5-3
二人が他愛のない話をしていると、部屋の扉がノックされて、倫が代わりに扉を開けた。
「はーい……あれ、アーニャ?」
扉の前に居たのはアーニャだった。倫が思わぬ来客に驚いていると、アーニャはほっとした顔をした。
「良かった、ここで合ってたのね。少しだけお邪魔してもいい?」
「勿論いいけど、どうしたの?」
「どうしたのって、皆もお見舞いに来たんでしょ?」
そういって、アーニャはリアンの家に上がり込む。
ベッドに腰かけていたリアンは、突然アーニャが現れたことに少し驚いていた。
(まさか、アーニャもお見舞いに来るとは思わなかったな)
倫は、アーニャの背中を見ながら、胸中で呟いた。
リアンが加わることに一番拒絶感を示していたのは他ならぬアーニャで、他の主婦たちはすぐにリアンと馴染んでいたが、アーニャだけは、受け答えなどのぎこちなさが解消されずに、今日に至るのだ。
アーニャはやはりどこか緊張した面持ちでリアンを見ていたが、やがて腕に下げていた鞄から、何かを取り出した。
「これ、うちの庭で採れたラズベリーのジャムです。疲れた時には甘いものが一番ですから……どうぞ」
差し出したのは、瓶いっぱいに詰められた真っ赤なラズベリージャムだった。リアンは一瞬面食らっていたが、すぐに微笑んで顔を上げ、アーニャを見ると、瓶を受け取った。
「ああ、ありがとう。これは君が作ったのか?」
アーニャはリアンと目が合ってしまい、咄嗟に視線を外したが、やがて、おずおずとリアンを見た。
「私は少し手伝っただけで、殆どは父さんが……」
「そうか、君のお父さんは小鹿亭の店主だから、何でも作れるんだな」
すると、アーニャはリアンに向けて、初めて微かに笑った。
「……あの、これからもっと寒くなりますから、くれぐれも、お身体には気を付けてください」
「肝に銘じるよ。心配をかけてすまない」
アーニャは頷くと、リアンに一礼した。
「じゃあ、私はこれで失礼します。お邪魔しました」
「あ、じゃああたしも帰ろっかな」
倫は椅子に引っ掛けていたコートを手に取って羽織ると、アーニャの後ろを付いていく。リアンはゆっくり立ち上がると、二人を部屋の前まで見送った。
「色々世話になったな」
「あたしがやりたかっただけだからいいの。あ、言っとくけど明日もちゃんと休まなきゃ駄目だからね!」
「……はいはい」
図星を突かれてリアンは苦笑いを浮かべると、倫は笑って、手を振って部屋を後にした。
アパートを出て、雪がちらほらと降る住宅街を歩き始めると、アーニャが倫の方を見た。
「ねぇ、リアンさんの体調は大丈夫なの?」
それを聞かれた時、倫は思わず笑ってしまった。お見舞いに来たのに、何故本人に聞かず自分に聞くのだと思ったが、複雑なものがあるのは分かっていたので、大きく頷いた。
「うん。ちょっと寝かせてご飯を食べさせたら、大分良くなったみたい。明日もしっかり休めば、きっとまた元気に来てくれるよ」
「そう」
気にしておいて思ったよりも素っ気ない返事に、倫は不思議に思ってアーニャの横顔を覗くと、何故か釈然としていないような顔をしていて、不機嫌そうに言った。
「……リアンさんが良い人なのはもう知っているから、何か嫌な事があるんじゃないかって心配は、もう無いわ。けど、やっぱり、嫌よ」
「え、なんで?」
「だって、リンのこと取っちゃうもの」
そういって、アーニャはふいっとそっぽを向いてしまった。
倫はぽかんとしたが、やがてにやけた笑みを浮かべて、アーニャの肩に腕を回して抱き寄せると、頬を指でつついた。
「あらぁ~アーニャちゃん、最近あたしがリアンとよく喋るからって、もしかしてやきもち~?」
「別にそんなんじゃないけどぉ?」
「そんな見え透いた言い訳してもかわいいだけだってぇ。あっ、でもさ、そんな風に言うならあたしも言うけど、この前お店が暇な時に、ニールと二人で買い出し行った時さぁ、中々帰って来なかったじゃん。あれはなんなわけ~?」
「なっ、あれは別に関係ないでしょ!」
「関係オオアリでしょ、やっと帰ってきたと思ったら、すっごい楽しそうに笑い合って、肩もくっつけ合っちゃってさ~?」
「ちょっと、肩なんてくっつけてないし、別に普通に話してただけよ!」
「え~本当かな~?」
「本当よ、もう!」
翌週の集会に、リアンは手土産を持って、元気な姿で現れた。
「リアン、体調は大丈夫なのかい?」
真っ先にアリアが声を掛けると、他の主婦一同も立ち上がってリアンを囲むと、やれ「若いんだからちゃんと食べなきゃ駄目」だの、「無理して身体を壊したら一生響くわよ」だのと、まるで実の母親のような、おせっかいの言葉をかけていた。
リアンは苦笑いを浮かべながら甘んじてそれを受け入れると、手にしていた紙袋をアリアに差し出した。
「先週は皆に心配をかけてしまって悪かった。それと、お見舞いの品もありがとう、とても助かったよ。これはお詫びとお礼を兼ねたケーキだ。皆で分けて食べてくれ」
「おっ、もしかしてこれ、お高いので有名なフリューリンクのケーキかい?」
「ああ、なんでも柑橘のリキュールが入ったチョコレートケーキだそうだ。ホールで買ってきたから切り分けてくれるか?」
「ありがとう、じゃあちょっと切り分けてくるよ」
アリアは上機嫌でキッチンへと向かっていき、それを見送ったリアンは、鞄を探りながら言った。
「さて、早速本題に入るが、今日持ってきた布は、中々に自信があるんだ。以前も出来としてはほぼ完璧だったが、更に磨きをかけられたと自負しているよ」
「いいね、じゃあ早速始めましょうか」
ベラが布を受け取って作業を始めようとすると、倫がぱっと手を上げた。
「ねぇ、上手くできるか分かんないけど、あたしも作ってみていいかな?」
その言葉に、ベラは眉を上げると、いたずらっぽく聞いた。
「ふーん、そこまで言うからには、ちゃんと上達したんでしょうねぇ?」
「ちょっとは上手くなったもん! あとはベラが色々教えてくれたらイケるよ、多分!」
「あはは、まあいいわよ、教えてあげるからこっち来なさいな。ついでだし、アーニャもやってみたら?」
「じゃあ私も参加してみようかしら。シェリル、教えてもらってもいい?」
「勿論よ、皆で楽しく作りましょう」
皆でテーブルを囲み、リアンが買ってきてくれたチョコレートケーキを食べながら作っていると、ベラたちの教えがうまいのもあり、あっという間に完成した。
「よぉし、出来たぁ!」
倫は、初めて自作した布ナプキンを手にして、感嘆の息を漏らす。主婦たちが作ったものよりも不格好で、縫い目にもぎこちなさが残るが、きちんと形になっていた。
「なかなか上手になったじゃない、頑張ったわねぇ」
「えへへ、教えてくれた先生が良かったからかなぁ」
倫は照れながら返したが、すぐ傍で見守っていたアリアは、お茶を片手に、遠い目をしながら言った。
「これは断言できるけど、今まで教えてきた子の中では、あんたが一番手強かったよ」
「そこまで言われるほどひどかったかな⁉」
「最初はあまりにも素質が無いもんだから、ちゃんと上手くなるのか不安だったけどね。でも、ここまで上達したのは、あんたが腐らずにちゃんと努力したからだよ。そこがリンの才能だね」
アリアの言葉に、周りもうんうんと頷く。
「え、何急にみんなして……やめてよぉ」
真正面から皆に褒められて、倫は恥ずかしそうに眉を下げて笑うと、むずがゆい空気を無理やり変えるように手をぱちんと叩いた。
「よ、よーし! 完成したし次は実験だね!」
立ち上がった倫は実験道具を取りに駆けていく。その背中を、全員が微笑ましげに見送った。
程なくして実験は始まり、まず行われた吸水性と撥水性のチェックは難なくクリアした。濡れた時の肌触りもそれほど変化は無く、皆は頷く。ここまでは今までもクリア出来ていたが、問題は次だ。
「今日は、洗いあがりから乾燥するまでの変化を見てみよう」
リアンは小さな盥に布ナプキンを浮かべ、実際に汚れを落とすように石鹸で何度も力強く洗い、水で濯ぐと、きつく絞り上げた。
「どう?」
「以前よりも洗いあがりの毛羽立ちが無くなったな。残るは、乾かしてからの肌触りだ」
リアンはくしゃくしゃになった布ナプキンを広げると、掌に乗せる。
すると、突如として布ナプキンがふわりと浮いて、倫は人知れず目を見開いた。布ナプキンはそのままくるくると回転し始めると、今まで濡れ萎んでいた布が蒸気を発し始め、段々と水分が乾いていき、あっという間に洗う前の姿に戻った。
「おお、さすが魔術師だね」
アリアはさして驚きもせず、感心した様子で言うと、リアンは眉を上げた。
「水分を蒸発させただけで褒められるのは、魔術師としては少し心外だが……まあそんなことはどうでもいい。触り心地はどうだ?」
「うん、凄くいいよ。洗ってからも肌触りが変わらないね」
「じゃあ、完成なの?」
アーニャが期待の眼差しを向けて、それに倣うように、主婦五人もアリアに注目する。だが、アリアは硬い表情で首を横に振った。
「まだ完成とは言えないよ。だって、まだ一度も、実際に使ったことはないだろ?」
リビングがしん、と静かになった。
「……確かに、今までずっと水で実験していたけど、実際使ってみてどうなのかは、わからないわよね」
「でも、それを調べる為には……」
ベラとジェナが呟いて、顔を合わせている。女性陣は皆黙っていたが、考えることは同じだった。
(そう。誰かが使って確かめなきゃいけない)
アリアは胸中で呟いた。
計画が進むにつれ、この仲間内の中でのみではあるが、穢れの日のことに触れる抵抗感が下がってはいるのは事実だ。
だが、実験台になるといえば話は変わる。ここで手を上げれば、少し前まで触れることすらタブーであった、自分の穢れの日について事細かに説明しないといけない。
それはとてもプライベートな事で、いくら以前より話しやすくなったとしても、簡単に話せることでは無い。誰かが担わなければならないことだが、自分がやるとなると、皆、抵抗感で二の足を踏んでいた。
皆が下を見て黙りこくっていると、ふと、沈黙していた倫が手を上げた。
「じゃあ、あたしがやるよ」
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