複雑な感情
ステファン、ステファンはどこかしら?
約束しているの。
0時きっかりにおめでとうって言いに来てくれるの。
「……愛しているの。ねぇ、彼はどこ? 」
こぼれる声。
「現実を見ろ、ヒューマン。おまえは騙されていた」
冷たくわたしを見つめる双眸。
意識を喪失仕掛けているわたしに理解などできるはずがない。
しかし、目の前の少女があまりにもキレイに見えた。
わたしはキレイでいるために努力した。
なんて事だろう、彼女は自然体で持っている。
シャツ一枚からでも伝わるしなやかな体躯。
卑猥ではなく、精錬された美を象っていた。
隆起した形の良い双山。無駄のない肢体。
複雑骨折をしていてもおかしくなかったはずだ。
血塗れになるほどに怪我をしていたはずだ。
血の跡はあれど、傷が見当たらない。
美しさが怖い。彼女は何なのだろう。
「焦点を合わせろ。平穏な日々は帰らない。生き続けたいなら私を殺し続けろ。私がおまえを守ってやる。死にたくなければな」
何を言っているのかわからない。
「生きるためには戦う他ない。アレはまだマシだ。家族がいるのだろう? 直に家にも侵入しだすはずだ。安全な場所はない。アイツらはもう、おまえたちの中に紛れ込んでいる」
きっと夢よ。わたしは悪夢を見ているんだわ。
「……あなたは何? 」
意外な言葉がわたしの口からこぼれた。
「私は
今のわたしには情報量が多すぎた。
「ヒューマンとは複雑な感情を持ち合わせていると聞いてはいた。過度に繊細で、脆い。だから魔法や剣術などで補って自らを守る手段としていた。戦闘を生業にする
難しい話をしているわけではない。
わたしの知識は伝説上の物語でしかないために、それを現実として認識することに拒否反応を起こしている。
物語の世界が現実だと言われてもピンと来ないのだ。
今のわたしは、目の前にいる少女と恋人が失われたことを受け入れることができない。
夢であれと思う方が強かった。
辛うじて意識を保てるのは夢であれば悪夢で済むからだ。
嫌なことは全部夢であってほしいと。
「……」
「求めている応えはどちらも違うか。ヒューマンは難しいな」
無造作に頭を搔く。
「してほしいことはないか、ヒューマンの娘」
「……名前」
「名前か。失礼した。私は『シャロン』と言う」
「シャロン……」
「おまえは……ジェニーと呼ばれていたな」
「ジェニファー」
「そうか、ジェニファーだからジェニーか。可愛らしい名前だ」
目を細めて笑う。
虚ろな目に漠然とキレイに映る。
何てキレイなんだろう。
気がつくと姿が見えない。
いや、違う。温かく柔らかいものが私を抱きしめていた。
高めの体温は動物を思わせる。
わたしはその温かさに安心していた。
ああ、何だか唇も温かい。……唇?
ハッとして目を見張る。
キレイな顔が間近にあり、柔らかく唇が触れ合っていた。
「あ、あ、あ」
離れるとわたしの口から言葉にならない声がこぼれる。
押し当てられた感触に少しの痺れを残して。
何が起きたかすぐにはわからなかった。
わかった瞬間に顔の体温が急に上がる。
初めてだったのに。
「落ち着いたか? 少し生気が戻ったな」
わたしは魚のように口をバクパクしてしまう。
どうしよう、彼女から目が離せない。
「私にはジェニーが必要だ。どうか共に戦ってくれ」
必要、初めてばかりを奪われてゆく。
さっきまでわたしは誰を好きだったのだろう。
まだ何も知らなかった。これから知ろうとした。しかし、唐突に一気に情報が雪崩込み、消えた。
愛なんて言えるほど愛していなかった。
なんてわたしは現金なんだろう。
目の前にいるのは女性なのよ。
なのに、なのに何故? 何故こんなに鼓動が逸るのかしら。
湧き上がる感情は甘く疼いていく。
わたしは気がついていなかった。
彼はステータスでしか無かったことに。
ハンサムに甘く囁かれて舞い上がるほど、わたしには免疫がなかったの。
誰にでも優しいことは欠点でもあった。
みんな、みんな勘違いさせられて殺されたのね。
わたしもおなじ運命だったのだわ。
それをシャロンが救ってくれた。
疼きが全身を麻痺させていく。
運命とは残酷ね。
もう、普通ではいられないのだわ。
けれどそれもいいかもしれない。
「ダメならば、他を……」
「ダメじゃない……! 」
そう叫んだ瞬間、優しく手を取られた。
「主になってくれるか。ならば……」
まるで銀髪の王子のような仕草でわたしの手の甲にキスをした。
熱い、体の中でドクドクと脈打つ。
失神してしまいそうになる感覚に、甘いため息がこぼれる。
唇を離した手の甲に幾何学的な模様が描かれていた。
グイッと引っ張られ、豊満な胸に抱きしめられる。
「おまえは私をより残酷に殺してくれ。死ねば死ぬほど私は強くなれる」
そう、悪夢は終わらなかった。
わたしは戦うたびにシャロンを殺さなくてはならない。
……大丈夫よ、彼女はすぐ蘇る。
これはきっと……究極の愛の形なんだわ。
わたしはもう壊れていた。
既に麻痺は始まっている。
───ゴーンゴーンゴーンゴーンゴーンゴーンゴーンゴーンゴーンゴーンゴーンゴーン……!
「……あ、誕生日」
わたしの瞳から涙がこぼれた。
祝うと言った人はもういない。
きっとわたしを殺し、亡骸に「おめでとう」を言うつもりだったのでしょう。
受け入れられないはずの現実。
暗がりの奥に聳え立つ時計台の、0時を告げる鐘の音が十二を数え終わる頃には理解していた。
「……おめでとう、ジェニー。おまえは生きている」
低くもなく、高くもない柔らかい声が優しく耳を撫でる。
「う……あ、あああああぁぁぁん」
糸が切れたように溢れ出す感情と涙。
シャロンが優しく抱きしめてくれている。
「私が守るから。来年もおめでとうを言おう」
欲しい言葉をゆっくりと紡ぐ声。
わたしが混乱しないようにと少しづつ。
離さないでいてくれる、そう思えた。
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