強化魔術師は最弱冒険者を最強にしたい

イプシロン

「美しい……」


 ロココ=フラゴナールの姿を初めて見たとき、マニエリ=ヴァザールは思わず息を呑んだ。

 背格好に似合わない無骨な皮鎧を身につけた彼女が、あまりに儚く美しかったからだ。

 彼女は冒険者だ。ギルドが公募する依頼クエストを受注し、剣を振って日銭を稼ぐ荒事師だ。

 しかし彼女の外見は、一般的な冒険者とはかけ離れていた。

 アルビノを思わせる、輝くように白い肌。

 剣を握るより繕い物の方を得意としていそうな細い指。

 白銀に艶めく髪。

 深窓の令嬢として花を愛でている方がずっと似合っているような、線の細い儚げな少女だった。

 似合わない皮鎧を整えながらギルドの集会所を出て行く彼女の自信なさげな背中を見ながら、ヴァザールは確信する。


「間違いない。彼女こそ、僕が探し求めていたひとだ」








「お、終わりました……」


 ロココがドブネズミの駆除を終わらせたのは、夜の七時半過ぎのことだった。

 彼女が出発したのは朝。時間にして十二時間以上に渡る長丁場である。

 

 泥だらけでギルドに現れた彼女に嫌悪のまなざしを向けつつ、ギルドの受付係は報酬のはした金を叩きつけた。


「はい、お疲れ様でした。ここは午後八時に閉まるので、それまで居座ることのないように注意して下さいね」

「……はい」


 本来は丸一日かけてやるような仕事ではない。

 駆け出しの新米冒険者であっても、半日もあれば規定の数を駆除できる。

 ロココがそうできない理由は単純で、彼女が冒険者としてあまりにも弱すぎたからだ。


「へっへっへ、また一日使ってネズミ退治かい、フラゴナールのお嬢ちゃん」

「偉そうな腕輪に見合わねえ無能女! もう辞めちまった方がいいんじゃねえのか~!」

「……っ、バロック一味……!」


 カウンターを離れると、すぐに数人の男が寄っていってロココを取り囲んだ。

 筋骨隆々とした屈強な荒くれ者ばかり。

 全員、このギルドに所属する冒険者である。


「邪魔をしないで、帰るところだから」

「おお、怖い怖い! 相変わらず、きかん坊の小型犬みたいだな! うかうかしてると噛まれちまいそうだぜ!」

「噛まれたところで怪我なんてしねえけどな!」

「違えねえ! ゲラゲラゲラ!」


 ロココがありったけの怒気を剥き出しにして男たちを睨んでも、彼らは笑うばかりだ。

 彼女の渾名は『側溝のチワワ』。このギルドに所属する者で、彼女を侮らないものはほぼいない。


「冒険者ギルドは、腕っ節に自信がある奴が集う場所だ。弱い奴がうろちょろしてると、目障りなんだよ!」

「そうそう! なまっちょろいガキはさっさと故郷に帰って、お嫁さんでもやってればいいんじゃねーの!?」

「黙れ! 今は弱いかも知れないけど、いずれ強くなって……」


 左右に立つ比較的小柄な二人の煽りに噛みつこうとしたとき、今まで黙っていた中央の一人がおもむろに口を開いた。

 虎並みの体躯を持つ血走った目の大男だった。


「お前がここに来てからもう二年になるな」


 雷鳴のような深い声に、ロココは思わず肩を震わせる。

 男の名前はバロック=トゥール。この町で最強と謳われる冒険者である。

 男は、取り巻き二人とは明らかに違う迫力を纏いつつ、自分より二回りも小さな少女冒険者にずいと詰め寄る。


「……っ、どうしてそれを知って……」

「だがお前は一歩も前に進んでいない。普通、どれだけ筋が悪い奴でも半年冒険者を続ければE級には進めるもんだが、お前はまだ最下層のF級のままだ」

「うっ……」

「この二年、つまらない仕事をこなしながらせっせと一人で修行を続けていたな。夜な夜な身の安全も考えず広場で素振りをする姿は、危なっかしくて見ていられなかったぞ」

「! そんなことまで知って……」


 驚愕して一歩後ろに下がるロココの鼻先に、バロックの太い指が突きつけられた。


「だが何の成果も得られなかった。理由を教えてやろうか?」

「い、いらな」

「筋肉が足りない。センスがない。上背が足りない。日に焼けにくい。病弱。胃腸が弱い。覇気が足りない」

「や、やめてって……」

「冒険者に必要な全てが、お前には決定的に欠けている。他の誰よりも自分が一番よく分かってると思うが――――」

「やめてって言ってるでしょ!」


 ロココの平手がバロックに放たれる。

 バロックは、身じろぎ一つせず淡々とそれをつかみ取った。


「うっ……」


 バロックがロココを軽く押すと、彼女はその場で尻餅をついた。

 深々とため息をつき、バロックは冷ややかにロココを見下ろす。


「要するにお前には才能がないんだよ」

「……」

「身の程を弁えて危険な仕事を受けないのはいい。だがお前の才能のなさは筋金入りで、見ていて気の毒になるほどだ。正直不快だから、さっさと引退して――――」

「ちょっとちょっとちょおっとぉ!!」


 その時、ロココとバロックの間に一人の女冒険者が割り込んでいった。

 ロココに比べると随分と背が高く、肌の色も健康的に焼けている、冒険者らしい女性だった。


「ちょっと! 言い過ぎでしょ。男三人でよってたかって女の子を虐めて、みっともないと思わないの!?」

「る、ルネさん……」


 炎のように真っ赤なポニーテールが、彼女の動きに合わせてゆらゆら揺れた。

 彼女の名前はルネ=アリオスト。

 ロココが冒険者になったなりに出会った先輩冒険者で、ギルドで彼女に優しく接してくれる数少ない人だった。

 バロックは鼻で息を散らして、ルネを煩わしげに睨んだ。


「男だろうが女だろうが、一人前の冒険者を名乗るなら相応の扱いをされて当然だ。そもそも俺は事実を指摘していただけで、虐めたつもりなど毛頭ないな」

「そうだそうだ! バーカバーぐはっ!」

「女はすっこんでやが――――ごふっ」


 バロックに呼応して取り巻きがキャンキャンと叫んだが、ルネの鮮やかな回し蹴りで悶絶して口を閉じた。

 ルネはほどけた髪を結び直して、研ぎ澄まされた刃のような目でバロックを睨む。


「だとしても、他人の夢を否定する権利は誰にもないわ!」


 そして彼女は、背後に立つロココを抱きしめて頬を寄せる。


「ロコちゃんだって、今は成果が出てないかもしれないけど、ずっとそうとは限らない! いつかは最強の冒険者になるんだから! ね、そうよねロコちゃん!」

「……う、うん……」


 言葉を濁すロココ。バロックは舌打ちして、二人に背を向けた。


「寝言を言っていられるのも今のうちだけだ。あんまり冒険者を舐めてると、いずれ痛い目を見ることになるぞ」


 そしてバロックは、失神した取り巻き二人を肩に抱え上げて、集会所の外へ歩いて行った。

 その背中目がけて、思いっきりあかんべえをするルネ。


「へーんだっ! 痛い目を見るのはそっちの方よ! お前らこそ、あんまり冒険者わたしたち舐めんなよっ!!」


 じたばたと大げさに威嚇を続けるルネの袖を引いて、ロココはもういいとルネの手を握る。


「ありがとう、ルネさん。助けてくれて」

「いいのいいの気にしないで! でもあいつらも懲りないわね。何度もロコちゃんにばっかり絡んできてさ。ま、大体理由は分かるけど……」


 ルネがロココの手元に視線を送る。

 ロココは右手に嵌めた腕輪を無意識に握りしめた。


「『シノワズリの腕輪』をロココちゃんが持ってるのが、気にくわなくて仕方ないのよ」


 シノワズリ――――シノワズリ=ブーシェといえば、世界中のあらゆる人々に尊敬されている英雄的冒険者で、あらゆる冒険者の憧れの的。

 そしてロココの右手首を覆う紅蓮の腕輪は、そのシノワズリ=ブーシェのかつての持ち物の一つであった。

 彫り込まれた竜の紋章は、シノワズリの象徴。

 シノワズリ自身の手によって彫り込まれた、彼女以外に再現できない細やかな意匠が、その腕輪が偽物ではないことを表していた。


「……」

「ロコちゃん。そんなもの持ってるから絡まれるのよ? 私が預かっててあげようか?」


 ルネの提案に、ロココは首を横に振った。


「……ありがとう。でもこれは、私にとって命より大切なものだから……」


 ロココが腕輪を胸元に抱える様子を見て、ルネは優しく嘆息する。


「そ。分かった。じゃ、くれぐれも取られたりしないよう大切に持ってないと駄目だよ?」


 無理を言わないルネの優しさが、ロココには辛かった。






 ロココが冒険者を志すようになったのは、十年以上前のこと。

 盗賊団が彼女の生まれた村を襲い、あわや村が滅びるかというところまで追い詰められた。

 それを救った者こそ、伝説の冒険者シノワズリ=ブーシェだった。

 村を燃やし、全てを奪おうとした盗賊たちを次々に打ち破っていくシノワズリの姿は、幼き日のロココにとってまさにヒーローだった。

 団を殲滅して去って行こうとしたシノワズリに、ロココは叫んだ。


『貴女のようになりたい! 貴女のような冒険者になって、私もいつか誰かを助けたい!』と。


 シノワズリはくすりと微笑み、ロココに自分の腕輪を託してくれた。


『これを励みにして、頑張りなさい。貴方ならきっと、立派な冒険者になれるわ』


 シノワズリが去り際に残してくれたその一言が、今までロココの原動力になってきた。


 あのシノワズリ=ブーシェが認めてくれたんだ。

 そんな自分が、ただの無能で終わるはずがない。



 ――――だけど、自分を誤魔化し続けるのももう限界だった。




 旅立つ前から気付いていた。

 自分が冒険者に全く向いていないということに。

 はっきり言って適性は皆無だ。

 バロックやその取り巻きに、冒険者を辞めろと言われて当然だ。

 彼らの方がよっぽど正しいことを言っている。


 だけど、認めるわけにはいかなかったのだ。

 彼女にとってのヒーローが、きっとなれると認めてくれたのだから。

 なってみせると、約束したのだから。

 だから――――……






「随分となじられていましたね。あれはいつものことですか?」

「――――っ!?」


 そんなロココの前にマニエリ=ヴァザールが現れたのは、ルネと別れてからおよそ二十分後。

 集会所から彼女の家までの帰り道の途中だった。

 普段人気の少ない場所で出会った見知らぬ男の影に、ロココは少なからず身構える。


 涼やかな空色の瞳が印象的な、身なりの良い男だった。

 夜の暗闇の中でも、身につけている極彩色のジャケットの素材がいいことは見れば分かる。

 人並みの上背だが、袖口からちらつく手首から、それなりに筋肉質なことも見て取れた。


「……一体、誰」

「マニエリ=ヴァザールと言います。ただの通りすがりですよ、ロココ=フラゴナールさん。貴方に興味を持って、後をつけさせてもらったんです」

「私に、興味……」


 何を見たんだろうか。ロココは今日一日を追想する。

 いつものように恥をさらすばかりで、いいことなんて一つもなかった。

 そんな一日に興味を持ったというのはどういうことだろうか。


「……なに、馬鹿にしにきたってこと?」

「いえいえ。朝に貴方の姿を見かけました。小さくて可憐で、とても冒険者でないようなその姿に、僕は強く惹かれたんです」

「可憐って……」


 ロココはちっとも喜べなかった。

 平和な市井で生きるならば、美貌だって武器になったかもしれない。

 だが冒険者としては、華奢さと不可分の美貌なんて足枷にしかならないのだから。


「それから興味を持った僕は、一日集会所で貴方を待ちながら聞き込みを続けました! すると面白い話を色々聞けましたよ。二年の間ずっと最下層でくすぶってるのは、貴方一人だとかなんとか」

「……!」

「他にも、身の程知らずがシノワズリの腕輪をつけているのが気にくわないとか、お嫁さんに欲しいが仲間には要らないとか……いやはや、散々な言われっぷりです」


 ロココは確信した。この男も自分を馬鹿にするつもりのようだ。

 そんなに私の存在が面白いか。

 分不相応にあがくちっぽけな小娘を嘲笑うのが、そんなに楽しいか。

 ふつふつと燃える怒りを押さえつけるために、ロココは短刀の鍔を指でこするように撫でた。


「……どいて、ください」

「こんなに冒険者として欠陥品なひとに会ったのは初めてですよ。よくもそんな貧相な体をひっさげて、今まで続けてこられたものですね」

「どいて。黙って。貴方の話に付き合ってられるほど暇じゃないから」

「並大抵のことではありませんよ。賞賛の拍手をいくら浴びせても足りません!」


 聞くに堪えない嫌味だ。耳を貸す気にもなれない。


「いい加減にして! たとえあんたらに何を言われようと、私は……」

「見返してやりたいと思いませんか?」


「……はい?」


 全く予想だにしない一言に、ロココは虚を突かれる。

 唖然とする彼女につけ込むように、マニエリはぐんと距離を近づける。

 そして油断した彼女の手を握って、深みのあるバリトンボイスで囁いた。


「僕なら貴女を強くすることができます。いい加減、最底辺の最弱冒険者呼ばわりされるのはうんざりでしょう」

「……」


 ロココは何も言わなかった。

 マニエリの迫真の勢いに呑まれたというのもある。

 だがそれ以上に興味があった。

 才能のない彼女を強く出来ると断言するこの男の頭の中に、何があるのか知りたかったのだ。

 そしてもし本当に強くなれるなら――――そのためにどんな努力だってやるつもりだった。


「興味を示してくれたようですね」


 黙り込むロココを見て、マニエリは嬉しそうに自分の眉をなぞった。

 好奇心に負けてロココは自分から問いかける。

 一つ、どうしても先に聞いておきたいことがあった。


「……それは、私だからこそできることですか?」

「ええ。貴女以外の誰も、このやり方で強くはなれないでしょう」


 それを聞いて、ロココはぐっと心を引きつけられる。

 今まで彼女は、自分が持っている才能カードは、冒険者になるために不必要なものばかりだと思っていた。

 だけど、もし自分にしかできない自分だけの才能で、今より強くなれるなら――――そんなに幸せなことはない。

 だってそれは、昔シノワズリがロココに対して寄せてくれた期待に応えることに他ならないのだから。


 先ほどまでより少し前のめりになって、ロココは続けて問いかける。


「で、では……一体どういうやり方で……私を、強くしてくれるんですか……?」


 マニエリは指を立てて、ニヤリと笑った。




「『魔法』です。僕は、魔法使いなんですよ」

「……え?」




「僕が扱うのは強化魔法。身体能力を向上させたり、耐性や特性を与えたりして人を強くする魔法のこと」


 『魔法使い』。世界中に百人もいないという不思議な力の使い手で、国家の中枢や組織の主幹を担うことも多い生まれながらのエリートたちである。

 そのエリートを名乗る人物がこんな辺鄙な町に来ていることも驚きだったが、それ以上にロココには聞き捨てならないことがあった。


「ちょ、ちょっと待ってください。それだとなんていうか、あの……」

「僕、これでも強化魔法の第一人者でして。世界中の誰よりも、強化魔法が得意だと自負しています。そんな僕にかかれば、どれだけ弱い人間だろうと最強になれる。そう……」


 困惑して目を瞬かせるロココに対応するように、マニエリは小気味よくウィンクした。


「たとえ万年F級冒険者の貴女であったとしても、ね」

「ま、待ってください。私しかできないっていうのはその……強化魔法を使える対象が私しかいないとかそういう……」

「いえ? 違いますよ。僕は一流の強化魔法使いです。誰にだって使えるに決まってるじゃないですか」

「じゃあなんでさっき、私以外に強くなれないって――――」

「ああ、それ」


 夜の静寂に、マニエリの指が鈍く響いた。


「僕、面食いなんですよ」

「――――は?」

「僕、どうせならできるだけ可愛い女の子に使って欲しいんですよね。そうじゃないと気分が乗らないんです。貴女は実に十数年ぶりに、僕の気分を乗せてくれたひとだったんですよ!」

「そ、それだけ……」


 それって要するに、私じゃなくてもいいってことじゃん。

 そう思いながら愕然と立ちすくむロココの前で、マニエリは楽しそうにくるくると回った。


「さあ、早速僕の強化魔法を体験してみてください。一回体を動かすだけで、きっとすごさを実感しますよ!」

「……わ、私の……」

「はい、『クルリンパ』。さあ、まずは軽い腕力強化をかけてみましたからそれで適当な岩でも――――」

「――――私の期待を返せっっ!!」

「殴って……へ?」


 どうせ効かないだろうと思って、半ば諦め気味に振りかざした平手打ちだった。

 しかしロココの右腕は、彼女が思っていたより数倍、十数倍速くマニエリの頬に激突し――――




「へぶらしっ!」




 マニエリの体は、放物線を描いて近くの茂みに飛んでいった。




「……え?」


 ロココはしばらく、自分の目の前で何が起こったのか理解できなかった。

 それも当然の話だ。今まで前腕ほどの長さの短刀の扱いにさえ四苦八苦していたような少女が、いきなり大の大人を吹き飛ばすなんて、現実として受け止められるはずがない。

 そして理解した後も――――この状況をどう捉えていいのか、さっぱり整理ができなかった。


 なるほど確かに、あの男の力を借りれば自分は強くなれるらしい。

 でもこんなやり方で強くなったところで――――一体何の意味があるというのか。


「……私が欲しかったのは、こういう形の力じゃないよ……」


 自分が二年間重ねてきた努力は、マニエリの三秒の『クルリンパ』にも及ばない。

 それを思うと今までの努力すら鼻で笑われたような気がして、ロココはその場でうなだれた。

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