第117話 どきどき
さすがの俺も、ここまであからさまな態度を取られると嫌でも気づく。
付き合っていた当時の愛奈も、よくこの手を使っていた。
そう考えてみると、凛と愛奈ってどこか似ているような感じがして、色々と複雑な感情になってきた。
だけど、なんかかわいく見えてきたのでこのまま意地悪してみようと思う。
俺は何も察していないように、はてなマークを浮かべながら凛を見つめ返した。
「じー」
「じー」
お互いに見つめ合ったまま、無為な時間が過ぎていく。
その内、凛の目が『お前分かってんだろ? なぁ』という目のトーン失くしちゃったの状態に突入してきた。
俺だって、無意味にこんなことをしているわけではない。
ただ、一言でいいからお願いする姿が見てみたいのだ。
具体的には『アーンして♡』みたいなのが欲しい!
「あー、なんか体が重くなってきたなー。持病の再発かなー、これ」
「摘出手術も受けたし、昼に薬も飲んでたろ」
そう言って凛は、おもむろに肩を回して全力で疲れましたアピールをしてきた。
凛が目ではいけないと察して、遠回しに伝える方法に変えてきたのだろうが、そんなことで俺は動かない。
俺が呆れたような冷めたような顔で言うと、凛が頬を膨らませて抗議を示す。
「本当ですもん。あー、きついなー。これじゃせっかくのご飯が食べられないなー」
「そうなのか、じゃあナポリタンも無理だな」
「えっ?」
「いただきま――」
「させませんよっ!」
そう言って俺がナポリタンに向けてフォークを伸ばすと、凛は全身全霊でお皿を遠ざけて俺のフォークからナポリタンを守った。
その動きは機敏で、目に負えないほどの電光石火だった。
「全然元気じゃないか……」
「……っ!」
凛はそのまま胸の前までナポリタンを運んで、やっと自分が何をしたか気づいたようだ。
そこに運べば俺に手を出されることはないだろうという天才的な考えは思いつくのに、その行動で生じるデメリットは考えられなかったらしい。
「こ、これは……、その……。ち、違いますよ。別に、嘘ついてたわけではなくて、体が咄嗟に動いたと言いますか、脊髄反射したと言いますか……。そ、そう! 火事場の馬鹿力ですよ! だから――」
「もういい! もういいよ……、分かったよ……」
凛がナポリタンを抱きかかえたまま、目の中に渦を作ってオーバーヒートしてあたふたしはじめたので俺は諦めることにした。
諦めるというより、譲歩したといった方がいいだろうか。
これ以上はきっと彼女の自尊心を傷つけて泣かしてしまうだろうし、ご飯が冷えてしまって洋食屋さんに申し訳ない。
「ほら」
俺は新しいスプーンを取り出して、まだ俺が口をつけていない部分のオムライスを掬うと、そのまま凛の前にまで運んだ。
凛は一瞬、嬉しそうな顔をしたが、先ほどまでの嫌がらせを思い出したのかプイっと顔を背けてしまった。
「なんなんだよ……」
「言って」
「何を」
「アーンって」
俺が苦笑いしてしまうほどのめんどく――あざとさを出した凛が、さっきの俺と同じような底意地の悪い顔をする。
でも、それもまた可愛く感じ始めている俺はもうダメなんだろう。
「あ、アーン」
「うん、アーンっ」
俺が恥ずかしながらも言われた通りに言い切ると、凛もまた恥ずかしながらもその大きな口で食べた。
「~~っ! 美味しいっ」
「だろっ!」
凛はほっぺに手を当てつつ体をよじらせて全身で美味しさを表現した。
さすがに誇張しすぎだろとも思いながらも、優しい目で凛を見ている自分に気づく。
なんか、最近自分でも凛に甘い気がしてならない。
「こんなに美味しいものを食べさせてもらったら、お礼をしなきゃいけませんね」
「いや、別にいいよ。十分」
「あっ、なんか冷めてますね。でも、今の私は機嫌が良いのでお礼の押し売りをしちゃいます」
そう言って、凛は使っていたフォークでナポリタンを巻き終えると、俺がやっていたように口元にそれを近づけてきた。
なんてすばらしい笑顔をしているのだろう。楽しそうなのが良く伝わってくる。
「はい、アーン」
「えぇ……」
「アーン」
「いや、ちょっと」
「ああん?」
いや、食えるか!
なんで俺が新しいスプーンや口のつけていない所を選んだと思ってんだ。
なんなの? マジで悪気もなく、純粋な厚意でやっているの?
だとしたらこれは天然由来の小悪魔ですね。二代目愛奈です。これは良くない。
なんて考えて俺が躊躇する姿や抵抗する姿を見せても凛は一歩身退かず、むしろフォークをどんどんと近づけてきた。
先ほどまでの綺麗な笑顔も、向けられたフォークのように鋭さを増していた。
このままいくと唇どころか喉すら貫きそうで、アーンが恐喝の口上に聞こえてきたので食べることにする。
「食べます、食べさせてください」
「アーン」
「アーン……」
かつて、ここまで心がドキドキとするアーンがあっただろうか。
多分、世界で一番刺激的なアーンを体験した俺は死んだような感情でナポリタンを咀嚼していく。
しかし、肝心の味が味覚より視覚や第六感が優先されてよく分からない。
なんだったら、ナポリタンの赤みが嫌な赤色を想像させて気分すら悪くなってきた。
「お、おいしい」
「ですよねー。いやー、やっぱり料理にはあの隠し味ですよねー」
「えっ、何それ? なんか秘密裏に盛ったのか?」
「そりゃもう、とっておきの隠し味をね」
俺は凛の食事を終始見ていたが、特段何かを変えているのは見えなかった。
なのに凛は、ナポリタンに何かを入れたと言っている。
いきなりのとんちを効かせた問題に、俺の頭は勉強をしていた凛より疲れてしまった。
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