3-4

 多少の誤解があり、半ば無理やりだったが、倫は何とか魔術師を小鹿亭の前まで連れてくることに成功した。

「ほら、あたしが働いてるのはここ! お兄さんも名前くらいは知ってるでしょ?」

 自信ありげに問いかけて、魔術師の顔を覗き込む。

 魔術師は小鹿亭の店構えを見上げると、唖然とした表情をしていた。

「……君、ここの従業員なのか」

「そうだよ。ほら、入った入った!」

「あ……いや、俺は……」

「ここまで来たらつべこべ言わないの!」

 未だに踏ん切りのつかない様子の魔術師の背中をぐいぐいと押して、倫は店に入った。

 店内の開いている席に、好きなように座るように言うと、魔術師は、背中を縮こめるようにして、窓も無い左端の席に座った。

「そんな所でいいの? 狭い所が落ち着く人?」

「……まあ、そんな所だ」

「そっか。ちょっと待ってね、今メニューと水持ってくるから」

 そう言い残して厨房に向かった倫の背中を、魔術師は、不安そうな顔で見送った。


 厨房に戻ると、買ってきたほうれん草をボルドーに渡して、メニューと水を持って再び店内に戻ると、何やら異様な雰囲気を感じ取って、倫は思わず立ち止まった。

(……何、この空気?)

 今まで各々談笑を楽しんでいた冒険者たちが、皆一様に、左端の目立たない席で一人縮こまっている魔術師を見ていたのだ。

 ある者は興味深そうにじろじろと見ていて、ある者は魔術師を視界に入れながら、何かを囁いては、仲間たちと笑っていた。

 その薄ら笑いは、彼を嘲笑っているように見えて、倫は眉を顰める。

(やっぱり何かおかしい。皆があのお兄さんを見てる……なんで?)

 今まで活気に溢れていたはずの店内に、不穏な空気が流れ始めているのを感じていると、魔術師の近くの席に座っていた冒険者の男たちが、ぼそりと呟いた。

「おい……あそこに座ってるやつ、稀代の魔術師のへっぽこ弟子だぞ。よくここに来れたな」

「うわマジかよ。俺なら恥ずかしくて店に入れもしねぇよ」

 男たちはケヒヒ、と笑った。

(稀代の魔術師……?)

 男たちは明らかに聞かせるように言っていて、倫は思わず魔術師の方を見た。

 俯いていて表情は分からないが、テーブルの上で拳をきつく握りしめているのが見えて、倫はずきりと胸が痛くなった。

「あんな凄い人に拾ってもらってよぉ、なったのが内職魔術師だぜ? 俺なら屈辱過ぎてこの世からおさらばしちまうかもな」

「ははは、確かに。言えてるぜ」

 男たちの笑い声がどんどん下卑たものになっていく。

 倫はついに我慢が出来なくなり、男たちの席の方へずんずん進んでいくと、厳しい顔つきで男たちを睨みつけた。

「ちょっと、お客さん? 陰口を人に聞こえるように言って笑っているなんて、冒険者として恥ずかしくないの? ここはみんなの憩いの場なんだから、そういうのはやめてよね!」

 はっきりと言い切ると、男たちは怒られると思っていなかった様子で、ぽかんとした顔で倫を見ると、仲間内で驚いた顔を見合わせた。

 それは魔術師を見ていた他の冒険者も同様で、何故男たちが怒られているのか、あまり理解できていない様子でひそひそと話している。

 ふん、と鼻を鳴らして踵を返すと、倫は大股で魔術師の席へ向かった。

 魔術師も驚いた顔で倫を見上げていて、何か言いたそうにしていたが、結局口を閉ざしたままだった。

 倫はメニューと水を置くと、

「……ごめんね」

 と言って、魔術師のテーブルを後にする。

 倫がテーブルを去ったあと、魔術師は今まで俯いていた顔を上げて、初めて周りを見渡してみた。

 今まで全身を貫くように感じていた視線は、自分が顔を上げると、気まずそうにどこかへ逃げていく。

 聞こえるように悪口を言っていた男たちは、居心地が悪くなったのか、ばつが悪そうな顔で店を出て行ってしまった。

 魔術師は再び俯くが、隠れた表情は決して暗いものではなく、むしろ暗闇が晴れているような、言い表せられない感情が見えていた。


 それから暫く経った頃。賑わいを取り戻した店内を駆けずり回っていた倫は、食事を終えた魔術師が何も言わずに店を出る所を見かけて、急いで出口へ向かった。

「お兄さん、待って!」

 出口をくぐって声を掛けると、魔術師は振り返る。

「ああ、気づかれてしまったか。悪い、忙しそうだったから、声を掛けずに出ようとしたんだが……」

「別に気遣わないでよ。それに、さっきのこと、もう一回謝りたかったし……」

 魔術師は可笑しそうに微笑んだ。

「あれは君が謝ることじゃないだろう?」

「いや、それでも、あたしが強引に店に連れてきたから、お兄さんがあんな風に言われちゃったでしょ。気を悪くさせてごめんね」

「いいんだ。君が代わりに言い返してくれたし、胸はすっとした」

 その表情は確かに晴れやかで、倫はほっとした。

「……お兄さん、有名人なんだね?」

 遠回しに問いかけると、魔術師は首を横に振った。

「別に、俺が有名なわけじゃない」

 それだけ言うと、魔術師は口元に手を置いて、明後日の方向を向いて黙ってしまった。

何か考えている様子で、倫はそれを不思議そうに見守っていると、魔術師はそのまま口を開く。

「……そういえば、工房を訪ねた時、魔法付与布が欲しいと言っていたが、目当てのものは見つかったのか?」

「ううん、あれから色んな魔法道具屋を回って探してみたけど、結局見つからなかったんだ」

「そうか」

「それがどうかしたの?」

 魔術師の眼差しが、倫に向けられる。

「……少し君に話したいことがある。日付が変わる頃、店の前まで迎えに来るから、待っていてくれ」

「え?」

 魔術師はそう言い残すと、困惑する倫を置いて去って行ってしまう。

「……どういうこと?」

倫はぽつりと呟くと、店を出た常連に声を掛けられるまで、呆然と立ち尽くしていた。

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