1-6

 その日は、一日中仕事にも身が入らず、いつもは美味しいはずのアーニャの夕飯の味も、あまりわからないまま飲み下してしまった。

 温かいシャワーを浴びて、あとは眠るだけと魔法灯を消してベッドに身体を滑り込ませてみる。

 だが、目を瞑ろうにも、今朝のモヤモヤが頭の裏にずっと貼りついていて、倫は我慢ならずに、がばりと起き上がった。

(いやよく考えたらメチャクチャムカつくんですけど‼)

 喉元までその言葉は出ていたが、時間帯を考えて頭の中で叫ぶに留めた倫は、代わりに布団をバンバンと叩いた。

(何よ穢れの日って! 生理を汚らわしいものみたいに言うなんてサイッテーなんですけど‼ その穢れの日が無かったら、赤ちゃんだって産まれてこないのに~‼)

 頭の中で怒鳴る度に怒りが増していくが、それは誰かに向けられたものでもなく、見えない何かに対して、たった一人で拳を振り上げているように思えて、どんどんむなしくなっていく。

 やがて全てが馬鹿らしくなって、握りしめた拳を布団に置くと、大きな溜息がひとりでに零れた。

 サイドテーブルに手を伸ばして、魔法灯を付けると、淡いオレンジの光が部屋を仄かに明るくする。倫は魔法灯の傍に置いていた水色のポーチを開けると、中身を確認した。

(どうしよう、残りもそんなに多くないのに……)

 通学鞄に入れていた生理用品はそう多くはなく、もったとしても次の月までだ。ポーチを閉じると、また溜息が零れる。

 がっくりとした気持ちに追い打ちをかけるように、下腹に生理特有の重い痛みが居座って、更に気分が欝々としていった。

(アーニャは生理用品なんて無いって言ってたし……じゃあこれからどうすればいいの?)

 生きていて生理用品に困ったことなど一度も無かった倫は、初めて直面する問題のとてつもない大きさに、どう立ち向かえばいいのか分からなかった。

(じゃあ、この世界の女性は生理の時にどうしてるの? そもそも、誰が生理を穢れなんて言い出したの?)

 自問するが、分からない事だらけの今、出来ることと言えば誰かに聞くことくらいだ。

 倫は少し悩んだが、なんとか重い腰を上げると、部屋を出た。

(……また怒らせちゃうかもなぁ)

 不安を抱えながらも廊下に出て、倫は自室の隣にあるもう一つの部屋の扉を恐る恐るノックすると、ほどなくしてから扉が開いた。

「あら、リン。どうしたの?」

 部屋から出てきた寝間着姿のアーニャは、不思議そうに倫を見た。髪を下ろしてメイクも落としているその姿は、普段よりも年相応に見えた。

「夜にごめんね。ちょっと離したいことがあるんだけど、入っていいかな?」

「いいわよ、どうぞ」

 快く倫を迎え入れたアーニャの部屋に足を踏み入れると、女の子らしい、甘い良い匂いがした。アーニャの部屋は、ベッドなどの家具の他に、化粧品がたくさん置かれた化粧台や、綺麗な小物類で飾られたロマンス小説でいっぱいの本棚など、女の子らしいもので溢れていた。

「どうぞ」

 促されるままベッドに腰かけて、倫は曇った顔で隣に座るアーニャの顔を覗き込む。

「……あのね、朝聞いたことなんだけど」

 倫が切り出すと、アーニャの顔がまた、厳しいものになった。

「リン、それは……」

「わかってる、アーニャがこの話をするのがすごく嫌なことだってわかってるけど、でも、これだけはどうしても聞きたいの。穢れの日に、アーニャたちがどうしているのか」

「……」

 よほど抵抗感があるのか、アーニャは厳しい顔を少し俯かせて、話しづらそうに口を開いては、やがて閉じてしまう。

「……お願い、アーニャ」

 アーニャの手を取って、両手に包み込むと、倫はそっと握りしめる。

 すると、アーニャは溜息を吐いて、顔を上げて倫の顔を見た。

「……わかったわ。何が聞きたいの?」

「ありがとう! じゃあ早速聞くけど、穢れの日が来た時に使う道具がないって言ってたけど、じゃあアーニャはどうやってやり過ごしてるの?」

「……端切れとか、使わなくなった服を縫い合わせたものを折り畳んで、それを当てて過ごしてるわ。きっと、みんなそうやってる」

「え、でもさぁ、それだと吸収しきれなくて漏れたりしないの?」

 率直に問いかけると、アーニャの顔がまた赤くなって、俯いてしまうが、やがて小さく、首を縦に振った。

(そりゃそうだ、布の吸収性なんてたかが知れてるし、固定もできないから動いたらずれちゃいそう。どう考えても不便すぎでしょ)

 なんとなくわかっていたとはいえ、それが現実だと突きつけられるとショックで、倫も顔が曇る。

「じゃあさ、本当に穢れの日用の道具って売ってないの?」

「誰も、そんなもの作らないわよ。そもそも、穢れの日に道具を使うなんて、発想自体が無かったもの」

「そっか……じゃあ、穢れの日の話をすることも、滅多に無いんだ」

「滅多どころじゃないわよ。穢れの日のことを話すなんて、とにかく、凄く恥ずかしいことなのよ。例え女性同士でも、気軽に話せることではないわ」

「……なるほど」

 かろうじて返事をしたが、倫はショックのあまり、気絶しそうだった。

(こんな環境じゃ、生理用品ができるわけないじゃん……)

 元居た世界なら、生理用品がスーパーやコンビニで当たり前のように買えて、テレビではCMも普通に流れている。

 友達間の貸し借りなんて当たり前で、特に、女子高出身の倫は、皆のいる教室で生理の愚痴を零し合うなんて日常茶飯事だっただけに、そのショックは大きいものだった。

(なんで、この世界には生理用品も無ければ、不安や辛さを女同士で分かち合うこともできないの?)

 怒りが腹を渦巻くのを感じる。だが、先ほどベッドで感じたやり場のない怒りとは違い、使命感に似た激情が、倫を支配していた。

(──よし!)

 倫は勢いよく立ち上がると、何も言わずにアーニャの部屋を飛び出していった。

 アーニャは驚いていたが、倫は気にも留めず、隣の自室に入って、水色のポーチを手にすると、再びアーニャの部屋に戻った。

「リン、いきなり飛び出してどうしたの?」

 驚いた顔で自分を見上げるアーニャに、倫は決意を固めた顔で言った。

「ごめん、アーニャ。あたし、ずっと黙ってたんだけど、実はここじゃない世界から来たの!」

「……え?」

「そこは魔法も無いし、冒険者なんて居ない所なんだけど、生理──穢れの日に関しては、ここよりもずっと進んでるんだ」

 そういって、呆然とした表情で見上げるアーニャに、水色のポーチから取り出した生理用品を広げて見せながら言った。

「アーニャ、見て。これは、あたしの世界で穢れの日に使う道具だよ。あたしが住んでた世界には、穢れの日に使う便利な道具がいっぱいあって、色んな場所で買えるし、それだけじゃなくて、穢れの日の話とか、愚痴とかを気軽に言い合えるんだよ!」

「……」

「あたしたちで当たり前の起きてることを、穢れの日なんて酷い言葉を使って、まるですごく恥ずかしいことみたいに、全部無いものにするなんて、やっぱりおかしいよ! アーニャたちだって、その日を気持ちよく過ごしたり、穢れの日のことを気軽に話してもいいんだよ!」

 倫は精いっぱいの気持ちを込めて、アーニャに語り掛ける。

 アーニャは、倫に気圧され通しで、呆然としたまま瞬きをするばかりだが、しばらくすると、恐る恐る呟いた。

「……本当に、そんな世界があるとしたら、きっと素晴らしい所なんでしょうね」

 その時、倫は、全身を稲妻で貫かれたような感覚に襲われた。

 なぜ、それを思いつかなかったのかと、過去の自分を笑い飛ばせるくらいの妙案に、倫は自然と笑みが零れる。

「……あはは、そうだよね、本っ当にそう。じゃあそれだったらさ、この世界も、そんな素晴らしい所に変えちゃおうよ!」

「えっ?」

 倫は興奮しながらアーニャの肩を掴んで、ぐらぐらと揺さぶる。アーニャは突然興奮しだした倫に驚いて、ただ困惑しながら体を揺さぶられていた。

「な、なにっ? どうしたの⁉」

「コレを、あたしたちで作っちゃおう! そして、この世界から穢れの日なんて呪いを無くしちゃおうよ!」

 倫は、アーニャが手にする生理用品を指さして、自信に満ち溢れてきらきらと輝く瞳を、アーニャに向ける。

「……えぇっ~~⁉」

 一方、どんどんと進んでいく話に取り残されていたアーニャは、あまりの突飛な提案に、大きな声を上げた。


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