問いかけ

 また、ふと気が付くと朝になっていた。ユイナは布団の上に崩れるようにして眠っていた。


 今度こそただの夢ではない、と思った。


 明かりの下で見た女の足首のことを考えると、全身の血がさっと冷えるような気持ちになった。


 ここに初めて来た時の、菅原の意味ありげな様子が思い出された。ここで死んだ女がいるに違いない、とユイナは思った。


 それでもまだ、この部屋から逃げ出すつもりはなかった。


 菅原は、彼女がこの部屋に住んでいること自体が重要なのだ、というような口ぶりだった。ここから勝手に出て行ったら、もうコウジに合わせる顔がない。


 彼が来るまでの我慢だ、と両手を握りしめた。


 ユイナは持ってきたバッグの底から、オープンハートのペンダントを取り出した。プラチナでできたハートのラインは、確かに強い衝撃を受けて歪んだものに見えなくもなかった。


 そのペンダントを、彼女はひさしぶりにつけてみた。金属はひんやりと冷たく、肩が重くなったような感じがした。


 それでも、一人ぼっちではなくなった気がして、少しだけ気分がマシになった。




 それから一週間、ユイナは窓際に敷いた布団の上で、一日のほとんどを過ごした。


 夜になると目が覚めて、足首が部屋を歩いていくのにも慣れてきた。


 どんな女が住んでいたのだろう、どうして死んだのだろうと、思いを巡らせるようになっていた。


 コウジはやって来なかった。


 ある日の朝、ベランダから下のコスモスが揺れるのを眺めていると、ふと部屋に誰かがいるような気がした。


 振り返ったが、人の姿はなかった。


 気のせいかと思ったが、何となく部屋の中央あたりに向かって、ユイナは声をかけてみた。


「あんた、この部屋に住んでた人?」


 答えはなかった。


「何で毎晩歩いてんの? 何で死んじゃったの?」


 誰もいない空間に向かって、彼女は問い続けた。


「いつからここにいるの?」


「誰かと一緒に住んでたの?」


「何歳? あたしより年上?」


「死ぬの痛かった?」


「幽霊になるってどんな感じ?」


「あたしと一緒に来た菅原さんて人、知ってる?」


「あたしの彼氏、いつ来ると思う?」


「あんたって、寂しくないの?」


 だんだん、自分に問いかけているような気分になってきた。


 返事は相変わらず、どこからも返ってこなかった。


「バカみたい」


 自分の膝に顔を埋めて、ユイナは呟いた。その途端、自分の体臭に気づいてぎょっとした。


 そういえばここに来てから、風呂に入っていなかったと気付いた。幸い、タオルやシャンプー、石鹸は買ってあった。


 身体中を洗い、バスタブに浸かると、生まれ変わったような気分になった。


 少し上機嫌になって風呂から出た。タオルで髪の毛を拭きながら、洗面台の鏡を見た。


 デコルテ部分は相変わらず真っ赤で、鎖の辺りは爛れているが、なぜか痛みはほとんどない。


 それを見た途端、これ治るのかな、と途端に憂鬱になった。ユイナは鏡に近づくと、目を凝らして首元を見つめた。


 その時、鏡の中、自分の頭のすぐ後ろに、人の顔が映った。


 横に長い髪を垂らしたその顔は、元の造作がわからないほど腫れていた。


 両目はほとんど開いておらず、鼻が不自然な方向に曲がっていた。破れた唇の向こうに、汚れた歯が見えた。


 ユイナは振り返った。後ろには誰もいなかった。


 もう一度鏡に向き直っても、もうユイナ自身の姿しか映っていなかった。


 それでもその顔は、彼女の脳裏に焼き付いた。鏡の中の自分自身の顔は、白く青ざめていた。


(死人みたい)


 そう思った途端、背筋にゾワゾワと冷たい感覚が這い上がってきた。ユイナは急いで服を着、財布を掴むと、部屋を飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る