第114話 執念深さとヤンデレは紙一重
「いやぁ、ちょっとお腹が痛くて遅くなっちゃいました」
「その割には流す音聞こえなかったけどな」
「あー、賢太くん。それセクハラですよっ」
紗季とのごたごたを終えた頃に、愛奈はお手洗いから帰ってきた。
俺たちの声がクールダウンする頃合いを狙って出てきたのだろう。
正直、もっと早く出てくると予想していたのだが、俺たちのためにずっと待っていてくれたらしい。
十数分ほどあんな狭い部屋にいてもらって申し訳ない。
けど、そのおかげで紗季と十分に話す時間ができた。
「って、何ですか? これ」
「あー、説明すると長くなるから無視してくれ」
愛奈はリビングに入って紗季の姿を確認すると、口を大きく開けてあんぐりとした顔をした。
そりゃそうだろう、紗季が呆然と立ち尽くしているのだから。
目がぼーっとしたままうんともすんとも言わない紗季は、さながらミロのヴィーナスみたいだった。
このまま芸術作品としても申し分ない紗季を鑑賞してもいいのだが、このままリビングで立たれたままなのは素直に邪魔だし、居心地も悪い。
とりあえず、立ち直るまで放置しておこう。
そうして俺は紗季をソファーまで押して座らせようとしていると、後ろにいる愛奈がボソッと何かを呟いた。
「まぁ、大体は予想つきますけどね。……この人、また何かやらかしたんだろうな。恋愛経験無いから、恋愛が絡むとへっぽこになりそうだし」
「ん? なんか言った?」
「いえ、何も」
俺が紗季を座らせて、愛奈の方に向き直しながら訊き返すも愛奈は口を閉ざした。
愛奈の顔があっけらかんとしているので、そこまで重要なことでもなかったのだろう。
なら、紗季が帰ってくるまでに話を進ませてしまおう。
そう考えた俺は、愛奈にイスに座らせるよう促して話を戻した。
「ちょっと予想外の事があったけど、話は終わってないから続けるぞ」
「え、まだ有ったんですか。ていうか、なんの話してましたっけ」
「え? あっ、ミスコンだよ、ミスコン!」
愛奈はもう冷え切った紅茶を優雅に飲みながら、俺を翻弄してしらばっくれようとする。
俺も何の話をしていたか一瞬忘れていたけど、ここで愛奈のペースに乗せられてはいけない。
「愛奈くん、別に私はミスコンに出ることを辞めろとは言ってないんだ」
「なんですか……それ、いきなり悪役キャラ演じないでくださいよ。小物に見えますから」
「茶々入れないでくれたまえ」
ここから真面目な話をするぞという意思表示のために口調を変えたのだが、どうやら愛奈には滑稽な演技に映ってしまったらしい。
確かにアニメとかで職権乱用する社長とか上司が言いそうだけど、今はそんな話じゃない。
「なら別に良くないですか? 別に賢太くんに迷惑かけてないと思いますけど」
「正気かね君は。ちゃんとこのアカウントのトプ画見ろ。俺が見切れているじゃねぇか」
最初は反抗的な態度をとっていた容疑者だったが、俺が言い逃れのできないような証拠を提示すると態度を一変させた。
「……てへっ。てへぺろ」
ウインクしながら舌を出して、これでもかというほどのあざとさを出してのてへぺろ。
とてもかわいい行動で心が揺さぶられたが、よく考えると腹が立つだけなので許さない。
「なんでこの画像にしたんだよ……。もっと盛れてる写真とか、可愛い写真あっただろうに」
「だってー、ミスコンに出たからって変な虫に付きまとわれても面倒ですし、それにこれぐらいのハンデを与えないと他の出場者が可哀想じゃないですかー?」
「……」
愛奈は持っていたティーカップをぐるぐると回しながら、興味無さそうに答えた。
ティーカップに入っていた紅茶がぐるぐると渦を巻いていた。
そんな無機質な愛奈に対し、俺は絶句するしかなかった。
絶句だよ、絶句。
杜甫が詠んだ意味が分かるわ。
なんて呆れてものも言わなくなった俺が、自分のコーヒーを飲もうと手を伸ばした瞬間。
愛奈は机越しにもかかわらず身を乗り出して俺に近づいてきた。
あまりに咄嗟のことで俺は椅子を引いて逃げることもできず、硬直してしまう。
愛奈のきれ細かい肌や、大きな瞳が目に入ってきて、心臓がドキリと軋んだ。
「ていうのは建前で、本当は賢太くんを逃がさないためですよ」
「え?」
「私が優勝して告白しようとしているのに、逃げられたらたまったもんじゃないですから」
「……」
俺のことなどすべてわかっているかのように、得意げにその桜色の綺麗な唇を動かした愛奈。
その言動に、俺は気づかされた。というより、再認識させられた。
なんで失念していたのだろう。
「だから……」
愛奈は、俺の元カノは、頭が良くて……
「絶対に、逃がしませんよ」
どこまでも諦めない、執念深い女の子だと。
「そしてその時が来たら……、ここ、貰いますから」
愛奈は俺の唇に、その細くきれいな人差し指を当てた。
「覚悟、しといてくださいね?」
……俺は、二度とこのあざといウインクを忘れられないだろう。
それほどに、今の愛奈は十分魅力的で、目が離せなかった。
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