第二章 それぞれの過去

第21話 元カノの来訪


 梅雨に入った六月の上旬。

 そんな季節だが、今日の天気は梅雨を感じさせない日差しで、初夏を感じさせる。

 

 そんな絶好のお出かけ日和に、俺は朝から家に引き篭もっていた。

 休日はほとんど家でナマケモノごっこをしているが、今日はいつもと違う。


 家にいるのに寝間着ではなく余所行きの服装で、緊張した顔のまま椅子で待機している。

 今か今かと、玄関の方を何度も見ては、時計を見る。

 その往復が三十回を超えるだろうというときに、インターホンが鳴った。


 ピン、ポーン。


 この慎ましいインターホンの押し方は、今までに何回も聞いたことがある。

 懐かしい、あいつに違いない。

 もう一人の方は、もっとがさつだから分かる。


 インターホンに答えることなく、玄関に直行する。

 鍵を開け、チェーンをドアを開けると……。


「来ちゃった……。おはよう、賢太くんっ」

「ああ、おはよう愛奈」


 そこには、予想通り、愛奈がいた。

 当たり前のように上目遣いをして、体をもじもじとさせている。

 以前大学で会った時より、服装やメイク、髪のセットに力が入っている気がする。

 控えめに言って、めっちゃ可愛い。

 

「なんでチェーンかけてるの?開けてよ」


 愛奈がチェーンに気づき頬を膨らませる。

 その表情には少しの哀愁を含ませ、庇護欲を掻き立ててくる。

 普通の男ならこの表情を見ただけで家にあげているだろう。

 だが、俺には通用しない。獲得免疫すごいんだぞこっちは!


「なぁ、本当に俺の家で話し合うのか?」

「そうだね。昨晩、電話したよね?」

「そうだけどさ……」


 愛奈は『当たり前じゃんっ』という調子だが、俺はそうはなれない。

 元カノを家に入れることがいかに危険か、それを理解しているからだ。

 

 端的に言うと、愛奈を家に入れると俺が食われる。

 俺が愛奈を食べてしまうのではない、俺が愛奈に食べられるのだ。

 愛奈はその可憐な見た目に反して、超が付くほどの肉食系。

 付き合っていた時も、そういうムードになったことは何度もあったが、俺はすべて拒絶してきた。

 その時はお互いが高校生だったし、初夜は結婚後だと俺は決めていた。

 しかし、もうお互いに結婚できる年齢になってしまった。

 

 つまるところ、断る大義名分がない。

 だから、こんなにも愛奈を家に入れることを渋っているのだ。


「やっぱり、喫茶店とかじゃダメか?」

「ダメだよ。公共の場ではできないもん」


 この子、何をしようとしているのだろう?

 いやらしい子ね、まったく。


「賢太くんが何を考えているのか分からないけど、私がしたいのはお話だけだよ」

「本当にお話だけ?」

「本当だよっ」

「おさわりは無しだよ……?」

「分かってるって。ほんと少しでいいからね。ほら入れてよ。ねっ。あっ、もしかして入れられない理由があるのかな。別に家が散らかってたって幻滅しないよ。むしろ、女子力の披露するチャンスだからうれしいし、賢太くんの日には興味があるから。それともなにかな、私に見せられないようなものでもあるのかな?エッチなものがあっても、男の子だから別に気にしないよ。本当は他の女に欲じょ――」


 愛奈はかわいらしいスニーカーをドアの狭間にねじ込んで、ドアを閉まらなくさせる。

 このスニーカーへの力の入れ加減から察するに、愛奈の決意は固いようだ。

 あと、なんか怖いし。

 結局、折れた俺はチェーンを開け、愛奈を家に入れる。


「ただいまっ」

「愛奈の家じゃねぇんだぞ……」

「今はね」

「今は⁉」


 愛奈のノリの良さは、一年では鈍らないらしい。

 入れて数秒だが、後悔してきた……。


◆◇


 愛奈は俺の部屋に興味津々らしく、目をキラキラとさせて物色する。

 見られて嫌なものは雲にあるので心配はないが、なんかいやだ。


「まぁ、椅子にでも座ってくれ」

「じゃあ、そうさせて貰うねっ」


 犬だったら尻尾を元気に振っていただろう愛奈を、どうにか椅子に座らせる。

 

 愛奈は一応、客人なのでもてなすことにしよう。


「俺はコーヒー飲むけど、愛奈は紅茶でいいよな?」

「うん、お願い。コーヒー飲めないこと覚えててくれたんだね」


 些細な気遣いだったのだが、よほど嬉しかったのか足をブンブンと元気に振る愛奈。

 そんな姿に苦笑してしまう。

 

 お湯を入れるだけの作業だったが、頑張って作った飲み物を机に運び、愛奈に渡す。


「どっちもインスタントだけど、許してな」

「全然いいよ。ありがとー」


 愛奈が紅茶を口につける。

 味の方はどうだろうか。

 作り方通りに作ったはずだが、少し緊張してしまう。

 どうでもいいことだが、愛奈はカップを持つ時に小指を立てるかわいい癖がある。  

 これも狙ってそうなのが愛奈の怖いところだ。

 

「うん。インスタントっていう味」

「言っただろうが。失礼なやつだな」

「あと、愛情の味がする!」

「ごめんな。入れたつもりないんだが、不純物混じってて」

「嬉しいっ」


 余程手作りの紅茶を気に入ったのか、愛奈は蕩けるほど笑顔を見せる。

 愛奈の目にハートが入っているときに、皮肉は効かない。

 知っていはずだが、忘れてしまっていた。

 

 俺も、砂糖と牛乳をたくさん入れたコーヒーに口をつける。

 うん、いつもの味だ。

 いつもの味だが、美少女と飲むともっとおいしくなるらしい。


◆◇


 二人の間にゆったりとしたムードが流れる。

 このまま愛奈と朝のティータイムを楽しみたくなる。

 しかし、このまま長居されてしまうと午後の用事に差し障るので、用件を聞くことにした。


「それで? 話ってなんだ?」

「あ、そうそう。話をしに来たんだよね」

 

 愛奈は忘れていたのか、カップを机に置き、姿勢を正した。

 それほどに大事な話なのだろうか。

 思わず聞き手の俺も姿勢を正してしまう。


「賢太くん」

「単刀直入に訊くんだけどさ」




「自然消滅っていつからが自然消滅なのかな?」

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