第32話 話をしよう

 人間という生き物は、周りの環境の影響を受けて変化していく。

 周りが優等生ばかりなら『勉強をしないといけない』と危機感を覚えるし、周りが赤信号を渡るなら『自分もいいか』と思ってしまう。


 それで、俺の周りの環境でポジティブな影響を与えてくれているのは阿瀬さんだと思う。

 最近の阿瀬さんの成長は、ほんとに称賛されるべきものだ。

 会った当初は、高校生という若い時期に難病を患って将来に絶望し嘆いていた。

 しかし、最近の阿瀬さんは病気を真摯に受け入れて、克服しようとしている。

 病気に前向きに向き合おうとしている。


 近くでこんなに頑張っている人がいたら、俺も頑張ろうと思うにきまっている。思わされるにきまっている。

 

 だから、俺も過去から逃げるのはもう辞めにしようと思う。


◆◇


 休日の午前中、俺はちょっとオシャレなカフェにいた。

 店内に流れる優雅なジャズを聴き、匂いが強く少し値段の張るコーヒーを飲む。    

 この時が一番生を実感する。

 

 しかし、こういう平和な時間はずっとは続かない。

 急に日常というものは容易く崩壊するものだ。

 

 ガサッ。


 カフェ内の人、全員が入口の方を向いた。

 彼らの目には俺の親友が映っていた。

 

「やっほ」


 紗季が俺に気づくと、軽く手を胸の高さほどに挙げながら俺の方に近づいてくる。

 それに応じて店内の視線も俺に近づいきて、紗季の近くにいる男性は髪を整えだした。

 

 どうでもいいが、憎いほどカフェが似合うな紗季は。


「遅刻ですよ?」

「ちょっと、猫踏んじゃって」

「せめてもっと可愛い嘘ついてくれ」

「ちょっと、四股踏んじゃって」

「誰が廻しをつけろと言ったよ」


 紗季は俺にあきれた目で見られていることを気にもせず、四人のボックス席で俺の隣の席に座る。

 えっ、なんで?


「おい紗季。目の前の席が空いてんだろうが、わざわざ隣に座んな。目立ってるだろーが」

「いやよ。今日は何をするのか聞いてないけど、なんかいやな予感がするもの」


 そう言って、悪寒を抑えるように自分の腕を抱いた紗季は、断固として移動しようとしない。

 その予感は的中してるので、それ以上強く何も言えない。

  

 俺が実力行使をしないと察した紗季は、髪型を治しながら訊いてくる。


「で、今日は何すんのよ?」

「ああ、それなんだが――」


 声に出そうとした瞬間、カフェ内視線、すべてが入口に集まった。

 ああ、デジャブだ。


 その視線を浴びている元カノは、俺に気づくとわざとらしいほどに手を振って小走りに近づいてくる。

 少しかわいいと思ってしまったことに腹が立つ。


「ごめーん、待ったー?賢太く――」


 デートの定番のセリフを言おうとした愛奈の視線が、俺から隣にスライドしていく。

 そして紗季と視線がかみ合う。

 しかしそれも一瞬のことで、その二つの視線は俺に集まった。


「賢太くんっ、今日は二人でカフェデートって聞いてたんだけどっ」

「言ってない」

「賢太、私、ぶりっ子アレルギーって言ってなかったっけ?」

「言ってない」

「賢太くん、私ぶりっ子なんかじゃないよ。天然だよ」

「賢太、自分のことを天然っていう女に碌なやつはいないわ」

「賢太くん、他人の悪口言う人とは仲良くしない方がいいよ」

「賢太、これは悪口じゃなくて一般論よ。教訓よ」

「「けん――」」

「賢太、賢太うっせぇな! 俺を介せずに直接話せよ!」


 愛奈に正面から胸ぐらをつかまれ、紗季に体をグラグラと揺らされながらたまらず叫んだ。

 俺は翻訳機ではないんですよ? 振ったら喋るおもちゃじゃないんだから。


「とりあえず有峰さん、賢太くんの隣からどいてくれませんか? そこは私の指定席なんですよ」

「あら、そうだったの染井さん? 賢太曰く、ここは自由席だって聞いていたんだけど」

「株主優待で優遇制度があるんですよ?」


「「……」」


「「ぐぬぬぬぬ……」」


 お互いに視線をぶつからせ、一歩も引く姿を見せない。

 ガチ恋距離でメンチを切るなよ。勘違いされるぞ。

 

 美少女の見つめ合いは色々と問題を起こしそうなので、とりあえず落ち着かせて本題に入ることにする。


「落ち着くんだ君たち。傍から見ると、付き合っているように見えるぞ君たち。今の時代はLGBTに優しい時代ではあるけどね。わはは」


 俺がジェスチャーも使いながら、ジョークで鎮静化を図る。

 しかし、雰囲気は最悪だ。

 もしかして滑った?


「チッ、覚えててね、賢太くん」

「チッ、覚えてなさいよ、賢太」


 あれっ?

 美少女の舌打ちって全く興奮しない。めっちゃ怖い。

 心的外傷後ストレス障害PTSDを軽く負いつつも、とりあえず紗季を隣に、愛奈を前に座らせることに成功する。


「今回集めた理由は、俺たちの高校時代からの付き合いを色々と改善させるためです。みなさんは高校時代を覚えているでしょうか?」

「さすがに覚えてるわよ。去年のことじゃない」

「賢太くんとの思い出は、一秒たりとも忘れたことないよ」


片方が肘をついて、もう片方が頬に手を当てて体をよじらせるという対照的な反応をされつつも俺は言葉を続けた。


「では、俺たちの関係がこれほどに拗れてしまった理由ですが――」

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