第31話 俺と紗季と車いす少女
いきなりの紗季の登場でびっくりする。
いや、登場より紗季の放った言葉の方が驚愕した。
紗季は阿瀬さんのことを知っているらしい。
俺は今までに何回も紗季に阿瀬さんの話をしてきた。
しかし、プライバシーの観点から一度たりとも名前を出したことはなかったし、外見の話も詳細にはしてこなかった。
なのに、紗季は阿瀬さんのことを知っているそぶりを見せた。
いったいどういう繋がりだろうか。
『さきせんぱい』
紗季に見えるように文字盤を指す阿瀬さん。
どうやら彼女も紗季とは面識があるようだ。
そうなると、俺は必然的に取り残される形になる。
誰か状況説明プリーズ。
「阿瀬さんは私の中学生時代の後輩なのよ。まぁ、後輩って言っても中学校は違ったし、バドミントンの大会で会うぐらいだったけどね」
俺の困惑した態度を見抜いたのか、紗季が関係性を説明してくれる。
その説明を聞いて合点がいったが、新たな疑問点がいくつも浮かんできた。
「てか、阿瀬さんって俺らと一緒でバドしてたんだな」
『してます』
俺が過去形で言ったものを、わざわざ現在形に直して強調された。
なんだったら少し食い気味に返答された。
余程バドミントンが好きなんだろう。
一度でいいからやってみたい。
「あっ、言っとくけど阿瀬さんはあんたより強いわよ。私でも十回戦ったら三回ぐらい負けるもの」
「めっちゃ強いじゃん……」
『……』
阿瀬さんが車いすに座りながら胸を張る。
俺が会った時点で病院のベッドの上でやせ細っていたので知らなかったが、現役時はたいそう強かったらしい。
そのことを踏まえて、もう一度阿瀬さんの体を見直してみる。
白く細い腕、しっかりとしたきれいな脚、どちらも美しくはあるが、スポーツ経験者としては少し筋肉が少ないように思える。
これも長い入院期間の影響なんだろう。
俺が顎に手を当てて美術作品を眺める人のようにしていると、痛い視線を感じた。
「おい、変態。なに人の後輩を嘗め回すように見てくれてんのよ。セクハラよ、変態。」
「へ、変態じゃねーわ! 二回も言うな!」
「ふーん。ふーーーーーーーーーーーーん。」
うっ、紗季からのジト目と暴言が身に染みる。
確かに顧みてみると、年下の女子にしていい行動ではなかったかもしれない。
ここは素直に謝ることにしよう。
「ごめんな、阿瀬さん。ただ、腕や脚の筋肉を見たかっただけなんだ。悪気はなかったんだ」
『……』
「他意はあったんでしょ? いつもの私を見る卑しい目だったもの」
「いやまじで紗季をそういう目で見たことは一回もない。神に誓っていい」
「なんだとコラァ!」
そうして俺と紗季の取っ組み合いの喧嘩が始まる。
さっきからうつむいている阿瀬さんは加勢してくれそうにない。
照れているのか、悲しんでいるのか分からないが、本当にごめんなさい。
◆◇
散歩終了の時間が近づいてきたことに気づいた俺は、喧嘩を中止して車いすのハンドルを握った。
「どうせだし紗季も一緒に病院まで行くか?」
「それは惹かれる提案だけどね……」
紗季は考えるふりをしながら阿瀬さんの方を見る。
俺の方からでは、阿瀬さんの後ろ姿しか見えないので阿瀬さんの表情は見えない。
そうして数秒見つめ合うと、紗季に決心がついたらしい。
阿瀬さんはサングラスかけているはずに何が分かったのだろうか。
「せっかくだけどやめておくわ。これ以上、二人のデートに水差しちゃ悪いしね」
「なんだよ、デートって」
「噂になってたわよ? 薬草園に車いすに乗った妖精とそれを押すゴブリンがいるって」
「俺ゴブリン扱いされてんのかよ!」
「私もゴブリンが見たくてここに来たんだから」
「ゴブリンを見に来たのかよ! どうせなら妖精見に来いよ!」
本当に薬学部での俺の印象はひどいもんだ。
今のところ幼児退行するゴブリンという評判を貰っているに違いない。
いらねぇ。
紗季とくだらないやり取りをしていると、時間が来てしまったので車いすを押し始める。
「じゃあな、紗季」
『また』
「ええ、今度お見舞いにでも行くわ」
そう言ってお互いに会釈をしてその場は解散となった。
◆◇
大学からの帰り道、散歩の締めくくりとして阿瀬さんに問いかける。
「どうだった? 今日の散歩は」
『よき』
「そりゃよかった」
それだけで会話は途切れてしまったが、居心地のいい無言の時間が流れる。
夕日が俺たちを赤く染め、近くの公園からは子供たちの元気な声が聞こえてくる。
そんな光景に感化されたのか、つい柄でもないことを言ってしまう。
「さっきのサザンカのことなんだけどさ。サザンカって、冬の花なんだよ。今はまだ六月だから咲いてなかったけど、冬になるときれいな花が咲く。」
「これってきっと、阿瀬さんにも言えることなんだよ。今は完治するために頑張る時期。今頑張っているリハビリや闘病もいつかは実になると思う。」
「だからさ、」
「阿瀬さんにもサザンカみたいにいつか咲く日がくるといいな」
「そのときには、二人、自分の足でサザンカを見に来よう」
俺の恥ずかしい言葉を阿瀬さんは静かに聞いてくれていた。
そして、体を捻らせて俺の方を向き、文字盤を使って言葉を作った。
『くさ』
どっちの『くさ』なのか分からなかったが、阿瀬さんの口角が少し、ほんの少し上がっていたので気にしないことにしよう。
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