第22話 元カノと宣戦布告

「自然消滅っていつからが自然消滅なのかな?」


 愛奈からの直球の質問にたじろいでしまう。

 正直、昨晩の電話が来た時点でこの話になるのは予想していた。

 しかし、だからといって答えが用意できていたわけでもない。


「私はね。自然消滅って、数学の用語や法律のように定義されているものではないと思うの」


 愛奈は俺を正面に捉えながら、カップのふちをなぞる。

 紅茶に映った彼女の表情は、いつもの計算づくされたものとは程遠い、真面目な顔。

 そのことが、この話題が重要な話なのだと認識させる。


「例を出すね。街中の人に『自然消滅っていつからだと思いますか?』って訊くとする」

「うん」

「そうすると多くの人が、それぞれ思い思いの考えを出すと思うの」

「まぁ、そうだろうな」

 

 検証してないので証明はできないが、きっとそうなるだろうと納得できる。


 熱々のカップルに訊けば、一週間ぐらいの短い期間を出すだろう。

 これは熱いカップルにとって、一週間は一ヵ月ぐらいの体感時間が要因だからだ。

 逆に、倦怠期のカップルに訊けば、少なくとも一週間なんて短い期間は出さないだろう。

 一ヵ月や半年、ましては一年という答えが出るかもしれない。


 このことから考えると、カップルの熱と自然消滅のボーダーラインは反比例すると言えるのではないだろうか。

 ふっ、またつまらぬものを理系的に考えてしまった。


 そんなくだらないことを考えている俺をよそめに、愛奈は鋭い目をしていた。


「きっと、賢太くんは今。理系的に一週間とか、半年とか具体的な期間を考えたと思うの」

「えっ?」

 

 愛奈の的を射た発言にぎょっとする。

 

 なんで、考えが読めたのこの子?

 

 すごい。付き合った相手の考えって、読み取れるんだ。


「『すごい。付き合った相手の気持ちって読み取れるんだ』って思ってるでしょ」

「もうやめて、心読むの!」


 愛奈が俺を指さして、心情を当てていく。

 俺はプライバシーを守るために、自分の肩を抱く仕草をして身を守る。

 物理的防御が効くのかは謎だ。


「賢太くんが読みやすいだけだけどね」


 愛奈はあははと苦笑いしながら、頬を掻く。

 どうやら、元カノだけの特権ではなかったようだ。


「で、話を戻すんだけど。私はね、お互いの気持ちがゼロになったときが自然消滅だと思うの。まぁ、簡単に言うとお互いが自然消滅したなと思った時が、本当の自然消滅なの」

「ほう」

「賢太くんは具体的な数値を基準に考えていたけど、私は感情を基準で考えたの」

 

 愛奈の考え方は、俺とは違う方面での考え方だった。

 しかし、正解というか、一理あるように感じる。

 

 『自然消滅はいつから?』という問いは、思っていた以上に難しいらしい。

 

「つまり、理系は論理的に考えて、文系は感情的に考えるってことか」

「厳密的に言ったら、人それぞれだから違うと思うけど、大雑把に言うとそんな感じだと思う」


 愛奈は『一旦休憩』というように、紅茶をすする。

 俺もそれに従って、コーヒーを飲む。

 頭を使ったからか、頭に糖分が回るのを感じる。

 これだからあまあまコーヒーはやめられないぜ!


「さらに難しい話するんだけどね」

「まだあんの?」

「自然消滅とすれ違いってどう違うのかな?」

「うーん、どうだろうな」


 紅茶を飲み終えた愛奈は、カップを置いて話を続ける。

 自然消滅が半年だとしたら、その半分の三か月ぐらいだろうか?


「あっ、また理系的な考え方したね」

「やめろって!確かに、自然消滅の半分かなとは思ったけどさぁ」

「それは自然消滅の話をしたからバイアスがかかってるんだよ。先に、すれ違いの話が出た後に自然消滅の話をしてたら、すれ違いの二倍って言ったと思うよ」


 愛奈は注意するように、指を振る。

 

 高校時代から思っていたことだが、やっぱり愛奈は頭が良い。

 それに、人の考えや感情を読み取る能力が著しく高い。

 法学部じゃなくて、心理学の道に行ったほうが良かったのでは?


「私はね。カップルが自然消滅してない限り、しばらくの音信不通は全部すれ違いだと思ってる」

「つまり、別れてなければ全部すれ違いって感じか」


 ひしひしと考え方の違いを感じる。

 一年付き合っていた俺たちは、基本的には同じような感受性と価値観を持ち合わせている。

 これは付き合う理由にもなったし、付き合った後にも成長した要素。

 しかし、恋愛観に関してはその限りではないようだ。


「今回、私は理系と文系っていう表現をしたけど、これは男性と女性の考え方の違いって言えるかもしれない。むしろそっちの方が適切な表現なのかもね」


 紗季は椅子から立ち上がり、少し体を伸ばす。

 俺も難しい討論で疲れたので、椅子に座りながら体を伸ばす。


「ここまで長くなっちゃったけど、言いたかったのは自然消滅っていう考え方は人によって違うから、定義できないってこと」

「そうだな、深く考えさせられたよ」


 『ということはね』と愛奈は言って、歩き始める。


「賢太くんが考える自然消滅は、約一年間の音信不通」


 一歩。


「私が考える自然消滅は、お互いが別れたと思った時」


 また一歩。


「これらはね、どっちも正解であり不正解なの」

「だからね、本当は嫌で嫌でたまらないけど、賢太君は私を元カノと思ってくれていい」

「その代わり、私は賢太くんは今カレだと信じてる」


 言葉を重ねて俺の真正面に立った。


「私にとって、この一年間の空白期間はただのカップルのすれ違いにすぎないの」


 そして、俺に顔を近づける。

 お互いに見つめ合って、今にもキスをしてしまいそうだ。


「っ……」


 愛奈は何を言おうとしたのか、顔を赤くさせ、俺から視線を外す。

 その先に見つけた俺のコーヒーカップを手に取り、俺が口をつけたところに唇を重ね、一気にコーヒーを呷る。

 

 カチャン。


 そして、空っぽになったカップを置くと、


「私、諦めないからっ!」


 そう俺に、宣戦布告をするのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る