3-5

 暗い雲が月の光を覆い隠す深夜。

 辺りを照らすのは、ぽつぽつと立てられた魔法灯の頼りない光のみで、外を出歩く人は誰も居ない。

 そんな中、倫はおそるおそる裏口から外に出て、静かに店先へと向かうと、そこには、魔法灯のランタンを手にした魔術師が佇んでいて、思わず声を上げた。

「うわ、本当にいるじゃん」

「どういう意味だ」

「いや、何かの冗談かと思ったから」

「冗談で深夜に徘徊すると思うか? ……というか、なんだ、君の持っているものは。それこそ冗談か?」

 魔術師は怪訝な顔をして、倫が持っている木の剣を指さした。

「あ、これ? 常連さんが貸してくれた訓練用の木の剣だよ~」

「そういう意味じゃない……なんでそんなもの持っているのかを聞いているんだ」

「いや、こんな夜中に外出の誘いなんて、けっこう危ないかなと思ったから、一応自衛しとこうかなって?」

「は? ……あっ」

 最初はぴんと来ていなかった様子だったが、途端に衝撃を受けたように言葉を詰まらせて、魔法灯に照らされた魔術師の顔が、みるみる赤くなった。

「あっ、いや、そういういかがわしい意味で深夜に誘ったわけでは……!」

 しどろもどろになって弁解しようとする魔術師に、倫は苦笑いを浮かべると、木の剣を店の壁に立てかけた。

「ごめん、冗談、冗談。さっきの仕返しで、ちょっと意地悪したくなっただけ。それで、話って何?」

 魔術師は騙されたと気づいてハッとすると、照れ隠しに背を向けながら、ランタンを正面の通りの方角へ掲げた。

「……話は、工房に向かいながらしよう」

「工房に用があるの?」

「それは、君次第だな」

 何やら煙に巻くような言い方をされて、倫は訳が分からず眉を上げる。

 魔術師はそれ以上言わずに先に行こうとするので、倫は仕方ないと彼の後をついていくことにした。

 二人は並んで正面の通りを歩いていると、魔術師がぽつぽつと話し始めた。

「……君と初めて会った時、依頼が山積みで、どう考えても冬が明けてからでないと、個人の依頼なんて受けている余裕が無かったから、あの時は何も聞かずに頼みを断ったが、少し、気が変わった」

「え? じゃあ!」

「誤解するなよ、話を聞く気になっただけで、別に依頼を受けるかどうかはまだ決めていないからな」

「ありゃ……」

 期待する前から釘を刺されてしまい、倫はぬか喜びしたが、それでも話を聞いてもらえるだけありがたかった。

「それに、俺の職場では余裕が無いから難しいが、もし余裕のある他の工房があったら、話を付けるくらいは出来るしな」

「……お兄さん、いい人だね」

 素直に言うと、魔術師は鼻で笑った。

「そうでもないさ」

 自嘲気味な声色だったが、その表情は晴れやかで、倫は不思議に思った。

 工房で初めて会った時も、商店街で見かけた時も、魔術師は、迷子の子供のようにどこか不安そうな顔をしていた。

 それが、ほんの少しでも笑顔を見せてくれるようになって、魔術師の本来の姿が垣間見えたような気がして、倫は嬉しくなった。

「ああ、ほら。工房に着いたぞ」

「あ、本当だ」

 気づけばドズリの工房前まで辿り着いていて、魔術師はポケットから何かの紋様が焼き付いた木の札を取り出すと、扉に掛けられた看板にかざした。

 すると看板がわずかに発光して、扉がひとりでに開いた。

「おおー……!」

「なんだ、魔法を初めて見たみたいな反応して。王都ならこんなものいくらでも見られるだろ」

「あっ、あたし田舎の出だから、珍しいんだよね!」

「そういうものか? まあいい、入ってくれ。灯りがあると怪しまれるから、工房の魔法灯は付けないが、足元に気を付けろよ」

「お邪魔しま~す……うっ」

 工房に足を踏み入れた瞬間、薬草の青臭さと、薬臭さを混ぜたような独特な匂いを感じて、倫は思わず手で鼻を覆った。

「匂いがきついか? まあ、じき慣れる」

 魔術師はすっかり慣れ切っているのか、気にも留めない様子で、工房の中に入っていった。

 中に入ってすぐ目に入ったのは、中央の大きな木のテーブルで、そこには納品するものと思しき大量の布のロールと繊維の束が雑多に置かれていた。

 よく見ると、床や椅子の上にも布のロールが散らばるようにして置かれ、中々の修羅場を想像させられた。

 部屋の端には、マントやローブが掛けられたトルソーが、肩身が狭そうに追いやられていて、倫はふと疑問を投げかける。

「工房って、布みたいな素材だけじゃなくて、マントとか、既に出来上がったものも取り扱うの?」

「ああ、自分が使っている装備に魔法を付与して欲しい、と依頼が来ることもあるな。もっとも、最近は忙しくてあまり受けられていないが……」

「確かに、そんな風に出来たら便利だよね」

「効率を考えたら、大量生産できる布に付与した方が安く済むけどな。ただ、大量生産出来る反面、あまり付与効果が多すぎるとムラが出てしまうから、一度に付与出来るのは二種類までなんだ。だから、自分の装備に追加で効果が欲しい時によく利用されるな」

「そっか、そういう理由もあるんだっ、て、っうわぁ!」

 きょろきょろと周りを見渡しながら歩いていた倫は、床に落ちていた布の切れ端に気づかず、踏んづけてしまい、後ろに転倒しそうになった。

「──っ、だから、足元に気を付けろと言っただろ」

 魔術師は咄嗟に倫の腕を掴むと、なんとか引き寄せて、無理やり立たせてやった。

「あはは、ごめ~ん」

 倫は苦笑いを浮かべると、魔術師は呆れた顔にふっと笑みを浮かべた。

「そんなに気になるなら、作業場も見るか?」

 そういって、魔術師は奥の作業場を仕切る暖簾を腕で押しやる。

「うん!」

 倫は目を輝かせて何度も頷くと、魔術師は手の仕草で招き入れた。

 作業場は先ほどの部屋よりもスペースが広く、端を囲むように、底が深く大きな流しが三つと、小さくて底が浅い流しが二つあった。

「なんか、ちょっとイメージと違うかも」

「やっぱり、ここに来る魔術師以外の人間は皆そう言うんだな。イメージとは違うだろうが、ここで俺たちは、繊維や布に魔法を付与しているんだ」

「なんか、流しがいっぱいあるけど……魔法の付与ってどうやってやるの?」

「そうだな、魔法の付与は素材によって様々だが、俺たちがやっている布や繊維の魔法付与は、実は染色と工程が殆ど同じなんだ」

「え、そうなんだ! あたしてっきり、魔法をえいって掛けて終わりなんだと思ってた」

 魔術師は苦笑いを浮かべた。

「魔法はそんな便利なものでは無いぞ。それで、さっきは染色と殆ど同じと言ったが、違いといえば、染色の際に魔法を込めるか否かの差だ。勿論、溶液も染色に使うものとは違って、特別なものを使っているけどな」

「あ、もしかしてこの匂いって、溶液の匂い?」

「そうだ。魔物の素材が使われているから、匂いもなかなか強烈だろう?」

 魔術師は入口のすぐ脇に置かれた棚の前に立つ。

 溶液と思しき液体が詰められた瓶がずらりと並べられていて、魔術師はそれを一つ手に取った。

「ここに置かれた溶液は、それぞれの付与効果があるんだ。俺が持っているのは、雷魔法を強化する溶液だな」

「へー、なんかよくわからないけど、すごいね!」

 率直な感想を述べると、魔術師の横顔がすっと曇った。

「こんなもの、魔術師であれば出来て当然の事だ。凄くなんて、無い」

 その言葉には、はっきりとした拒絶が感じられた。

 倫は笑顔を引っこめると、その横顔を見つめながら、静かに問いかけた。

「……それは、お兄さんが内職魔術師だって呼ばれているのと、関係があるの?」

 魔術師は溶液の瓶を強く握りしめるが、やがて溜息を吐いて、瓶を棚に戻すと、まるで、暗闇に投げかけるように語りだした。

「……この国には、魔術師として見なされない魔術師がいる。それが、俺たち内職魔術師だ。君も知っていると思うが、この国では冒険者の地位がとてつもなく高くて、建国の父である初代国王も元は冒険者だったから、皆冒険者に憧れるだろ。それは魔術師も同様で、同じように皆冒険者を目指すんだ。研究職は冒険者に比べれば地味ではあるが、それでも生活を豊かにしてくれるから、王宮や国民からの支持は熱い。……それに比べて、冒険にも出られない、研究も出来ない落ちこぼれの魔術師は、虐げられて当然、なんて考えが、当たり前なんだよ」

 魔術師は、流しの傍に置いてあった丸椅子に腰かけた。

 疲れ切っているかのように首をもたげると、弱々しい声で言った。

「店での会話を聞いていたなら分かっていると思うが……俺の育ての親は、高名な魔術師だったんだ。かつては冒険者として各地を回ったり、国立魔法研究工房で所長を務めたりと、その道では知らぬ者はいないくらいの有名人さ。孤児の自分を拾ったのは気まぐれだと言っていたけど、衣食住を保証してくれて、勉強もさせてくれて、魔法学術院にまで入れてくれた恩人だ。俺に魔法の才能は無かったが、師匠は全く気にしなかった。でも周りはそうもいかないだろ。好奇心でやってきては勝手に期待して、俺の才能を見たら勝手に失望して、どこかに去っていく人間を何人見てきたか」

 前髪をくしゃりと掴んで、魔術師は語り続ける。その声色には、深い怒りと絶望が混じり始めていた。

「卒業資格の魔術師試験は何とか合格したけど、元々成績が良くなかったから、俺は位の低い魔術師として判定された。結局就職できたのはこの低賃金で重労働、残業手当なんて出ないし、社長には常には常に怒鳴りつけられるなんて、当たり前の職場だ。でも転職するといったって、労働条件はどこも似たり寄ったりだ。──こんなことなら、孤児のまま野垂れ死んだ方が……」

 そう口走った瞬間、魔術師はハッとして顔を上げた。

「わ、悪い……こんなことを、子供の君に聞かせるつもりでは……」

 愚痴を聞かせてしまったことを深く恥じている様子で、魔術師はかなり狼狽えていた。

 倫は馬鹿にするわけでも、引くわけでもなく、同じ丸椅子を引き寄せて魔術師の前に置いて、そこに腰かけると、語り掛けるように言った。

「あたしね、魔術師は皆、きらびやかな仕事をしてるものだと思ってた。自分のしたいことを研究して、冒険して、皆が皆充実しているんだと思ってた。でもそれは違って、お兄さんみたいに縁の下の力持ちとなって、差別されながら仕事を全うしてくれる人がいないと、この世界は回らないんだって初めて知った。だから、せめて差別されずに、正しい評価を得られて少しでも胸を張って仕事できるようになれたら、どんなにいいのかな……」

 倫の言葉は偏見や差別から遠く離れた、どこまでも真っすぐで、純粋だった。

 それはこの世界のことを何も知らないからこそ伝えられた言葉だったが、そんな言葉を初めて投げかけられた魔術師の心を強く打つには十分だった。

 瞳にうっすらと涙を浮かべた魔術師を、倫は見つめると、ぴしっと姿勢を正して、本題を切り出した。

「お兄さん、あたしね。穢れの日のための道具を作りたいの。だから、お兄さんに力を貸してほしい!」

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