2-4
アリアは物憂げな表情で玄関先の窓に立ち、硝子越しに見える倫達のしょぼくれた背中を、ぼうっと眺めていた。
(……なんで急に、穢れの日の話なんか持ち出したのかね)
当事者とはいえ、穢れの日、という言葉を久しく耳にしておらず、それをあんな風に切り出してきたことに、アリアは内心、かなり動揺していた。
(女同士でもそれがタブーなことくらい、知っているだろうに。それに、あの子は……)
そう胸中で呟きかけて、アリアはふと思う。
(そうだ、アーニャが分からないはずがないんだよ。この話を出す重みってやつを。それでも、あの子たちが話したかったことって、何だったんだろう?)
穢れの日への嫌悪感で、つい突き放してしまったが、決しておふざけではなく、彼女達の瞳には、真剣さがはっきりと映っていた。何を話したかったのか、今更になって疑問が頭の中を駆け巡る。
すると、長女のエリーがすっと隣にやってきた。アリアが見下ろすと、おずおずと様子をうかがうようにして、こちらを見上げながら、エリーが口を開いた。
「……お母さん、アーニャちゃんと喧嘩したの?」
「どうしてそう思うんだい?」
「だって、アーニャちゃんがあんなに大きい声を出したの、聞いたことがなかったから」
その言葉に、アリアは目を丸くする。確かに、いつも穏やかで心優しいアーニャがあんな風に声を荒げることは滅多に無い。いや、それどころか、初めて見たのかもしれない。
「……そうだねぇ、お母さんも、初めてあんなに怒った所を見たよ」
アリアは複雑な笑みを浮かべる。こうなるよう唆したであろう倫の真意が分からず、強い口調で彼女を問い詰めた時、アーニャは、あんなにも感情を露わにしていた。それだけ倫を信頼しているのだろう。
アリアは今一度、エリーを見やる。
今年で十三になるわが娘は、身体つきが女性らしくなりつつあり、そろそろ初潮を迎える頃だろう。だが、エリーに穢れの日について話したことは、一度もない。どこかで見聞きしていなければ、存在さえ知らないだろう。
(それで本当にいいのか? あたしはそれでも母親なのか?)
今まで疑問にすら思わなかったことで、それが正しいのかも分からないが、ふと胸に浮かんだ疑念は、こびりついて離れない。
ただ、たった今、自分はなにか大きな岐路に立たされているのではないか。アリアは直感でそう感じていた。こういう時の勘は、たいてい外れたことがないのも、短くない人生を歩んできて、身に染みて実感していた。
アリアは深く息を吐く。迷いが無いわけではないが、今すべきことは何なのかと考えた時、答えは一つだった。
「……エリー。二人を連れ戻してきてくれないかい?」
「……話、聞いてもらえなかったね」
一方、アリアの家から出て、とぼとぼと帰路に着く中、倫はぽつりと呟いた。
「そうね。難しいとは思っていたけど、ここまで聞いてもらえないとは思わなかったわ……」
アーニャも身内に突き放されたのがショックだったのか、浮かない顔をしていた。倫は心配そうにその横顔を見たが、ふるふると顔を振ると、明るく言った。
「まあ、アリアさんには協力してもらえなかったけど、あたしたちだけでも出来ることはあるよ、きっと!」
「……そうよね。こんな所でめげていちゃ駄目よね」
空元気にしか見えなかったが、アーニャは少しだけ笑顔を見せてくれたことで、倫はほっとする。
(そうだよ、こんなことでめげていちゃ駄目駄目! ここはそういう世界なんだから、ちょっとつまずいたくらいで凹まない!)
そう自分に言い聞かせていると、不意に背後から声を掛けられた。
「アーニャちゃーん、まってー!」
「え?」
その声に二人が振り返ると、エリーがこちらに小走りで向かってきているのが見えた。何か忘れ物でもしただろうかと倫は思わずポケットを探ろうとするが、先にエリーが二人の元に辿り着いて、跳ねた息のまま言った。
「あのねっ、お母さんが、話したい事あるんだって! だから、戻ってきてほしいって……!」
「えっ? どういうこと?」
思わず倫が聞くと、エリーはしどろもどろになりながら返す。
「わ、わかんないけど…… とにかく、お母さんはそう言っていたよ」
二人は目を合わせる。どういう風の吹き回しか分からないが、またチャンスが巡ってきたのは明白だ。
「行こう、アーニャ!」
「ええ!」
二人は頷き合うと、急いでアリアの家へと踵を返した。
エリーと共に、再びアリアの家に入ると、彼女は神妙な面持ちをして、玄関先で二人を待っていた。
「悪いね、また呼び出したりなんかして。エリー、おかあさんたちは大事な話があるから、向こうに行っていな」
こくりと頷いたエリーは、二人の様子を伺いながら、廊下の奥へと速足で向かっていった。先程あんな会話を繰り広げたあとで、二人はアリアの顔を気まずそうに見上げている。アリアは何も言わず、仕草だけで二人をリビングへと招き入れた。
「まあ、座りなよ」
促されるままに二人は先ほどまで居た席に着くと、アリアも正面に座って、両肘を付いて顔の前で手を組むと、静かに言った。
「……さっきはごめんね。あんな追い返し方してしまって。大人のやることじゃなかったよ」
アリアからの思わぬ謝罪に、二人は目を丸くした。
「お前達もわかると思うけど、こんな話気味悪がって誰もしたがらないだろ? だから、柄にもなく動揺してしまって、お前達の話を聞こうともしなかった。許しておくれ」
頭を下げようとするアリアを、アーニャは慌てて止めた。
「そんな、いいのよ……アリアの気持ちはとてもわかるわ」
「うん。こういう反応は、一応想定していたから。気にしないでほしい……です」
アーニャと倫が口々に言うと、アリアはほっとしたように小さく笑みをこぼす。
「ありがとう。今度はちゃんと聞くからさ、二人が言おうとしていたことを話してくれないかい?」
その言葉に、二人はぱっと表情を明るくして、顔を合わせると、口を開いた。
「実は……」
倫の素性や、アイデアがどこから来たかは伏せたが、この世界で初めての生理用品を作りたいという構想を手短に話した。
「それで、アリアさんの裁縫の腕を見込んで、手伝ってほしいなと思って、声を掛けてみたんです」
「アリア、どうかしら。出来ると思う?」
アリアは何も言わず、暫く考えている様子だ。二人は固唾を呑んでそれを見守っていると、ふと顔を上げて、彼女はこう問いかけてきた。
「このアイデアを出したのはリンなのかい?」
「は、はい。あたしです」
「どうしてこれを作りたいと思ったんだい?」
「え、どうして……?」
倫は狼狽えた。自分の世界では当たり前にあったから、と言いたい所だったが、本当のことを話したら今度こそ追い出されかねない。だけど、適当な嘘も吐きたくなくて、倫は頭を悩ませる。
(……あ、でも)
顔を上げて、倫はこちらを見定めるように見つめるアリアを、まっすぐ見つめ返した。
「どうしてって言われると、みんなの為もあるし、自分の為でもあるかな。だって、これがあれば、穢れの日が来たって、自分を嫌いになる気持ちが、少しでも減るかもしれないって考えたら、そんなの作るしかないって、思うから」
何を言えば良く思われるかを考えても、アリアには全て見抜かれてしまいそうで、それならばと、倫は飾ることなく、自分がどうしたいのかだけを伝えた。
すると、アリアは堪らずといった様子で、顔を綻ばせた。
「そうかい。……あたしもそれなりに色んなものを頼まれて作ってきたけど、まさか、穢れの日の為のものを作ってくれと言われるとは。人生わからないものだね」
呟いて、アリアはすっかり冷めきった紅茶を一気に飲み干すと、息を吐いて、また話し始める。
「さっきも言ったけれど、こういう話ってのは、女同士でも中々どうして難しいものだろ。現に、今こうやって話しているのも、抵抗が無いわけじゃないさ。でもね、うちのエリーも大分身体が大人になってきて、もうすぐ自分と同じ苦労や恥ずかしい思いを味わわせてしまうのかって考えたらさ……親として、それを許しちゃいけないと思ってさ」
「え、じゃあ……!」
倫は思わず立ち上がって身を乗り出す。アリアは口元に笑みを浮かべて、大きく頷いた。
「ああ、あんたたちの計画に協力するよ。わたしに出来ることだったら、なんでも言いな」
「やったぁ!」
「やったわね、リン!」
その言葉にアーニャも立ち上がって、二人は喜びを露わにしながら、手を握り合う。
きゃあきゃあと声を上げて、嬉しそうに顔を見合わせる二人を、アリアは、本当の母親のような、慈しみ深い眼差しで見つめていた。
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