第2話 播磨屋のぜんざい

 娘がオーストラリアにホームステイ先に行くことになり、日本からのお土産におかきを持って行くことになった。妻によれば「今や海外でも日本の『OKAKI』は有名なのよ」とのこと。本当だろうか。そんな話はあまり聞いたことがないのだが。英語では「ライススナック」とか言うのだろうか。

 俺は播磨屋のビルの前に到着し、立派なビルを見上げた。播磨屋ならハズレはあるまい。ここのせんべいやおかきは美味いからな。

 社長はちょっと変人だが……。

 ビルの中に入る。きれいで気品のあるショールームだ。知らずに入った人は、ぱっと見ておかき屋とは分からないだろう。新車が展示されていても違和感がなさそうだ。

 おっ、パンフレットが新しくなってるな。

 俺はテーブルの上に置かれたパンフレットを取り上げた。『東日本大震災特集号』とある。裏表紙を見ると、社長のこんな言葉が書いてある。


皇太子殿下

いよいよ出番でございますぞ!!


 うーん、皇太子様も迷惑だろうなあ。


菅総理への緊急公開質問状

●貴方には、この国の財政破綻後の飢餓地獄が、きちんと見えているのですか!!

●何千万人もの餓死者が出るのは、火を見るよりも明らかなのですよ!!

●その際発生必至の大暴動は、警察の手になど全く負えませんよ!!

●まさか自衛隊の砲火で、皆殺し鎮圧するつもりではないでしょうね!!

●大至急「御前会議」を開催し、天皇陛下の御聖断を仰がれるべきです!!

●またしてもぐずぐずしていて、万一首都圏間近で三発目の原子爆弾が炸裂でもしたら、今度こそ本当に亡国ですよ!!

(http://www.harimayahonten.co.jp/)


「皆殺し鎮圧するつもりではないでしょうね」なんて、勝手に想像して腹を立てられても菅総理も困っちゃうだろうな。

 いやはや、いつものことながら、ここの社長はものすごい。

 パンフレットは後でゆっくり見ることにして、俺はとりあえず今日の目的であるおかきに注意を向けた。ショールームにはせんべいとおかきがずらりと並んでいる。その手前には、試食用のかけらを入れたプラスチック容器がある。ここは自由に商品の試食ができるのだ。さて、どれがいいか……。

 俺はせんべいを順番に試食した。

「柚子せんべい」か。ほんのり柚子の香りがするだけかと思ったら、かなり強く柚子が自己主張している。なかなかいいぞ。

「氷砂糖せんべい」は甘党には嬉しいな。砂糖ではなく氷砂糖を使っているだけで、甘さが上品になる。

「海苔せんべい」もなかなかだ。

「コウノトリ煎餅」。これは変わってるな。薄くて軽くて、せんべいと言うよりゴーフルのようだ。しかし、なぜこれだけ「せんべい」ではなく「煎餅」なのか。

 ……うーむ、あまりバリバリ食ってると、店員に変な目で見られるかな。

 俺はパンフレットの説明と見比べながら「はりま焼」を試食した。「四十年以上にもなる超ロングセラー商品」とある。

 今の社長が播磨屋を創業したのは昭和六一年だそうだから、それ以前のクロバー製菓の頃からある商品ということか。確かにオーソドックスなせんべいだが、それだけに安定した美味さだ。うむ、いちばん口に合う。

 新商品もいいが、古いものには古いものの良さがあるな。

 しかし、買ってきてくれと頼まれたのはおかきだ。個人的にはおかきよりせんべいの方が好きなのだが。どうもおかきのボソボソした食感が苦手だ。

 近くで他の客が店員と話している。

「すみません、おかきとおせんべいってどう違うんですか?」

 おっ、それは俺も知らなかったぞ。俺は聞き耳を立てた。

「原材料にもち米を使っているのがおかきです」と店員が答える。「おせんべいは、うるち米を使っております」

 そうだったのか。何となく調理法の違いかと思っていたが。

 おかきとせんべい。普段からよく知っているもののはずなのに、意外に正確な定義は知らないものだな。

 この世の中はまだまだ俺の知らないことだらけだ。こういうちょっとした知識に接するたびに謙虚になれる。

 さて、どれにしようか。 外国人へのおみやげとなると、日本文化を知ってもらうためにも、あまり奇をてらっていない、オーソドックスなものが良かろう。

 おかきは「おかき皇」、せんべいは「はりま焼」。このセットで行こう。どちらかが気に入ってもらえるだろう。

 それ以外にも俺と家族用に、「はりま焼」と「柚子せんべい」を買っておくか。

「すみません、この『はりま焼』の箱入りのやつと……」

 俺は店員に言って、せんべいとおかきを袋に入れてもらった。

 清算を済ませると、店員がチケットを俺に手渡した。

「よろしければ、あちらでおぜんざいを召し上がっていってください」

「えっ、ぜんざい?」

「三〇〇〇円以上お買い上げの方に、無料でサービスしているんですよ」

「はあ……」

 俺は困惑した。参ったな。予定になかったぜんざいを食うことになったぞ。

 しかし、せっかくなのに食わないのももったいないな。

 売り場の横にある休憩所。さらにその奥に入ると、無人の小さな食堂があった。テーブルが一〇セットほど並んでいる。

 この店にこんなスペースがあったとは知らなかったな。女性店員が一人待機しているだけで、客は誰もいない。ほとんど使われていないようだが……。

「すみません、ぜんざいを……」

「はい、席に座ってお待ちください」

 店員はすぐに二つの鍋でぜんざいを作りはじめた。

 ぜんざいが来るまでの間、俺は店内を見回した。メニューも何もない。本当に、無料でぜんざいを食べさせるだけのスペースなのか。

 めったに使わないだろうに。このためだけにこんなスペースを作って、店員を待機させているとは、なんという贅沢な。

 どのテーブルの上にもパンフレットが一部ずつ置かれている。俺は暇つぶしに、めくって中を見た。


 今般の天人二つの激甚災害を、旧来通りの価値観のままに、単なる巨大な災禍だと安易に考えてはならないのです。母なる地球から日本の全体への、愛の勧告メッセージだと考えるべきなのです。


 俺は苦笑した。ひどい愛のメッセージもあったもんだ。

 それにしても、普通のせんべいややおかきの商品紹介と並んで、こんな文章が載っているとはシュールだ。この会社の社員は、社長のことをどう思っているのだろうか。

 店員の方をうかがう。彼女は一方の鍋から餅を、もう一方の鍋から汁粉をよそって椀に入れている。ほほう、ぜんざいを作るところなんて初めて見たが、ああやって二つの鍋を使うんだな。

 まあ、ぜんざいなんてものを食うこと自体、もう何年ぶりだか……。

 店員がぜんざいを持ってきた。

「どうぞ」

「あ、どうも」

 俺は早速、餅を箸でつまんだ。

 ほう、ものすごく柔らかいな。よく伸びる。マンガによく出てくる「おもちウニョーン」がマジでできてしまうぞ。

 口に入れてみる。舌触りもとろけるようだ。これぐらい流動性があれば、お年寄りがのどに詰まらせる事故も起きないだろう。

 小豆の皮もすごく柔らかい。溶ける寸前まで煮こんだという感じだ。舌の上で簡単に潰れる。

 あまり甘すぎないのもいいな。ぜんざいというと、何となく「だだ甘」なものと思っていたが、あれは砂糖を入れすぎなんだ。これが正しいぜんざいなんだろう。

 うん、勉強になった。


 ぜんざいを悔い終わると、俺は紙袋を持ってビルを出た。

 せんべいもぜんざいも美味かった。

 あのサービスの良さ、味へのこだわりは、やはり社長の社員教育の賜物なのだろうか。トンデモな社長でも、おかき屋の主人としては一流なのかもしれない。

 そう言えば「ぜんざい」と「おしるこ」の違いって何だろう?

 帰ったらネットで調べてみるか。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る