第45話 賭け

「明日は、散歩に行こう!」


大学の講義を終えた後、俺はその足で阿瀬さんの病室に来ていた。

そして、阿瀬さんが要望していたように勉強を教えていた。


「えっ、また行くんですか?」


俺の提案に嫌そうな顔で答える阿瀬さん。

あまりに嫌なのか、手からシャーペンが転がり落ちた。


あれ? こういうのって、患者さんからしたら楽しみな時間だと思っていたんだけど。


「いやなのか?」

「嫌ではないですが、すごく疲れるんですよ。ただ車いすに乗っているだけだと思わないでください?」


シャーペンが落ちたことで空いた左手で、俺の頬っぺたが引っ張られる。

しかし、そこに怨嗟などはなく、赤ちゃんにするような優しい引っ張り。


今更だが、今日は元気な日らしくて安心する。


「違うのか?」

「自分は動けないで後ろの人に命を預けてるんですよ。ジェットコースターに乗っているようなものです」

「そんなに俺の操縦酷かった!?」


今更ながらのダメ出しに真面目に傷ついてしまう。

結構、阿瀬さんを慮ったんだけどな。


そう思って、申し訳なさそうな目で阿瀬さんを見ると顔が少しにやけていた。


あっ、これいじられているパターンだ。


「本当に俺の介護下手だったのか?」

「ひどいですよ。看護師免許取ってから出直してほしいものです」


俺のあきれた目線に、大根役者で返す阿瀬さん。

そのやれやれとしたジェスチャーがすごい腹立つ。


ふーん、そういう態度とるんだ。とっちゃうんだー。


「じゃあ、中止にするか」

「えっ?」


俺の予想もしていなかった言葉に、阿瀬さんが明らかな動揺を見せる。

顔も絶望に染まったような顔をしており、好きな食べ物を目の前で取られた子供の

ようだ。


そんな顔をしても俺はいじわるをやめない。

本物の演技というものを見せてやろう。


俺は目線を阿瀬さんから窓に移した。


「そんな文句を言うんなら仕方ないよな。チラッ。あーあ、楽しみにしてたんだけどなー。チラッ。院長とも話し合ったんだけどなー。チラッ」

「なんですか……。いちいち口で『チラッ』って言いながらこっち見ないでくださいよ……。普通に気持ち悪いじゃないですか……」


阿瀬さんが困惑したような顔になりながらも毒舌をふるう。

しかしその言葉は困窮していて弱く感じる。


「だから、明日はお互いゆっくり休むとす――」

「待ってください! 嫌ではないと言ったじゃないですか!」

「でも、それは社交辞令だろ? 患者さんに何かあったら責任取れないし……」


俺は大げさに深刻な顔をして、散歩を白紙に戻そうとする。

その顔を見て、阿瀬さんが慌てふためいた。


「別に、大丈夫ですよ。信頼してますから……」

「え、なんて?」

「なんでもないですよ!」


阿瀬さんから嬉しい言葉がぼそりと聞こえたが、聞こえないふりをする。


こうすればいいんだろ? 少女漫画で履修済みだぜ。


そうして弄っていくと阿瀬さんが泣きそうになってきたので、そろそろ終わりにしよう。


「分かりました。じゃあ、阿瀬さんは行かなくていいです!」

「……………………行くよ!!」


ようやくツンデレな阿瀬さんがデレを見せた。


◆◇


「でも行くにしてもどこに行くんですか?」

「それは内緒だよ。分かってたら面白くないだろ?」


阿瀬さんが数学を解きながらも質問してくる。

しゃべりながら数学を解けるので、地頭は悪くない。むしろ、良い方だと言える。


「言ってくれないと怖くてたまらないのですが」

「近場だから安心してくれ」

「えー」


それでも阿瀬さんは納得してくれない。

頬を膨らませながら不満が顔に出ている。


感情豊かな阿瀬さんも可愛くて言いたくなってしまうが、ここで言ってしまったら意味がないし面白くない。

あと、阿瀬さんが怖気づいてしまうだろう。


「明日行くところは絶対に満足させてあげれる自信がある。満足しなかったら木の下に埋めてもらっても構わないよ」

「分かりました。大型の免許取って待ってますねっ!」

「ショベルカーで埋める気満々やん」


なんて目を輝かせながら怖いことを言うんだろうこの子は。

はじめてみたよ。そんな嬉々とした表情。


まぁ、こっちは危機とした表情なんですけどね。ははっ。


……。


「でも、もし満足したら手術受けろよ?」

「えっ? は? えっ?」


えっ、怖い。

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