第94話 幸運を。死にいった者より経験を。
「そういえば勉強教えて欲しいって話だったけど、俺が教えられる科目って限られているからな?」
「えっ、そうなんですか?」
「なにその意外そうな顔。俺は天才でも万能でもないんだよ」
俺が勉強を教えることへの心配を吐露すると、凛は思いっきり眉間にしわを寄せた。
『使えねぇな、こいつ』みたいな顔するじゃんこの子。
これでも第一志望落ちしてるんですよ?
今でも少しは引きずって、学歴コンプレックス拗らせてるんだから優しくしてよね。
「じゃあ、何が教えられるんですか?」
「俺が大学入試で使った科目なら多分……、英数理だったらいけるかも」
「ああ! なら全然大丈夫です!」
俺の返答を聞いて満足したのか、凛は今一度、問題集に視線を戻した。
そうしてシャーペンのすらすらと動く音と、彼女の鼻歌だけがこの場を流れ、得も言えぬ空気になった。
えっ、待って、どういうこと?
「大丈夫じゃないだろ。高校三年生の定期テストって文系科目もあるだろ。日本史とか、政経とか……」
「私は定期テストとか眼中にないので」
「眼中にないって……まさか」
「はい、大学入試です! 国立の!」
凛は勉強の手を止めずに、さも当然のように言い放った。
その横顔は凛々しく、どこまでも未来を見据え、前を向いている者の表情だった。
しかし、それに比べて俺はどうしても後ろを向いてしまう。
彼女の姿勢は素晴らしいと思うし、素直に尊敬できる。
あまりもの健気さは俺には直視できない。自分が浄化されていくのを感じるほどだ。
だが、大学受験でつまずいた俺には、大学受験の難しさを痛いほどよく知っている。
だから、彼女の言っていることの無理難題さが分かってしまう。
大学受験はそんな姿勢や健気さで合格できるほど甘いものではない。
凛は高校二年の夏ぐらいから闘病生活を送っていた。
そして今は高校三年の夏。受験まであと半年しかない。
普通の高校生ならほとんどの受験科目を一通り勉強して、復習しているぐらいの時期だろう。
そんなときに彼女は一回目の勉強をし始めるのだ。
どんなに彼女が頭が良いと言っても、一年のブランク、しかも高校二年から高校三年の間のブランクはちょっとやそっとで取り返せるものではない。
「大学入試って……。凛はただでさえ普通の高校生よりハンデを背負っているんだぞ。わかってるのか?」
思わず問いだした俺の声はいつもより幾分も低く、発声者の俺自身が驚いた。
それほどに俺は凛の今後を大事にしてほしいと思っているらしい。
「分かっています。今の私に行ける大学はきっとたかが知れているでしょう。ですが、どうしても行きたい大学、学部、学科ができてしまったのです」
「そこまで未来が見えているのに何で……、高卒でそのまま親の仕事を継ぐことだってできるし、なんだったら私立でもいいじゃないか」
凛は親が大きい会社を経営しているため、そのまま次ぐことだってできるし、お金もたくさんあるはずだ、無理に国立に行く必要はない。
そう思って彼女を止めようとしたが、彼女が俺と合わせた目に制された。
そのつぶらで美しい目には、迷いなんて一つもない、純粋無垢な『挑戦』という色が強く見えた。
「親が敷いたレールをただ乗りする人生の何が楽しいんですか? 一度は棒に振ろうとしたこの人生、せっかくなら私色に染め上げたいんです!」
「……」
「文句あんのかー!」
凛は瞳の中のその色を変えずに、口角を上げて『ふふん』とどや顔をした。
本当に、成長したなぁ。
凛を見て素直に俺は感嘆した。
出会った当初は毒舌寡黙少女で、人生に意義を見出せないと言っていた少女が、ここまで成長するとは思ってもいなかった。
今日は寝る前に泣いてしまいそうだ。
「……ないよ。分かった、凛が志望する大学に受かるように全力でサポートするよ。この夏は個人的な夏期講習で決定だな」
「はい、頼みますよ。賢太先生!」
「相当厳しくいくからな! 現役大学生舐めんなよ」
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