最終章 それぞれのこれから

第92話 変化の夏と乙女心

「やっと終わったー! 長く苦しい戦いだった……」

「たかが期末テストが終わっただけで大げさね」

「たかがって……、だってこれでやっと夏休みが始まるんだぜ? 最高じゃないか」

「さすが暇人は言うことが違うわね。私も仕事がなければねー」


 うだるような暑さの午後、期末テストを終えた俺と紗季は大学からの帰り道を歩いていた。

 ここ最近はずっと夜更かしからの一夜漬けをしていたので、これほどの太陽光を受けると吸血鬼でもないのに溶けてしまいそうだった。

 大学のテストの過去問をひたすら解いて暗記しただけだが。


 とりあえず、できる限り日陰を通って帰ろう。


「紗季は夏休み忙しいのか?」

「ええ。この前賢太に出てもらった番組が思った以上に跳ねて仕事が増えたのよ」

「ああ、あれな。そんな反響あったのか。良かったじゃん」


 俺は日陰を求めて道の端を転々と歩きながら訊いてみると、意外な答えが返ってきた。

 ただの地方局のテレビだと馬鹿にしていたが、腐ってもテレビということで反響が大きかったらしい。

 俺のもとにも大学の友人から結構な連絡が来ていたけど、そこまでだったとは。


「嬉しい気持ちはあるのだけど、夏休みぐらい休みたいのが学生としての気持ちよ」

「文句言うな。モデルって若さが命だから、今のうちに売れないと将来やばいだろ。うげぇ……」


 バイトを始めたことで仕事の重要性や楽しさを知った俺は、軽く紗季に注意しながら、目の前の大通りを見て絶句した。

 向こうの通りに行くまで、ずっと日影がないではないか。

 しかも、信号も点滅していて日向で待たされそうだ。


「おい紗季。その日傘に俺も入れてくれよ」

「嫌よ。悪いわね賢太、これ一人用なのよ」

「一人用って……、オマージュ元よりタチ悪いじゃねぇか」


 俺は隣を歩く紗季の日傘を羨ましそう見ながら言った。


 紗季は先ほどから、深窓の令嬢のようにレースの付いた日傘をさして優雅に歩いている。

 服装も真夏なので軽そうなワンピースを着ており、日傘との相性を考えたのかというほどに、本当に彼女を美しく照り映えさせていた。

 そんなワンピースから出ている白くきれいな肢体が、俺に夏だと感じさせる。


 ただ、今はそんなことを気にしてはいられない。

 暑さと徹夜明けのダブルパンチで、俺はいつもの冷静さを完全に失っている。

 紗季のあまりに涼し気な服装や表情に、紗季の日傘の中だけクーラーがついているとすら思えてきたほどだ。

 俺がさっきから日陰を求めてコソコソ動いているのも、その涼しげな顔で笑っていたに違いない。


「頼むよ、紗季えもーん。このままだと、今度は俺が熱中症になっちゃうよー」

「ふーん、ここで熱中症を掘り返して恩を返せっていうのね、いい度胸しているじゃない。絶対に入れないわ、絶対に」


 俺が熱中症という紗季が引っかかるワードをあえて言って、罪悪感を湧かせる作戦だったが、どうやら逆効果だったらしい。

 俺が大通りへの最後の日陰に取り残されているのを尻目に、紗季は堂々と横断歩道の前で信号を待ち始めた。


 今の気持ち的に直射日光は浴びれて三秒。

 冗談じゃなくダメージはこれで限界、これ以上一発でも食らったら『やばい』って、体全体が悲鳴をあげているのがわかるぜ!


 だからといって二人がそれほどの距離を開けて会話しているのを見られると、何かと問題が起きそうなのでこのままではいられない。

 世間の目とか、職務質問とか。


 ということで……、


「失礼するぜ」

「あっ、ちょっ、ちょっと!」


 俺は静かに紗季の日傘に入って、紗季の日傘を持つ手を包み込むように握った。 

 日傘の直径が女性一人用なので肩だけでなく、色々なところがくっついているが背に腹は代えられない。

 この先生きのこるためだ。


 ……。


 いや代えられなくないわ。

 まずい、夏だから露出が多いこと忘れてた。

 肌と肌が重なり合ったり、お互いの汗とかで色々とヤバい。

 

「なんで許可なく入って来てるのよ! 変態!」

「いだいでず、ずごしはだえでぐだざい……」


 片手は俺が差し押さえているので、紗季はもう片方の手で俺の鼻をつまんできた。

 そのおかげで少しは俺の頭も冷やすことができた。


 けど、なんで鼻?

 日傘から押し出すとか、ビンタするとかもっと有効打あったはずだろ?

 今一番いやなのは、体がくっついていることだと思うんだけど。


 また俺の嗅覚が何かしちゃいました?


◆◇


「まさかここまで相合傘を嫌がられるとは思っていませんでした。すいませんでした」


 結局、横断歩道は無事に渡ることができたが、紗季と俺の別れる道まで鼻をつままれて会話をすることはできなかった。

 紗季の怒りは、放置すればするほど成長していく面倒くさい放置少女なので、俺は真夏のアスファルトで正座をかましていた。

 いわばこれは一種の焼き土下座。

 長ズボンでなければ即死だった。


「別に、相合傘は嫌じゃなかったわよ」

「え?」

「ただ状況とタイミングが悪いって言ってんのっ!」

「いたいっ、すいません! すいませんっ! ありがとうございます!」


 紗季が履いていたハイヒールのかかと部分で、俺の太ももをぐりぐりと踏んでくる。

 ハイヒールの使用用途ってこれが正解なのかな?


「せめて夏はやめて、百歩譲ったとしても行く時だけにしてよ。帰りの汗かいた後は無理!」


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