4-5

 濃灰色の雲が空を覆い、木枯らしが身体を通り抜けていく中、コートを寒そうに着込む倫は、逃げ込むようにアリアの家へやってきた。

「さむさむ……お邪魔しまーす」

 声を掛けながら、勝手知ったるといった様子で扉を開けると、アリアが玄関まで出迎えに来てくれた。

「いらっしゃい。皆リビングでお茶を飲んで温まってるから、あんたも早く来な」

「ありゃ、もうあたし以外集まってる感じ?」

「といっても全員来たのはついさっきだよ」

 そんな会話をしながらリビングへ向かうと、いつもの主婦五人とアーニャ、リアンはお茶を飲みながら、テーブルの中央に置かれた設計図と魔法付与布のサンプルらしき布を囲んでいた。

 リアンは倫が来たことにいち早く気づいて、ティーカップをソーサーに置いて立ち上がった。

「来たか。じゃあ始めるぞ」

「待ってよ、あたし、寒空の下からやってきたばっかりなんだから、温かいお茶くらい飲ませて!」

 駄々を捏ねながらコートを脱いで、席に着く倫に苦笑を零して、リアンは魔法付与布を手に取った。

「はは、じゃあ飲みながら聞いてくれ。今回は、前回の高すぎる保水性を調整して、今度は肌触りを重視してみたんだ。あと、水に濡れた時に発生した生臭い匂いは、保水性を高める為のスライムの粉末からのようで、量を調節したら気にならなくなったが、一応確認して欲しい」

 皆は特に気にすることなく頷いたが、ただ一人だけ、倫は、

「……スライムって、生臭いんだ」

 と、温かいミルクティーを口元に持ち上げながら、ぼそりと呟いた。

 

 早速主婦たちは作業に取り掛かり、すでにコツを掴んだのか、以前よりも早く布ナプキンを作り上げた。

 その後の実験で、吸水性、保水性共に丁度良く、水に濡れても肌触りが変わることはあまり無かった。それに、水に濡れた時の生臭い匂いも解消されていて、前回の課題はクリアされていた。

「よし。次は、洗ってどうなるか、だな」

 確かな手応えを得た様子のリアンは、噛みしめるように言うと、水で満たしたバケツに布ナプキンを浸して、石鹸を付けて洗い始めた。

 すると、フランシスがリアンの洗い方に口を挟んだ。

「だめだめ、そんなフワフワした優しい洗い方じゃ、ちゃんと汚れは落ちないよ。もっとこう、擦るようにして、力を込めないと」

「こ、こうか?」

 リアンは先ほどよりも力を込めて洗い、泡を洗い流すと、水分を絞ってくしゃくしゃになった布ナプキンを広げてみた。

「なんか、石鹸で一回洗っただけにしては、布が傷んでないかい?」

 アリアが布ナプキンを覗き込んで、一言呟いた。確かに洗う前と比べて布が明らかに傷んでいて、耐久性があるとは思えない出来だ。

 ハンナは濡れしぼんだ布ナプキンの皺を手で伸ばしながら、ぽつりと言った。

「一回洗っただけでそんなにぼろぼろになっちゃうなら、多分だけど、何度も洗って使うのは難しいわね」

「う……そうか。肌触りを良くするあまりに耐久性を削ったのが駄目だったか」

「でも、吸水性は丁度いいし、肌触りは以前と比べ物にならないわ。進歩しているわね」

 励ますように微笑むハンナに、リアンは安堵したように表情を柔らかくする。

「ああ、ありがとう。改良は中々難しいな」

 そう言って深い溜息を吐くが、リアンは憂鬱な表情は見せなかった。

(仕事での魔法付与は、調合の量に規定があるからなんの苦労も無かったが、いざ自分で試行錯誤してみると、倫の言う通り、奥が深い作業だな。あちらを立てればこちらが立たず、その繰り返しだ)

 改善点とその策を手帳に書き込みながら、考えに耽る。

(だけど、不思議と悪い気分じゃない。前までは、こんな工房に勤めて、何の意味があるんだと思っていたが、今は……少しだけ、楽しいかもな)

 周りには、改善点を素直に伝えてくれて、良い所はちゃんと褒めてくれる仲間がいる。

 最初は男の自分の存在を煙たがっていたが、そんなものはすぐに取り払われ、対等に扱ってくれる有り難さが、身に染みるように感じていた。

 最後のメモを取り終えて、リアンが顔を上げて辺りを見渡してみると、ふと、リビングに倫の姿が無い事に気づいて、近くでアーニャに裁縫を教えていたアリアに、何の気なしに問いかけた。

「アリア、リンはどこに行ったんだ?」

「リンかい? 一人で集中したいからって、向こうのキッチンで練習してくるって言ってたよ」

「そうか……」

 すると、アリアはくすりと笑みを浮かべて、シフォンケーキが乗った小皿を二つ、リアンに手渡した。

「……そんなに様子が気になるなら、ついでにお菓子でも持ってって、休憩させてやってくれないかい? ついでに、あんたも休憩してきなよ」

「そ、そういうわけでは……」

 アリアの言い様に、リアンは思わず狼狽えた。その言い方では、まるで、リアンが倫をとても気にかけているように聞こえてしまう。

「ほら、いいから早く行ってきなって」

「……わかった、行ってくる」

 それでも、アリアはリアンにシフォンケーキを押し付けて、無理やり行かせようとするので、仕方なくそれを受け取ってリビングを出た。

 廊下を抜けてキッチンへ行くと、そこには、食卓で裁縫の本と手にしていた布と針を交互に睨みつけながら、裁縫の練習をしている倫が居た。

「リン」

「どぅわっ⁉」

 一応声を掛けると、集中していたのか、倫は急に声を掛けられたことに驚いて身体を大きく跳ねさせると、咄嗟に何かを隠した。

「悪い、驚かせたか」

「いやいや、ちょっとだけね! どうしたの、なんかあたしに用?」

「用というわけではないが、休憩するつもりはあるか、気になってね」

 そういってシフォンケーキをテーブルに置くと、倫は目を輝かせた。

「あるある! わぁ、おいしそ~」

 嬉しそうにシフォンケーキを口にして、にこにこと笑みを浮かべた。

「うまぁ~! なにこれ、味が完全にお店のやつじゃん!」

「ベラさんが作ってくれたそうだ。……ん、生地にマーマレードが入っているんだな。うまい」

 見た目はシンプルなシフォンケーキだったが、口にすると仄かにマーマレードの香りがして、お茶請けにぴったりの優しい甘さだった。

「練習はうまくいっているのか?」

「勿論、と言いたいところだけど、全然……昔から細かい作業が苦手でさ、それでずっと裁縫とかそういうのを避けてたから、基礎からしっかり勉強しないと~って感じ」

 シフォンケーキをフォークで大きく切って、倫は口の中に放り込む。

「リアンはどう? 魔法付与、今回はうまくいった?」

「前回浮かび上がった改善点は修正できたが、今度は別の問題が出てきたな。肌触りを重視するあまり、耐久性を下げた結果洗うとすぐ布が傷んでしまうようになったから、今度はそこを調整しなければならない」

「そっかぁ。お互い中々難しいね」

「……でも、俺は楽しいよ。こうやって仲間と集まって、何か一つのものを作り上げるというのは、得難い喜びがあると思う」

「あ、それはすっごい分かる。皆とワイワイしながらって、なんか楽しいよね!」

 倫は同意してくれたが、リアンは柄にもなく自分がはしゃいでいるのに気づいて、今更気恥ずかしくなり、それを隠すように咳払いをした。

「……んんっ、それで、練習はどこら辺まで進んだんだ?」

 話題を変えて、リアンは倫の裁縫の本を覗き込む。すると、倫は笑った顔を急に困り顔にして、えっと、と口の中で言った。

「んーと……えー……こ、ここくらい!」

 倫は開いたページの大きな文字を指でゆっくりなぞっていき、ぴたりと止めると、リアンの顔を自信無さげに見た。ここで、倫に抱いた違和感の正体が、ようやくわかった。

「……リン、君はもしかして、字が読めないのか?」

「……えへ」

 すると、倫は恥ずかしそうに眉を下げて笑うので、リアンは聞いてしまったことを少し後悔した。

「悪い、聞かれたら嫌な事だったか?」

「ううん、別に嫌では無いよ。ただ、ちょっと恥ずかしいから隠そうとしてただけ。二月前に田舎から王都に来て、そこからアーニャに教えてもらうようになって、今も勉強中なんだ」

「そうだったのか。でも、故郷があるということは、面倒を見てくれていた人は居たんだろう?」

 なのに何故、と繋げようとしたが、そこからは、倫にとってあまり触れられたくない領域のようで、曖昧な笑みをリアンに向けていた。

 一瞬表情を固まらせると、リアンはなんとなくそれを察して、明後日の方向を向いた。

「……まあ、それぞれ事情はあるだろう。俺も人の事を言えた義理じゃないしな」

「あはは、確かに。リアンはちょっと、込み入り過ぎな気もするけど。あっでもねぇ、勉強初めて、真っ先に覚えた言葉があるんだけどね、なんだと思う?」

「え、なんだ? 見当もつかないが」

「ふふふ、いっちばん最初に覚えたのはね、〝ビール〟だった!」

 一拍置いて、リアンはふっと笑みを漏らした。

「ああ、ふふ、確かに。君が働いている店で一番に見かける言葉だろうな」

「そうそう、だから、それだけは一瞬で覚えたんだよね。あとは、メニューにあるものは大体読み書き出来るようになったかな~」

「……そうか」

 リアンは静かに呟く。今は鳴りを潜めたが、彼女の過去を掘り下げようとした時、普段目にしているような、とにかく元気な倫とは違う一面を垣間見た気がして、リアンは不思議な気分になった。

(そういえば、魔法も使わないような田舎から来たと言っていたな。もしかしたら文字を使う習慣が無かったのかもしれないな)

 いつもは感じさせないが、倫も生きていく上で、それなりに苦労してきたのだろうと自分なりに察したリアンは、これ以上聞くのは止めようと誓った。

「じゃあ今度、俺が文字を覚える時に使っていた本を持ってくるよ。俺はもう必要ないし、好きなように使ってくれ」

「えっ、マジ? ありがとう~!」

 倫は嬉しそうに笑う。その笑顔を見て、表情を綻ばせると、リアンは胸中で、礼を言うのは俺の方だ、と呟いた。


 一方、倫は、表面上では笑顔を浮かべていたのだが。

(……っあ~~、危なかったー‼ 危うく、リアンにイザネリア語の日本語訳が書いてある紙見られる所だった~! それに、めっちゃあたしの過去深堀りされそうになって怖かったぁ~!)

 と、咄嗟に尻の下に隠した紙を手で触りながら、全身に響き渡る動悸を、人知れず落ち着かせていた。

  

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