第109話 海
「いやー、やっと着いたな」
「道路の看板とかで薄々感づいていましたけど、まさか本当にここに連れて行かれるとは……」
俺が駐車場に車を止めると、凛はシートベルトを外しながら、驚いたような、呆れたような声を出した。
声色には軽い呆れは入っていたものの、凛の顔はいかにも楽しそうで貧乏ゆすりがすごい。
きっとこの呆れは凛の照れ隠しというやつだろう。
「じゃあ、行くか」
「ええ、お願いしますね」
凛が一刻も早く車から出たいとうずうずしているので、俺は車からキーを抜いて外に出る。
そして後部座席に置いた車いすを取ってから、助手席に回って凛を回収する。
案の定、凛に抱き着かれたりいたずらされたりして、激しく動揺した。
◆◇
「わー! すごーい!」
「本当だな……。きれいだ」
凛の車いすを押して少し坂を上っていくと、そこには果てしないほどの青に染まった景色が目に入ってきた。
太陽の光が海面に反射して、本当に宝石のように美しい。
「こうやって海に来るの、今思えば初めてかもしれません……」
「そうなんだ。連れてきてよかったよ」
俺たちは二人してその圧倒的な神秘を前に、口数が減ってしまう。
テレビやインターネットでよく見る海と同じもののはずなのに、こうして自分の力で、しかも生で見るとやっぱり格段に別物に見える。
このままじっと見ていても新鮮さが減ってしまうので、俺は静かに車いすを押し始めた。
「やっぱり夏は海ですね。泳げないのは残念ですけど、十分に満足感があります」
「だなー。こうして、観光客が海で遊んでいるのを見るだけでも、こっちが楽しくなってくる」
凛は海から視線を変えることもなく、ただただじっと海を見つめている。
その海から少しずれて砂浜を見ると、多くの家族連れでにぎわっているのが見える。
その人たちの過ごし方も様々で、泳いでいる人もいれば、パラソルの舌で横になっている人もいる。
正直、俺も海に来るのはこれが初めてなので、海での過ごし方には少し興味があった。
「もっと近くで見てみるか」
「はいっ!」
◆◇
坂を下って、砂浜の横を通る舗装された道を歩く。
さすがに車いすでは砂浜の上を歩くことはできないので、海に近づけるのはここが限界だ。
「やっぱり、さっきの言葉撤回します。海に来たら泳ぎたいですね。近づけば近づくほど強く思います」
「また来年、来ような。その時には、きっと、元気に泳げるさ」
「そう、ですね。ならその時は、また賢太さんが連れてきてくださいね?」
「そうだな。絶対に来よう」
こんなに近くにあるのに、絶対に入り込むことができない海がすごくもどかしい。
だけど、この悔しさは来年晴らすことにしよう。
「あっ」
「えっ?」
俺の急に上げた声に、感傷していた凛がびっくりしてしまった。
「ごめん、ちょっと待ってて」
「あっ、ちょっ、賢太さん」
俺は今思い出したことを実現するために、凛を置いて近くのお土産屋さんにまで走った。
◆◇
「はい、これ」
「なんですか、これ? 小瓶?」
「そう、小瓶」
俺は咄嗟に買ってきた小瓶を一つ、凛にも渡して砂浜に車いすを近づけた。
そして俺は、近くの砂をかき集めて凛が座りながらも砂に触れるように山を作る。
「野球に興味ある?」
「知ってますけど、興味はないですね」
「まぁそれは別にいいんだけど、高校野球で甲子園っていうのがあってさ、思い出としてその球場の土を持って帰るんだよ」
「へー」
「だから、さ」
山を作り終えると、俺は小瓶のコルクをポンッと抜いて、そこにきれいな砂を入れ始めた。
「今日の思い出として砂を持って帰って、また来年返しに来よう」
「……ふふっ、なんですかそれ。神社のお札みたいですね」
「正直言って、俺も良く分からん。だけど、こうして青春するのも悪くないだろ?」
「そうですね。たまには、昔のことを思い出してもいいかもしれません」
凛も俺の言葉に乗って、小瓶を開けて砂を入れ始めた。
お互いに手が砂だらけになることも、日光で汗が止まらなくなることも厭わずにただ黙々と思い出をその小瓶に詰めた。
そして二人で詰め合った小瓶を見せあって、笑顔で笑い合った。
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