第95話 元カノの躾け方

 久野式夏期講習が始まった翌日、俺は駅の前の変なモニュメントである人と待ち合わせをしていた。

 

 夏の日差しがさんさんと俺を照らしつけ、額の汗を拭いても拭いても止まらない。

 ここで待って五分が経ったが、十五分前行動を心がけて家を出たことを後悔した。

 別に遅刻しても構わない相手だったから、ゆっくりと行けばよかった。


「あちぃなー」

 

 俺の乾いた喉から出た乾いた叫びは、誰に聞かれることもなく町の喧騒に溶けていった。

 人の喋り声や足音、車のエンジン音、こうやって今一度静かに耳を傾けていると、この町にいる俺はどんだけ小さい存在なのかと認識させられる。


 そう考えると、将来への不安に駆られた。


 このまま何もしないままただ社会人として生きていくのだろうか。

 普通に働いて、普通に結婚して、普通に家庭を持って死んでいく。

 そもそもそんな普通の生活すらも俺にできるかは分からないが、そんな人生は嫌な気がする。


 凛の言葉が昨日からずっと脳の中で反響していた。


「賢太くん、ごめんね。遅れちゃった」

「ああ、愛奈か。もうすぐで溶けるところだったぞ」

「むぅ……」


 そうして色々と考え事をしていると、待ち合わせていた愛奈が到着していた。

 その顔は少しの遅れたことへの申し訳なさと、大部分の何かが納得いかないという不機嫌さが入り混じっていた。

 どうして君は出会いがしらから不機嫌なんだい?


「賢太くん、三十点ですね」

「……何が」

「今の賢太くんの点数です」


 愛奈は胸を張って高らかに宣言した。

 その声には明らかな不満が込められていて、もはや非難にすら聞こえるレベルだった。

 何を言っているのだろうと頭をひねってみると、遠い昔の思い出に答えがあったことを思い出した。

 

 これ、あれだね……。


「もしかしてデートの採点でも行ってます?」

「はい、デートは待ち合わせから始まっていますからねっ」

「じゃあ、なんで三十点なんですかね?」

「まず、彼女が遅れてきたのにフォローしなかったことで減点、洋服やお化粧に感想を言わなかったから減点、デート前から難しい顔をしていたから減点です」


 愛奈は俺にビシッと人差し指を突きつけながら、口を尖らせて言った。

 そんな調子の愛奈を見て、高校時代の付き合っていた時を思い出して顔が緩む。


 愛奈はデートには厳しかった。

 気になる点があったらずけずけと言ってくるし、まったくの妥協も手加減も許さないデートを強要してくる。

 でも俺はそんな彼女なりのデート方法で成長できたし、むしろ全部言ってくれるから自分の欠点が分かって助かっていた。

 

 だが、今日はただのお出かけであって、デートではない。

 そこら辺の誤解というか、すれ違いは今のうちに解いていかないと後々めんどくさいことになる。

 具体的にはきっと濁り切った目で家とかに誘拐される。

 その後のことは想像したくないが、想像に難くない。

 

 そしてそこでの注意点だが、それを普通に言ったところで目が濁って同じ結末にななってしまうことだ。


『先に行っとくけど、今日はデートじゃないからな』

『えっ? 何を言っているの賢太くん、これは正真正銘のデートだよ? ねぇ、ねぇ!』

 

 というように、バッドエンドに直行するだろう。

 

 あらかじめ機嫌を取って言わなければ。


「別に愛奈が来たのは時間通りで遅刻してないし、それに……」

「それに?」

「愛奈に見惚れてたから感想が言えなくて堅い顔になってしまったんだ」

「満点っ! 大好きっ」


 先ほどまでのハムスターのように膨らんだ表情から、子犬のように可愛らしい表情で抱き着いてきた。


 ほーら、すぐに抱きしめてきただろう?

 伊達に二年ちょい付き合ってないんだ。今の俺に愛奈を操るなど赤子の手をひねるより楽な作業よ。


「お手」

「ワンっ!」

「おすわり」

「ワンワンっ!」

「よくできた。よしよし」

「ふふふっ」


 俺は愛奈を犬のように扱って、ご褒美に顎の下を撫でてやる。

 愛奈の顎はすべすべとしていて、ずっと触っていたい感触だった。


 当の愛奈は目をどんどんと蕩けさせて、物欲しそうな顔をし始めた。

 そんな俺におぼれていく表情を見て、俺は勝ちを直感する。

 このままいけば何を言っても大丈夫だ。


「愛奈ちゃんね~、今日はデートではなくて、ただのお出かけだよ~」

「いいえ、違います。デートです」


 愛奈はまるで人が変わったかのように真面目な目になって反論してきた。

 なんだったら俺の手を払いのけ、直立不動になった。


 そこはしっかりしているのね、この子。

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