第三章 それぞれの今
第50話 親友の来訪
「へー、思っている以上に部屋きれいじゃない」
「なんで来たんだよ……」
紗季が俺の家に上がるなり、意外そうな声を上げた。
どうやら俺の部屋は汚いという偏見をお持ちだったらしい。
残念ながら俺の血液型はA型なので、綺麗好きなのだ。
紗季からの言葉に俺は鼻を高くする。
って、そうじゃない。
俺はせっかくの休日の朝から、頭を抱えた。
なんで紗季は俺の家に来て、部屋の感想を言われているんだ。
どうしてこうなったのか……。
俺は昨日のことを思い出す。
◆◇
眠くてたまらなかった講義を終えると、俺は早速帰る準備をしていた。
カバンを閉めながらちらっと時計に視線をやると、針が四時を指し示している。
今日はもう講義はないので、凛に面会をして帰ることができそうだ。
最近、なぜか凛の様子がおかしい。
体調は絶好調なのだが、行動がおかしい。
目が合うことが少なくなったし、ぼーっとすることが増えた気がする。
こっちを見ているかと思えば、視線をやるとそっぽを向く。
少し距離を置かれているような気がするのだ。
仲良くなってきたと思っていたのに、初対面時ほどとは言わないものの気まずい雰囲気が流れている。
そのことを訊いてみてもなぜかはぐらかされるし、看護師さんに訊いても愛想笑いで流される。
……はっ!
さては、薬の副作用か!
薬のことなら力になれると思い、意気揚々とバッグを持って立ち上がると、後ろから声をかけられた。
「ねぇ、賢太」
この美しく透き通って、芯のあるような声。
これは無視してもいい声だ。
実質モスキート音みたいなものなので、俺には聞こえない。
そう、俺には残念ながら聞こえないのだ。
俺はそのまま講義室から出ようとすると、肩を掴まれる。
「私を無視するなんて偉くなったものね。殴られたいのかしら」
「痛いですわ。人違いじゃなくて?」
「そんなお嬢様言葉使うのは賢太だけよ。気持ち悪い」
あくまで俺は白を切ろうとするが、ちょっと機嫌が悪い紗季はそれを許さない。
女性とは思えないほどの力で俺を振り向かせると、紗季の額に血管が浮き上がるのを見つける。
なんでちょっと怒ってんの。
女性って機嫌が良い日と悪い日がはっきりとあるよね。
「なんだ、紗季か。誰かと思ったぞ」
「白々しいわね。私だと確信して無視したくせに」
紗季からのお怒りを受けるのはごめんなので嘘をついたが、長い付き合いではそれも無効らしい。
まぁ、目だな抵抗だとは知っていたけど。
「これから用事があるから、用件はなるべく手短に頼むぞ」
「あら、そうなの?」
紗季がわざとらしいほどに驚いた顔を見せる。
ひしひしと俺が忙しいことが信じられないのを伝えてくる。
欧米人もびっくりするほどの過剰なジェスチャーだ。
誇張しすぎたアメリカンドラマかな?
すごい腹立つわ、こいつ。
「そうなんだ。だから十文字以内で言ってくれ」
「あした、いえ、いく」
「おお、本当に十文字以内だな」
俺は紗季が言うたびに指をまげて文字数をカウントする。
十文字を超えた瞬間に帰ろうと思ったが、そうはいかなかった。
紗季半端ないって!
無茶ぶりを秒で返すもん。
そんなんできひんやん普通、そんなんできる? 言っといてや、できるんやったら。
ふぅ……。
……。
「あれ? お前今なんて言った?」
「忙しいんでしょ。止めて悪かったわね」
俺の聞き返しを当たり前のように無視して立ち去ろうとする紗季。
あいつ、俺の家に行くとか言ってなかったか?
俺の幻聴なら入院するだけで済むんだが、幻聴でないならまずい。
紗季が俺の家に来るのは一番いけない。
どうしても見せたくないものがある。
先ほどと立場が代わって俺が紗季を止めようとするが、いつのまにかに紗季は他の生徒に紛れて消えてしまっていた。
それは二つの意味で半端ないって……。
◆◇
今思い返しても意味が分からない。
俺に拒否権というものが無かったんだが。
どうやって家から追い出そうかと考えていると、紗季が椅子に座って机をタップした。
「この家は客が来ているのにお茶も出ないわけ?」
「帰れ!」
なんだこの図々しい客は。
嫌味な姑か?
俺は嫌々ながらもこの家にある一番良いコーヒーを出してやる。
沸かしたお湯の残りでぶぶ漬けでも出してやろうかと思ったが、京都ではないのでやめた。
差し出されたコーヒーを訝しげに飲む紗季。
嫌味な姑じゃん。
「あら美味しいわね」
「だろ! 俺も好きなんだよこのコーヒー」
「けど賢太。それほど牛乳と砂糖入れてたらコーヒーの味わかんないでしょ」
「あ、案外わかるぞ」
二人でゆっくりとコーヒーを飲んでいて、いきなり弱い点を突かれて動揺してしまう。
コーヒー好きで大学では評判なのに、その言葉は営業妨害だ。
落ち着け、俺。
こういう時こそ落ち着いてポーカーフェイスだ。
「まぁ、賢太がそう言うんならいいけどね」
紗季はコーヒーに口をつけながらも、半目でこちらを見てくる。
あっ、これバレてるやつだ。
居心地が悪くなってきたので話を変えることにする。
カフェオレしか飲めない坊やだとは思われたくない。
「で、結局何しに来たんだよ。わざわざ俺の家まで来て」
「これには深いわけがあったのよ。あまり公の場では言えないことだし」
「公の場では言えないこと?」
俺はごくりと、つばを飲み込んだ。
一体なんだろうか。
スキャンダルでも撮られたか?
「賢太は、芸能界に興味はない?」
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