第66話 夏の体育館
「おい紗季、シングルスやろうぜ」
「……まって、すこしやすませて」
紗季が先輩との試合が終わったのを見はらかって、俺は紗季に話かける。
先輩との試合が終わった直後なら勝てると思ったが、流石に断られてしまった。
……余程試合で疲れたのか、紗季の反応が鈍い気がする。
まぁ、そんなことないか。
この暑い体育館で一試合したはずなのに、汗一つかいていないんだから。
紗季は俺の横を通り抜け、自分のバッグへと向かう。
そして、飲み物とタオルを出して休憩を始めた。
◆◇
紗季が休憩を初めて、十分ほどが経った。
紗季はゆっくりとした動きでラケットを握り、コートに入る。
なんて堂々とした態度なんだろう。これが強者の余裕か。
「今日こそは勝たせてもらうぞ、紗季」
「……そうね、せいぜいがんばりなさい」
「賢太くん頑張ってー」
俺の燃え盛る闘志に対し、紗季の冷静な闘志。
その落ち着いた態度も、今日で終わりだ。
俺はネットの下から手を差し出して、試合前の握手を促す。
試合前の決まった儀式みたいなものなので、紗季も素直に手を出してくる。
紗季の手は、細く長い、美しい手をしている。
いつ触っても、惚れ惚れするような手だ。
あまりに細く白い手に、死人の手を想起させるが、彼女の熱いほどの温度が生きていることを教えてくれる。
「いつも通りに二十一点マッチな」
「……もちろんよ」
◆◇
おかしい。試合が順調すぎる。
俺は六点目を取ったときにそう思った。
俺が紗季をラブに抑えたまま、五点以上を取ったことは今までになかった。
ここまでなら、今日の俺は調子がいいということで納得できるが、先ほどから紗季ではありえないようなプレーが連発している。
せっかくトスで勝ってサーブを取ったのにサーブミスをしたり、俺のフェイントに軽く引っかかったり。
こんなこと話あり得ない。八百長を疑うほどだ。
「賢太くん強いねっ! あの有峰さんを圧倒してる」
「いや違う、なんかおかしい」
外野から褒めてくれる愛奈を置いて、俺はネットをくぐって相手コートに入る。
そして近くで紗季の様子を伺った。
「……なによ、けんた。しあいははじまったばかりよ」
「紗季、今日は終わろう。そして外に出よう」
「……いやよ。まけたままでおわれるわけない」
「そんなこと言ってる場合か。俺の負けでいいから行くぞ」
俺は紗季の腕を引っ張って、体育館の外へと連れて行こうとする。
「賢太くん、どうしたんですか?」
「愛奈、紗季の荷物をまとめて持ってきてくれないか?」
「わ、わかりました」
未だに状況がつかめていない愛奈に、最小限の用件を伝える。
今ここで長く説明するよりも、やらなければいけないことがある。
紗季の体温を下げることだ。
◆◇
体育館の外にある、日陰のベンチに紗季を横にして膝枕をしてやる。
濡れタオルで汗を拭きながら、水分を摂取させることも忘れない。
「賢太くん、これでいいですか?」
愛奈は近くの自販機で買ったスポーツドリンクを俺に差し出した。
俺は『ありがとう』と言ってそれを受け取り、紗季の脇に挟んだ。
「これって、熱中症ですか?」
「ああ、そうだと思う」
「救急車とか呼ばなくていいんですか?」
「俺も呼ぼうと思ったんだが――」
「いらないわ、ただのたいちょうふりょうよ」
愛奈が心配していった言葉を、紗季はきっぱりと切り捨てた。
一応、自分で飲み物が飲めるし、意識はあるから大丈夫だと思う。
「でも、病院には連れて行くからな」
「……」
紗季は納得していないのか、ふてくされたように押し黙った。
こいつ病人なのになんでこんなにふてぶてしいんだ?
病人なんだから、黙って看病されてほしい。
「元気そうならいいですけど、なんで賢太くんは気づけたんですか?」
「うーん、色々と理由はあるんだが……」
何から説明しようかと、思案しながら俺は紗季のおでこを触る。
おでこから伝わる紗季の体温はまだまだ熱い。
「最初の不自然な点は、プレーのキレの悪さかな。あんなに弱いのは紗季ではありえなかったからな」
「確かに、賢太くんがすごい強く見えましたもんね。ありえないと思いました」
「失礼だな君は。他には、握手した時の異常な体温や、呂律があまり回っていなかったことからだな。これは最近、年下の少女が似ていた状態だったから分かったことなんだけどね」
俺の脳内では、あの車いすの少女がピースしている映像が再生された。
むかつくほどのドヤ顔で、ふんぞり返っている顔で。
あの子と過ごした数か月も、俺の力になっているらしい。
「それでもよく気づきましたね。私はまったく気づきませんでしたよ」
「それはこいつが人に心配させたくないから、平気なふりをしていたんだよ。演技力高いからな。長く付き合いがある俺でも、最初は異変に気づけなかったからな」
そう言って、俺は紗季のおでこではなく、頭を撫でてやる。
紗季はそれがうざく感じたのか、それとも照れくさかったのか、俺の手から逃げるように頭を動かした。
「ごめんな。気づくのが遅れて」
「……きづいてよ。このばか……」
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