだが、それを紗季はよしとしなかった。

 もしかしたら、席が一つしか空いていなかったので俺に遠慮したのかもしれない。


 いつもなら遠慮なく座っているのに、今日の紗季はしおらしい。

 これも、親友から友達になったことに影響が出ているのだろうか。


「じゃあ、端っこで立ってるか」

「うん、そうだね」


 そうして俺たちは席に座ることもなく、紗季を出入口と座席の間を譲り、俺は紗季の前に立ってつり革を掴んだ。

 女性を隅を譲ってさりげない優しさをアピールする、なんていう狙いはなく、ただ今日の紗季をあまり他の男には見せたくなかった。


「そう言えば今日は口調が違うな。俺以外の人と話してるみたいだ」

「そうだね。この話し方をするのは中学生ぶりかな?」


 俺はどんどんとスピードが上がって流れていく景色を見ながら、紗季にずっと気になっていたことを尋ねた。

 この行動には紗季を視界に入れないという意味が込められているのだが、紗季もそれを読み取っていたらしい。


 紗季は車窓を眺めていた俺の顔を掴んで顔を向けさせた。

 

「賢太くんは私と付き合いが長いから知っていると思うけど、この話し方は友達付き合い用なの」

「だろうな。猫かぶるの美味いからな、紗季は」

「……」

「いたい、いたいです」


 否応にも視界に入った紗季の顔は笑顔であるものの、そこには若干の怒気を感じられた。


 俺は紗季の握力が上がっているのを顔全体で感じながらも、意識を考え事に向ける。

 

 紗季はもともと友達が多かった。

 そりゃこんな見た目だし、それに見合うほど性格も純粋でやさしいのだ。

 友達が少ないわけがない。


 しかし、あの出来事があって以来、紗季は弱い自分を隠すように強い言葉で自分を強く見せるようになった。

 本人曰く、叔母さんの口調を真似ているらしいが、その結果、俺や愛奈などの一部の仲のいい人にはあの冷たい口調、大学で会うような付き合いの軽い人にはこの猫かぶりをすることがあった。

 きっと、仲がいい人ほど紗季の弱い部分を気づいてしまうことを嫌ってのカモフラージュなのだろう。


 そうやって考えると、本当に俺と紗季の関係性は変わってしまったのだと感じてしまう。


「だからね、これも私なりに友達とは何かを考えた結果なの」

「良く分からん……」

「まぁ、今はそれでいいよ。これはあくまで布石。ボディーブローなんだからっ⁉」


 紗季は満面の笑みでそう言い切ると、ふざけるように俺の鳩尾へ軽く殴る素振りを見せた。

 しかし、タイミングが悪かった。


 紗季が体重を乗せて腕を伸ばした瞬間に電車が揺れて、紗季がそのまま俺の胸の中に飛び込んできた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る