第一章 傘は死んでも黙らない

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第一章  傘は死んでも黙らない 


 キーンコーンカーンコーン。

 

 などと、死ぬほどありがちなチャイムが鳴り、向陽こうよう高校の昼休みが始まった。

 2年C組の教室。

 起立と礼が終わり、教室の中で、外で、喧騒が起こる。

 購買部へ走り出す者、持参した弁当を食べ出す者、それぞれだ。

 男子も女子も、めいめいの自由時間を謳歌し始める。

 

 そんな中、やけに神妙な顔つきで座ったまま、微動だにしない生徒がいた。

「そろそろ、メシにするしかないわ……」

 その生徒、日向美咲ひゅうがみさきは呟き、鞄の中から弁当箱を取り出した。

 いや、正確には先程のチャイムと同時に弁当箱を取り出そうとしたのだ。腕を組み、目をきつく閉じ、眉間にシワを寄せたまま、美咲は動かない。

「そう、メシにするしかない……にもかかわらず!!」

 叫ぶと同時に開眼! するやいなや、美咲は白目を剥いて机に突っ伏した。

 突っ伏したといっても腕を組んだままだったので、当然おでこを机に打ち付けた。ほとんど頭突きだ。そのままの姿勢で、自分の所持金について思いを巡らせる。

 83円。

 たしか、83円だ。とにかく100円未満なのは間違いない。

 これではパンもおにぎりも、ジュースすらも買えない。

 手に入らないと思うと余計に欲しくなる。反応するように、腹が情けない音を立てた。

 その時、倒れたままの美咲の向かい側に、女子がドッシと腰掛ける。

「あ~らら。美咲ちゃん、お弁当忘れたの~?」

 丸山満月まるやまみづきが、チョココロネを頬張りながら話しかける。

「忘れまくった……遅刻しかけて、慌てて出てきたからね……不覚……」

 と言ったところで、チョコの香りに反応して、美咲はぬぅ~っと顔を上げた。

「マンゲツ……あんたってホント、おいしそうに食べるよね……」

 恨めしそうに呟きながら、満月の、文字通りお月様のような顔を眺める美咲。

「だって~、おいひいんだもん」

 ニコニコしながらチョココロネを完食した満月は、ビニール袋から次のパンを取り出そうとする。

「はいちょっと待った!」 

 満月の手を掴む美咲。目にも止まらぬ早業だ。

「……あんた、そのパン、一体どうするつもり?」

「え~? どうするつもりって、食べる以外の使い道ってあるの~?」

「あるでしょう!? あたしにくれるとか! あたしに差し上げるとか! さもなくば机の中に入れたままカビさせるとか!!」

「わたし、そんなもったいない事しな~い」

 美咲の手を軽く払いのけて、満月はメロンパンを頬張った。

「そんな殺生な! くっ、あんたなんか……あんたなんか、メロンパンそっくりなんだからね!!」

 なにげに暴言を吐いて、プイとそっぽを向く美咲。

 見かねた満月が、スカートのポケットから何かを取り出した。

「ま~ま~、これでウマイものでも食べてよ」

「カネか!?」

 美咲が瞳に¥マークを輝かせて見ると、机の上にはいくつかのキャンディが置かれていた。

「アメ……アメか……」

「がっかりしないで食べてみてよ~。このアメ、すごくおいしいんだよ?」

「へー、ホントにー」

 興味なさげに言って、美咲はイチゴ味のキャンディを口に入れる。

 その瞬間、美咲の目が1.5倍ほどに見開かれた。

「うんめぇーっ! なんだこりゃ!」

 ほどよい酸味と芳醇な甘み、瑞々しい果実の香りが嫌味なく鼻を抜けていく。まるで本物の、それも上等な苺を食べているかのようだ。

 幸せそうな美咲を見ながら、満月は満足気に満面の笑みを浮かべている。

「ふふ~ん、そうでしょ~? わたし、甘いものにはうるさいんだから~」

「うぅ、マンゲツ、ありがとう! やっぱ持つべきものは友達だよ! ふごふご」

 身を乗り出して、満月のふくよかな腹に顔をボフボフとうずめる美咲。


 その時、銀縁の眼鏡をかけた女子が二人の側にやってきた。

「ちょっとアンタ達、またイチャついてるの?」

「あれ~、雪ちゃん、どこでご飯食べてたの~?」

 ボフボフしている美咲の頭を撫でながら、満月は眼鏡の女子、風早雪かぜはやゆきに尋ねた。

「生徒会室で食べたわ。今期の生徒会長を決める会議があったから、ついでに」

「あぁ、そういやあんた、生徒会とかやってたんだっけ」

 ひとしきりボフボフを終えて、美咲が言った。

「私だって好きでやってるんじゃないわよ。学級委員は自動的に生徒会所属になるんだから、しょうがないじゃない」

 溜め息をついて、座席に腰掛ける雪。次のキャンディを口に放り込みながら、美咲が尋ねる。

「それで、結局誰が生徒会長になったワケ?」

「村雨先輩よ。どうせ満場一致に決まってるんだから、今日の会議も形式だけって感じだったんだけど」

 雪の答えがあまりにも予想通りだったので、美咲も満月も、ふーん、とそっけなく返事をしただけだった。

 少し声を潜めて、雪が話を続ける。

「まぁ、村雨先輩って確かに成績もいいし、スポーツも出来るし、万能を地で行くような人だけど……正直、苦手なタイプなのよね……」

「いいとこのお嬢様なんだよね~? それは、ちょっと近寄りがたいよ~」

 満月が苦笑し、美咲も笑いながら続ける。

「ま、あたしたちには近寄るような機会もないんだケドさ。でも、いわれてみれば、村雨先輩が誰かと一緒に歩いてるのって見たコトないよね」

「うん、私も親しい訳じゃないから解らないけど……なんて言えばいいのかな、孤高って言葉があれほど似合う人も、なかなかいないんじゃないかしら」

 眼鏡を直しながら、雪はどこか感慨深げに言った。

「孤高ねぇ……おっ、ウワサをすれば?」

 美咲が気付いて、窓の外を見る。

 彼女達のいる2年C組は、3階建ての校舎の二階にあり、窓からは中庭が見える。

 そこに、噴水の側を歩いて行く女生徒の姿。


 件の先輩、村雨雫むらさめしずく

 長い髪を揺らし、美しい姿勢で颯爽と歩く彼女は、離れた場所からでも一目で解る。

 やはり、いつものように彼女は一人だ。


 なにげなく、美咲は考える。

 孤高っていったいどういう気分なのだろうか。

 そもそも孤高は、孤独とどう違うのだろう。 

 孤高の気持ちは解らないが、それが孤独と似た物なのだとしたら、きっといくらかの寂しさがあるのではないだろうか。良家のお嬢様の心境は想像出来ないが、寂しさなら自分にも少しは解るような気がする。

 左右で二つ結いにしている自分の髪を、指でくるんくるんと触りながら、美咲はぼんやりと思った。

「ホント、どんな人なんだろうね。村雨さんって」

 まとまらない考えを中断するように、尋ねるともなく尋ねる美咲。

 さあ……という様子で首を傾げる満月と雪。


 やがて、キーンコーンとチャイムが鳴り、死ぬほどいつも通りの午後が始まった。

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