5-2

 床板がギィギィ軋む薄暗い廊下を通っていき、リアンの部屋の扉を開けると、倫はぽつりと呟いた。

「……なんというか、整然とごちゃついている部屋だなぁ」

「……悪かったな、汚い部屋で」

 部屋は狭いワンルームで、汚いわけではないが物が多く、ごちゃついているものの、ある程度区分けされているという、ある意味リアンの性格が色濃く出ている部屋だった。

 とりあえず窓際のシングルベッドに座らせてもらい、倫はキッチンから適当なグラスを見繕って、水を持ってきてくれた。

 それをちびちび飲んでいると、倫はリアンの傍にしゃがみ込んで、じろりと睨むように見上げた。

「そういえば、出されたお茶菓子も手を付けて無かったけど、今日はご飯食べたの?」

「……」

 思わず無言になってしまったが、それは最早肯定と同義で、倫はますます眉をひそめた。

「やっぱり食べてないんじゃん。家に食材ってある?」

「あるのは、パンとチーズと、ソーセージくらいだが……」

「それ、食べれそう?」

「……多分、受け付けない」

 そういって、リアンはお腹の辺りを摩る。

 倫を怒らせてしまいそうで―─すでに怒ってはいるが──言えなかったが、ここ数日面倒であまり食事を摂っておらず、先ほどから胃がキリキリと痛んで、倫から渡された水を飲み干すことすら辛かった。

 倫は呆れた顔で溜息を吐いた。

「じゃあ、今から市場に行って、何かお腹に優しいもの買ってくるよ。リアンは寝て待ってて」

「いや、君にそこまでしてもらうわけには……!」

「い、い、か、ら! そこで寝てる!」

 さすがに申し訳なくなり止めようとするが、振り向いた倫にびしっと指を刺されて厳しく言われ、リアンは目を丸くすると、渋々頷いた。

 ばたん、と扉が閉められると、一気に部屋が静かになり、リアンは深い溜息を吐いた。

 よろりと立ち上がってベッドの傍の暖炉に近づくと、薪をくべて、そこに手をかざす。すると、そこからひとりでに火が起こり、薪が爆ぜる音と共に、辺りが柔いオレンジの光に包まれた。

 リアンはがくりと肩を落として、苦しそうに息を呑む。オレンジ色に染まる額には汗が滲んでいて、しわがれた声で呟いた。

「……魔法で火をつけるだけでこんなに疲れるのは、相当だな」

 鉛でも縛り付けられたかのように重い身体を無理やり立たせると、ローブを脱ぎながらベッドに向かい、飛び込むようにして寝ころんだ。

(ろくに自己管理も出来ずに、倫に世話させてしまうなんて、申し訳ないことをしてしまったな。この感覚自体があまりにも久しかったから、つい、コントロールを怠って、身を任せてしまった……)

 胸中で反省しながら、リアンは寝返りを打つ。

 日々が同じ作業の繰り返しで、好奇心など微塵も感じられない、魔術師として死んだも同然の仕事をずっとやっていたのもあり、その反動があったのだろう。

 だが、体調を崩してしまったとはいえ、リアンはこの結果をポジティブに捉えていた。

(リンと出会うまでは、現実を受け入れて日々を無為に過ごしていたが、こんなに研究を楽しめているなら、まだ俺も捨てたものじゃ……ないのかも、しれないな……)

 次第に瞼が重くなっていく。先程まで冴え切っていた脳がどろどろと溶けていくような錯覚を覚え、夢と現の境が段々と曖昧になっていく。

 埃っぽい枕に顔を埋めると、リアンは目を瞑り、あっという間に眠りについた。


 ふと、いい匂いが鼻を掠めていって、リアンは深く沈んだ意識から緩やかに覚醒した。

 まだ目は開けられず、暖炉の暖かな光が瞼越しに感じられる。まだ朝は迎えていないようだ。

(……なんだろう、嗅いだことがないのに、どこか懐かしい匂いがする)

 リアンが思い出していたのは、子供の頃に風邪を引いて熱を出した日の事。師匠が作ってくれたスープの匂いだ。それと全く違う匂いなのに、何故そう思うのだろう。

 目を開けると、ぼやけた視界の中、キッチンに人影を見つけて、リアンは思わず問いかけた。

「……師匠?」

 すると、その人影は振り向いて、苦笑を含んだ声色で言った。

「残念でした。あたしだよ」

「──リン?」

 驚きと恥ずかしさでベッドから飛び起きると、急に身体を起こしたせいで頭がくらくらして、またマットレスに身体を沈ませる。

「まだ安静にしてなきゃ駄目だよ。もうすぐご飯の準備が出来るから、そこで大人しくしといて」

 そういって倫は再びキッチンへと向き直る。コンロの火にかけられた小鍋を手に取って、木皿に煮えた何かを掬うと、木のスプーンを添えて持ってきてくれた。

「はい、どうぞ。めっちゃ熱いから気を付けてね」

「これは……なんだ?」

 リアンは恐る恐る木皿を覗き込む。白いドロドロとした半固形の液体の中に、黄色の何かがまばらに混ざったもので、初めて見る食べ物だった。

「これはねぇ、お米のお粥だよ。卵が入ってるから栄養もあるよ!」

「米だって? そんな高価なものをわざわざ買ってきたのか?」

 イザネリアの主食は国内で生産される小麦からなるパンやパスタだが、とある一地方では稲作が行われており、そこから王都にも出荷されるが、流通量も少なければ割高なので、リアンは食べたことも無ければ、見たこともあまり無かった。

 倫はいつの間にか自分の分もよそってきて、マットレスに腰かけると、あっけらかんと言った。

「いいのいいの、あたしも食べたかったから気にしないで」

「いや、しかし……」

「いいから食べる!」

「──んぐ⁉」

 有無を言わさぬとばかりに、勢いよく口の中に卵粥を突っ込まれて、リアンは一瞬喉を詰まらせかけた。

「全く、値段とか、そんなのいちいち気にしないの。さて、あたしもいただきまーす。……ん~、久々に食べた、これだよこれ~」

 美味しそうに頬を押さえて唸る倫を横目に、リアンは黙々と卵粥を咀嚼する。

(初めて食べたが、美味いな。ほっとする味だ)

 噛めば噛むほどに滲んでくる仄かな米の甘みと、丁度いい塩気に、それらを包み込むまろやかな卵が、具合の悪い時にぴったりで、優しくて温かい味だった。

 味付け自体は似ていないが、風邪を引いた時に食べた師匠のスープも、こんな風に温かい気持ちになれる味をしていた気がする。

(……くそ、これだから、歳は取りたくないんだ)

 何故だか昔が懐かしくなって、今まで苦労した記憶やらが色々と混ざり合い、鼻の奥がつんと痛くなる。そんなことも知らず、倫はリアンの方を振り向くと、無邪気に問いかけた。

「どう? 我ながら美味しくできたと思うんだけど、リアンも気に入ってくれた?」

「……っああ、美味いよ……」

「──え、なんで泣いてんの⁉」

 明らかに涙声で答えられて、倫は思い切り焦った声色で言った。

 リアンは瞳に滲む涙を手の甲で乱暴に拭うと、照れくさそうに笑った。

「……歳を取ると、ちょっとしたことでも涙脆くなるんだよ。君もいずれこうなるんだからな」

「歳って。てか、ずっと聞きそびれてたから今更聞くけど、リアンっていくつなの?」

「俺か? 俺は、今年で二十七だな」

「ちょっと、全然歳じゃないじゃん! そんな夢が無いこと言わないでよ!」

「リンがいくつか知らないが、君から見たら二十代も半ばを過ぎれば十分おじさんだろ」

「そんなことないって。あたしは十七だから、丁度十個差にはなるけど……」

 倫の年齢を聞かされて、リアンは激しく狼狽えた。

「そ、そんなに離れているのか。そんな子に看病させるなんて、なんて情けない……」

「もー、だから気にしないでって言ってんじゃん! 変に気に病まれる方がダルいってば!」

 声色がどんどん小さくなっていくリアンにきっぱりと言い返すと、倫がいつの間にか完食した卵粥の木皿を片付けようと立ち上がった時、ふとテーブルの方を見た。

「あ、そうだ。リアンが寝ている間に、皆がお見舞いに来てくれたんだよ」

「え?」

「ほら、これ見て?」

 倫に促されて、リアンはテーブルを見る。テーブルの上には、キッシュにパイ、焼き菓子もあれば、中身は分からないが可愛らしい花柄が描かれた鍋も置いてあり、これだけで一週間は余裕で食いつなげそうな料理が並べられていた。

「す、凄いな。皆がこれを?」

「そうだよ! キッシュはフランシスで、ミートパイはベラ、焼き菓子はシェリルで、このお鍋のスープはハンナとジェナが二人で作ってくれたんだって。あっ、あとねぇ、アリアは手袋を編んで持ってきてくれたよ。なんか、前からいつも素手で寒そうだと思ってたんだってさ」

 テーブルに置かれた手袋を手に取ると、倫はリアンに手渡す。濃い緑色の毛糸で丁寧に編まれた手袋は、触れるだけで仄かに温かく、保温効果の魔法が付与されているようだ。

 手に付けてみると、測ったわけでもないのにサイズはぴったりで、倫は笑った。

「いいね、似合ってるじゃん」

「凄い、サイズがこんなにぴったりだ。それに、とても温かいよ」

「そっか、良かった。皆、リアンが倒れたって聞いて心配してたんだからね。自分たちがアレコレ言い過ぎて無理させちゃったんじゃないかって」

「それは違う、俺が勝手に無理して倒れただけだ。だから、皆のせいでは……!」

 必死に訂正しようとするリアンを、倫は制止した。

「違う違う、そういうことじゃなくて。それくらい、皆はリアンが居ないと困るし、寂しいんだってコト。だから、自分を大事にしなきゃ駄目だよ」

 そういって、倫は微笑む。リアンは目を見開くと、口元に苦笑を浮かべて、呆れたように呟いた。

「……そうか。君に諭されるとは、俺もまだまだだな」

「ちょっと、それどういう意味?」

 倫はむっとした顔をするが、すぐに我慢できない様子で吹き出した。

 暖炉の火に照らされた狭いワンルームの部屋には、暫くの間、二人の笑い声が満ちていた。

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