ロココがマニエリを張り手で吹っ飛ばしてから約一時間後。

 マニエリはロココの部屋の中で目を覚ました。


「あ、目を覚ました。良かった、一時は死んだかと……水飲みます?」

「いえ、結構です」


 ロココが暮らす冒険者長屋は、格安なことからロココのような貧乏冒険者に愛されている。

 ただしその分設備は壊滅的で、四六時中隣近所から変なうめき声が聞こえるし、大量のシラミが生息しているし、雨漏りも床抜けもしょっちゅうだ。

 あまりに住環境が酷いので、ロココ本人も寝るとき以外長屋に寄りつかないようにしている。


 ベッドからのっそりと起き上がったマニエリに、ロココは静かに頭を下げた。


「えっと、ごめんなさい。まさかこんなことになるとは思わなくて」

「いいんです……美少女に殴られるのならば、ある意味逆に幸せですから」

「何言ってるの?」


 ロココの申し訳なさそうな顔が一瞬で呆れ顔に変わる。

 マニエリは振り返り、ロココの両手を包むように握りしめた。


「むしろ、僕を殴ってみてどうでしたか。ウザい奴を今までにないパワーで殴れて爽快でしたか!?」

「ウザいって分かってああいう立ち振る舞いしてたんだ……やめた方がいいと思いますよ」


 それはさておき。ロココはマニエリの手を払って咳払いをする。


「自分じゃ絶対出せない力を出すという経験は新鮮で、ちょっとすっきりした気持ちも……ないではなかったです」

「そう! それは良かった。では僕と一緒に――――」

「だけど、強化魔法のことは遠慮させてもらいます」

「おや」


 ロココの真剣なまなざしに、おどけるのをやめて身を引き締めるマニエリ。

 ロココは淡々と続ける。


「私は、私の力で強くなりたい。誰かの力で手に入れた力じゃ、自分を納得させられない」

「僕が手を貸そうとしたときは、割と興味を持ってくれていませんでしたっけ」

「修行とか、知らない才能を教えてくれるとか、そういうのを期待していました。魔法の力で外から強くするなんて、求めてなかったんです」


 田舎の村出身のロココは、『魔法』についてよく知らない。

 だがそれが確かにこの世界にあって、ごく一部の選ばれた血統の持ち主だけが使える超常の秘技であることまでは知っていた。


「修行で力をつけるのも、強化魔法で強くなるのも、別に違いないと思いますけどね」

「全然違いますよ! 修行で強くなるのは、私自身の力になる! だけど強化魔法は、あくまで貴方に力をもらってるだけじゃないですか!」

「でもロココさん、武器は使っていますよね」

「え、あ、それは……」


 立ち上がったマニエリが、ロココに近づく。

 ロココはたじろいで数歩後ろに下がった。


「武器だって貴女が作った物じゃない。自分自身の力でないと駄目だというなら、武器を捨てて徒手空拳で挑むのが道理というものでしょう」 

「……うぐっ……えっと……」

「武器も強化魔術も同じですよ。たとえ自分自身の力でなかったとしても、自分で勝ち取ったものなら――――」

「わー! ストップ、ストップ!!」


 ロココはあまり口が上手い方ではなかった。

 対してこのこのマニエリ=ヴァザールという男は、どうやら口八丁に長けているようだ。

 このまま喋っていると押し切られてしまいそう。

 そう思ったロココは、強制的に話を打ち切ることにした。


「とにかく! いいんです。その力は、もっと効率よく強くなれる誰かに使ってあげてください」


 そう、きっとシノワズリも、自分がこういう形で強くなることを望まない。

 彼女の期待に応えたくてこの道を選んだんだ。

 だったら一足飛びに力を手に入れても、何の意味もないじゃないか。

 ロココは、脳内で言い聞かせるように念じた。


「私は自分なりに、こつこつ頑張っていきますから。はい、ありがとうございました。怪我もなさそうですし、そろそろお帰り下さい」


 マニエリの背中を押して、ロココは彼を部屋の外に出そうとする。


「……誰かに修行をつけてもらって覚醒したり、誰かに素質を見いだしてもらえる日を待つつもりですか?」


 だが次のマニエリの一言で、ロココの動きは止まった。


「言っておくけど、ロココさん。いくら待ってもそんな日は来ませんよ」

「……!」

「僕には分かるんですよ。人それぞれの身体能力に、どれだけ伸びしろがあるかということがね。強化魔法を極めたことによる副産物です」


 マニエリはロココの手を振り払い、向き直って彼女の髪を撫でつけて言った。


「はっきり言って貴女はこれ以上どう頑張っても強くなれませんよ」

「……!」

「もちろん、一人ではという意味で――――」


 次の瞬間、マニエリの顔に向かってロココが水を叩きつける。

 マニエリが水を手でぬぐって目を開くと、ロココの顔は真っ赤に染まっていた。

 綺麗な顔をくしゃくしゃにしながら、ロココは怒鳴る。


「勝手に人の可能性を否定しないでよ! 私は……私は、あのシノワズリ=ブーシェに認めてもらったんだ!」

「シノワズリ・ブーシェ? ああ、あの有名な冒険者ですか。……」


 マニエリはしばし考えるように顎を弄ってから、疲れたようにため息をつく。

 冷め切った視線には、真に迫る圧のようなものがあった。


「だったら彼女には見る目がなかったんでしょうね。それか、深く考えず適当に話していたんでしょう」

「……出て行け!」


 マニエリは無言で彼女に背を向け、長屋の外へと歩いて行く。

 彼の姿が見えなくなってからロココは部屋の戸を閉めて、ドアにもたれかかるようにうずくまった。

 どっと疲れがやってきたのだ。

 ベッドまで歩く気にすらなれなかった。






 分かっていたんだ。全部最初から。

 自分のような小娘に慕われることも、目標にされることも、シノワズリ=ブーシェにとってはよくあることだったはず。

 そしてそんな子供一人一人に真面目に取り合っていられるほど

 要するに、私に言った言葉は取るに足らない社交辞令で。

 きっと、何の意味もないんだってこと。

 だけど――――それでも―――――。


「……私に、特別にこの腕輪を渡してくれたのは……私に、何かを見たからですよね。そうですよね、シノワズリさん……!」


 腕輪が何かを答えてくれるわけでもないのに、すがりつくように握りしめる。

 結局その日は、扉に寄りかかる形でそのまま寝付いてしまい、朝を迎えることになった。




 次の日も、ロココの仕事はネズミ退治だ。

 いつものように朝一番で地下水道に潜り、一日かけて規定数を仕留めてはした金を受け取る。

 日課の素振りを昨日やらなかったせいか、今日はいつもより少し早く終わった。

 十八時頃の人で賑わう集会所に来たのは久しぶりだった。

 だが、活気づく喧噪や団欒の景色を見ても、ロココはただ孤独感に苛まれるばかりだった。

 その場にいる誰も、自分を歓迎していないことを知っていたから。


「へえ、珍しい。どうした銀毛のチワワ。今日は仕事をさぼったのか?」

「きっとドブネズミすら怖くなったに違いないぜ!」

「……」


 その上、やけに上機嫌なバロック一味にも絡まれる始末。

 何故かバロック本人はいなかったものの、取り巻き二人ですらロココだけでは振り払えない。


「……あんたらに用事なんかないんだから、どっか行って」

「まあそう言うなよ。時間はあるんだろ?」

「今日はバロックの旦那もいねえし、俺たちとちょっと羽目を外そ――――」

「また懲りずにちょっかいかけてるの? いい加減情けないからやめなさいよ」

「!」

「ちっ、アリオスト……!」


 そして救いの手を差し伸べてくれたのは、またルネだった。

 近隣ギルドで五指に入る実力とされるルネは、バロックほどではないにせよ周りに恐れられる存在。

 取り巻き二人は、そんな彼女と関わるのを避けて悪態をつきながら帰っていった。


「ルネさん、いつもありがとう」

「ううん、これくらいいいのよ。でも珍しいわね。ロコちゃんがこの時間帯に来るなんて。何か嫌なことでもあったのかしら?」

「……」


 少し逡巡した後、ロココはルネに昨日のことを話そうと決めた。

 荒唐無稽な要素も多分に含まれているが、ルネなら真面目に聞いてくれて……それでいて、自分に共感してくれると思ったのだ。




「――――なるほど。そんなことがあったのね」


 ロココが昨日の全てを語った後、ルネは黙って目を閉じた。


「ルネさん。私は魔法の力なんかに頼らない道を選んだんだけど……これって、間違ってないよね?」

「……」


 しばらくの沈黙。周囲は相変わらず喧噪で騒がしいが、ロココには時が止まったように静かに思えた。

 少し経ってから、ルネは笑顔で目を見開く。


「ええ。ロコちゃんは正しい判断をしたと思うわ。努力もなしに手に入れた力なんて、何の意味もないものね」

「! 本当!? ありがとう! そう言ってもらえると、とっても嬉しいよ!」


 ロココは嬉しかった。

 昨日の煽りのせいで、彼女は自分一人では、マニエリの提案をはねつけた判断を正しいと信じ切れなくなっていたのだ。

 たった一人の友人であり、かつシノワズリの次に尊敬する冒険者でもあるルネに認めてもらえたのは、彼女にとっても大きな自信に繋がった。

 立ち直ったロココの様子を見て、ルネは何かを悟ったように頷いた。


「だったらあと必要なのは、努力を活かすための土壌ね。誰かと一緒に修行できれば、きっと今より効率が良くなると思うわ」

「……! それって……」

「頼りない妹分のために、お姉さんが一肌脱いであげる。ロコちゃんが良ければ、私がロコちゃんのことを鍛えてあげるわよ」

「る、ルネさん……!」


 両手を広げて、暖かな微笑みを浮かべるルネ。

 ロココの目元から、知らぬうちに涙がこぼれ落ちる。


「……うっ、ありがとう。ありがとうね……」

「はいはーい、よしよし。泣いちゃ駄目よ、冒険者でしょ」


 ロココの頭をルネが抱える。

 ルネはしばらく、ロココの胸に顔を埋めたままでいることにした。


「どれだけ役に立つか分からないけど、色々教えてあげるわ。時間と場所だけど、明日の夜八時に郊外の森の奥にあるあばら屋に集合ね」


 森。ロココはしばらく、それがどこを表しているのか分からなかった。

 二人が生活圏にしている地方都市は広大で、森と言えるような森に行くまでにはそれなりに歩かなければならない。

 稽古に広い空間が必要というだけなら街中の公園でも足りるので、ルネがあえてそこを指定したのがロココには奇妙に思えた。


「あばら屋がある森と言えば、近隣だと一つしかないけど……わざわざそんなところまで?」

「うん。ほら、結構踏み込んだ秘伝的なことまで教えるつもりだから、できるだけ人に見せたくないんだ」

「私のために、そこまでしてくれるなんて……」


 ロココの手が感動で震えた。

 地獄に仏。周り中敵だらけでも、ただ一人味方がいるというだけで、こうも気持ちが救われるものなのか。


 その後、ルネと別れて帰り道についた後も、ロココの気分は晴れやかなままだった。


「見てろよ-! 私にだって何らかの才能があるってこと、見せつけてやるんだから!」


 誰もいない闇に向かって、高らかに拳を掲げるロココ。

 自分自身に言い聞かせているようでもあった。





 その後、ロココは行き先を変更して公園に向かい、昨日できなかった素振りの特訓を行うことにした。

 気分が良かったので、日課分と合わせていつもの二倍くらいなら出来そうな気がしたからだ。

 ところが向かったいつもの公園で、ロココは今一番会いたくない相手と遭遇することになる。


「やあ、こんばんは。また会うなんて奇遇ですね」

「……まだこの町にいたんですね、ヴァザールさん」


 極彩色のジャケットは、夜の闇ではひときわ目立つ。

 彼はベンチに座って、ポケットサイズの書籍を読みながら時間を潰していた。

 まるでロココがここに来るのを、前もって見越していたかのようだった。


「当分は。そうですね、ロココさんにオーケーをもらえるまで居座るつもりですよ」


 この魔法使いは、相変わらずロココのストーカーを続けるつもりらしい。

 また口八丁をぶつけてくるのかとたじろいだロココだったが、すぐ思い直した。

 そう、今日は昨日とは違う。こちらだって、マニエリの横暴に対するアンサーを持ってきているのだから。


「悪いですけどオーケーを出す時は来ませんよ。問題は解決できましたから!」

「……解決?」


 ロココは、ルネに修行をつけてもらえるようになったことをマニエリに話した。

 マニエリの驚いたような顔を見られないかと思っていたが、帰ってきた反応は白けきったため息だった。


「残酷なことをしますね。それだけ腕が立つなら、ロココさんに修行つけたって何の意味もないことぐらいよく分かっているでしょうに」


 マニエリの反応が想定外に湿気ていたので、気分を害したロココの語調がまた荒くなる。


「……残酷なのはどっちですか。私のモチベを削るようなことばっかり言って!」

「事実を伝えているだけです。それより僕と手を結んだ方がよっぽど楽に強くなれますよ」

「楽をして手に入れた力なんて何の価値もない。それは昨日も言ったと思うんですけど」


 分からない。そう言いたげに、マニエリはロココの目をじっと見て、それから首をかしげて言った。


「……ロココさんは、どうして冒険者になりたいと思ったんですか?」

「え?」

「努力することが目的なんですか? 努力して、辛い思いを味わうために冒険者やってるんですか?」

「ま、マゾって……そんなわけないでしょ! 私は――――」

「もしそれ以外に目的があるなら、別に楽をしたっていいと思うんですけどね。むしろ優先順位の低い要素にかまけて本来の目的を達成できないなら、本末転倒もいいところです」

「……」


 言われてロココは思う。

 そういえば、どうして自分は冒険者をここまで強く志すようになったのだろう。

 シノワズリに対する憧れ。それはもちろんある。

 だけど他に何かあったような気がする。

 それはただ単に強くなりたいというだけではなく、もちろん苦労したいなどという明後日の方向のものでもなく……。

 思い出せなかったので、ロココは考えるのを止めた。

 停止する彼女を見て、マニエリは深々とため息をついた。


「大体三重苦四重苦どころじゃない肉体的ハンデを背負ってるんですから、少しくらい楽したって神様も何も言いませ――――」

「黙れっ!!」


 反射的に手が出ていた。

 ロココの右手平手打ちが、マニエリの頬に迫る。

 しかしマニエリは、煩わしげにロココの手をあっさり掴んで受け止めた。

 身長差のせいで宙ぶらりんにぶら下がる形となって、ロココはじたばたもがいた。


「……ふぐぅ……」

「なるほど。一度実感しておきたかったんですが、素の力だと僕でも防げるくらい非力らしい。本当に、貴女が冒険者というのが信じられないです」


 しばらく藻掻いた後、どうにもならないのでロココは動くのを止めた。

 それを見計らって、マニエリは彼女を優しくベンチの上に下ろす。


「にしても狂犬ですね。手、出るの早くないですか?」

「あんたが失礼なのが悪いんでしょ……!」

「まあ、いくら早く手を出したところで貴女のパンチは僕には届かないわけなんですが」

「うるさいな! いい加減黙ってよもう!」

「いいでしょう、黙ります。今日はあまり長居もできませんしね。ただし、最後に一つだけ」


 マニエリはロココに背を向け、手をひらひらと振りながら去って行った。


「自分が本当にやりたかったことは何か、もう一度見つめ直してみてください。そこを取り違えていると、後々大きく足下をすくわれますよ」


 残されたロココは、煮え切らない思いを抱えたまま、手元の剣を振り始めた。


「なんなのあいつ、私のことを見透かしてるようなこと言って……」


 もやもやした気持ちは結局完全には晴れきらないまま、次の日が粛々とやってきた。





 次の日の鼠退治はいつもより時間がかかってしまった。

 結局もやもやが残ったまま、前の日の疲れを抱えながら仕事に挑む羽目になったせいだ。

 ロココは滑り込むように報酬を受け取って、ダッシュで森へと向かう。

 郊外の森は、夜間はほとんど人が寄りつかない。

 指定されたあばら屋までの道のりを草をかき分けながら進める都度に、ロココは静まっていく空気をひしひしと感じた。

 やがて、遠くの方にぼんやりと灯りが点っているのが見えた。

 あばら屋の中で、二つのランプが光煌と光っている。

 そしてそんなランプの対角線上に、ナックルダスターを身につけた戦闘モードのルネが座っていた。


「ごめん、ネズミ掃除がいつも以上に手間取っちゃって」


 時間ぎりぎりになってしまったことを、ロココはまず最初に謝る。

 遅刻したわけではないとはいえ、ルネより遅く着いたのは修行をつけてもらう身として失格、そう思ったからだ。


「今日は早く……終わらせるつも……」


 途中まで言って、ロココはルネの雰囲気がいつもと少し違っていることに気付いた。

 どことなく殺気立っているというか、冷たい気質を感じさせるというか。

 とはいえ気のせいだろう。最弱冒険者の自分の勘など当てにならない。

 そう思って、ロココは浮かび上がった違和感を無理やりに飲み込んだ。


「……つもり、だったんだけど……」

「いいよ別に。大して待ってないから」


 ルネはにこやかに立ち上がり、おもむろに手を伸ばす。

 握手を求められているのかと思って、ロココは彼女に近づいた。


「そ、そう? じゃあ今日はよろし――――」

「あ、修行を始める前に一つ」


 しかし、彼女らの手が折り重なることはなかった。


「授業料。その腕輪を私に寄越しなさい」


 手が触れ合う直前、ルネがぽろりとあり得ない一言を漏らしたからだ。


「……え?」


 友達だと思っていた女冒険者から聞かされた一言は、ロココが騒動だにしていなかった残酷な真実の前触れだった。

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