第22話 海域の底>>海蜘蛛
ーー海底。洞窟の奥深くは開けた場所だった。砂の広がる海の底だ。
海藻や岩などが転がる。ダークブルーの世界。
だが、……無残にも、船の残骸。それらが砂の上に沈んでいた。船体はボロボロだ。大きなマストですら折れていた。
年月経っていそうな船もある。腐敗している。だからなのか……異臭がする。禍々しい。そんな空気に包まれている。
海中で臭いなど存在するのか? 空気が無いのに。それにーー、あの気泡だ。洞窟の手前では、確かに気泡が出ていた。
下に来ればわかると思ったのだが。
生臭い臭い。息を止めたくなるほどに。この一帯は、覆われている。その腐敗と残骸に。
人が生きていたら奇跡だろう。海上はかなり上だ。光の道筋は見える。射し込んでいる。
まるで、海戦。その名残り。戦いに敗れ無残にも散った戦士たちの母体。
それが……ここに埋まっていた。
何百……。人は死んだであろう。
「これが北の墓場か……」
沈没船の墓場。正にそんな光景が広がっていた。商船らしき船から、それよりも大きく頑丈そうなバトルシップ。
幾つもの残骸が、ダークブルーの底に沈んでいたのだ。
沈没船の底。その周りには水色の光を放つ、冥霊たちが漂う。
更に……へクラーナの大群だった。
「マジか! なんかすげーいるぞ。しかも旋回してねー?」
愁弥は白い巨大なイカ。へクラーナ達が、遠心力を使い旋回しながら、海中に漂うのを見て声をあげた。
かなり上の方にいて、ここまで渦は届いては来ないが、ぐるぐると廻る歯車の様なその光景。
私は海上での大きな潮の渦。それを思い出した。
「そうか。これか。船を転覆させて沈没させたのは……」
へクラーナの大群の旋回は、正に大きな潮の渦を起こしていたのだ。竜巻の様に水が回転している。
「……なるほどな。これじゃー……逃げらんねーし、見られなくても不思議じゃねーな。いきなり巻き込まれるワケだ。」
愁弥は神剣を抜いた。
そう。私達の乗ったポタモイ。あの船を転覆させた潮の渦。それはへクラーナ達が、巻き起こしていたのだと、思ったのだ。
「あわわ……来ます……」
スナフさんだ。うようよと浮き、旋回しているへクラーナ達。更にその周りには大群がいる。
それを見てスナフさんは、青ざめてしまった。手を口に充てて……震えてしまっている。完全に怯えていた。
「大丈夫だ。心を強く持て。」
私はそう声をかけた。スナフさんは、頷いてはいるが……持ちこたえてくれるかどうか。
この大群を前に、離脱するのは……。
誰かに付き添って貰うにしても、これだけへクラーナがいるとなると……。
何処で出てくるかわからない。危険すぎる。
「ね……ねーさん。なんかいるっす。へクラーナの渦の中に……」
カイトだった。彼らもすでに剣を抜いている。
私は旋回するへクラーナの水の渦。それに目を凝らした。
「魔物……」
旋回し回転する水の中に、魔物が何匹もいた。水の渦に巻き込まれている様に見える。
へクラーナは円状の水の輪の中で、ぐるぐると廻りながらその魔物たちを、巻き込んでいる。
水の渦。その中で魔物たちはへクラーナに、捕らえられている様に見えた。
「狩りだ。へクラーナが魔物捕まえて食ってるんだ。」
ルシエルはそう言ったのだ。
水の渦の中から弾き飛ばされて、落ちてくるものが見えた。
海中漂い底に向かい落ちてくる。それは頭だった。魚に似ている。
「今度はダボハゼかよ!?」
愁弥はその頭だけを見て、そう叫んでいた。黒い縞模様に蒼い頭だ。胴体は食いちぎられている。
ドサッ……と、砂煙あがる底に落ちた。岩の塊。それほどに大きい。
「ひぃええぇっ!! ムリだ! ワシはもうムリだ!」
スナフさんだった。
ぎょろっとした魔物の眼。黒い眼がこちらを見ていたのが、マズかった。デカいだけでなく、不気味だ。
しかもギョロギョロと動いたのだ。丸い黒い目玉は。
それにボトボト……と、落ちてくる。魔物の頭や尾。それも食いちぎられているから、とても異様だ。
「しっかり! スナフさん!」
「おっちゃん! 死んじまうよ!」
ルーンとカイトは慌てて叫んでいた。
冥霊たちがスナフさんの周りを、彷徨き始めた。守護が解けそうなのだ。精神力を奪いつつも、守護の力を貸そうとしているのだ。
「仕方ありません」
そんな声が聴こえた。
「神剣が……」
その後で、愁弥の声だった。
蒼く光る刃。更に白い光に包まれた女神レイネリス。それは、神剣の中から姿を現したのだ。
「わ……女神……」
スナフさんは美しき白い光に包まれる女神。その姿を見て、息をのんだ。
愁弥の眼は、蒼く煌めいていた。
「お前達にはまだ……ここに、留まって貰わなければなりません。」
そう言うとふわっと、愁弥の後ろから浮いた。
女神レイネリスの長い髪は、揺れる。更に白いドレープがふわっとした、
ただ膝丈。更に額にサークレット。スナフさんの前に立つと、白く長い腕を差し出した。
手をスナフさんの頭に翳す。触れる事は出来ないのだろう。彼女は実態がない。
「め……女神様……た……助けてください……」
スナフさんはレイネリスの前で、そう言ったのだ。祈る様に手を組んでいる。
神殿でまるで祈りを捧げるように。
「大丈夫です。貴方は護られている。心を落ち着けなさい。この者たちは“神の加護”を受けた者たち。信じなさい。」
レイネリスはスナフさんを、説法する様にそう言った。
神の加護……。神剣のことか。私は違う。きっと、スナフさんを落ち着かせる為に言ったのだろう。
青年騎士団たちはどうなんだろうか?
私はレイネリスの声を聞き、そんな事を思っていた。
「愁弥さんは、やっぱり……戦士だ。それも女神レイネリスの加護も受けてる。」
グレンの眼はきらきらとしていた。羨望と憧れ。その輝き。蒼く光る眼をした愁弥を、見つめていたのだ。
「スゴいんだな。やっぱり。戦士ってのは……」
カイトもまた、そうほけ〜とした顔をしていた。
「瑠火!」
ルシエルだった。
私はその声に海中に視線を向けた。
へクラーナ達をまるで一蹴。旋回していたその巨大なイカたちを、弾き飛ばした者がいたのだ。
「ルシエル……。合ってたな。」
「んあ? 何がだ?」
私は呑気な声を聞きながら、弾き飛ばされたへクラーナたち。その中から下にどーん。と、音を立てて降りてきた者。
それを見て言ったのだ。
地が揺れた。更に砂煙も湧いた。
蜘蛛だった。巨大な大蜘蛛だ。だが、胴体部分は蟹に似ている。
蟹の頭に胴体。二頭身の身体に、ハサミのついた前脚を、浮かせ地につく十本近くある脚。
蜘蛛の脚に似ていた。形状が。
「アレが
と、ルシエルは堂々と説明したのだ。
「聞いてねーよ!」
「聞いてない!」
愁弥と私は同時に怒鳴っていた。
「あれ? あ。そう。そうだっけ??」
ルシエルは大きな頭を傾げたのだった。
お前は海蜘蛛のへクラーナ! そう言ったんだ! アプラスの話を掻い摘んで聞いていたな!
全く! 適当な幻獣だ!!
ディープスパイダー。それは私達の前に降り立っていた。
その周りには少し離れているが、うようよと“巨大イカの魔物”。へクラーナもいた。
こちらを伺っている。獲物と認識しているのだろう。
「巨大蟹か。ウマそーに見えねーな。」
愁弥は神剣を握りながら、そう言った。後ろには女神レイネリスがいた。
不思議な女神だ。何なんだ? 姿を現したり、消えたり……。まるで、愁弥の守護神だ。
「愁弥。あの人間は今は私の姿を見て、保っているが、そう長くは持つまい。」
女神レイネリスはそう言ったのだ。まるで、愁弥の後ろで囁くように。
「あ? 俺……“名前”。言ったか?」
愁弥は後ろを振り向き、そう聞いていた。
だが、女神レイネリスはその美しい顔を、微笑みで染めていた。優しい笑み。それを浮かべていた。
眼が蒼く煌めく。愁弥と同じだ。強い煌めき放つ、濁りの無い蒼。ウルトラマリン。そんな色だ。
「これが……私の与える最後の加護の力だ。この後は、己で道を切り開き極めよ。愁弥。そなたは……“希望の火”。それを忘れるでない。」
レイネリスはそう言うと、愁弥の耳元で何かを囁くような仕草をしたのだ。
愁弥は一瞬。驚いた様な顔をしたが、神剣を握りしめていた。
その顔はとても凛々しいものだった。
「私はいつでも見ている。そなたらに“神の加護があらんことを”」
レイネリスは、そう言うとすぅと、消えた。神剣の中に消えたのだ。
だが、愁弥の眼は未だ蒼く煌めく。更に神剣の刃も、蒼く煌めいていた。
「“
愁弥は突っ込んだのだ。
蒼く光る剣。それを持ち、海蜘蛛。更に巨大イカたち。そこに突っ込み回転斬り。
まるで巨大イカたちの旋回。それに似ていた。超高速回転の旋風。
蒼い光の円陣。それは敵陣を正に一掃。そんな剣術だった。
あっとゆうま。へクラーナの大群は、旋回する回転斬り。その剣撃。コナゴナに粉砕した。まるで細かな紙屑。
身体が斬り刻まれたのだ。
「す……すげぇ……」
剣を握りカイトはそう言った。
私も見入ってしまった。
あの巨大イカたち。それを粉砕してしまったのだ。
愁弥は剣を握り、ふぅ。息を吐いた。
ただ、ディープスパイダー。巨大な蜘蛛の脚と蟹の身体。その魔物だけは、堅い甲羅なのか、シュゥゥ……。
蒸気をあげながらも、無傷であった。
蒼い甲羅はまるで、鎧の様だ。傷一つついていない。
「無傷か。守護耐性に長けてるな。」
ルシエルは牙をむきだしにした。
「けど、動作じてーはそこまで速くなさそうだ。動く気配はなかった。」
愁弥はそう言った。
技を放ちつつ、敵の動きを見ていたのか? 動体視力。それまで上がるのか? 女神の加護は。凄いな。
「ねーさん。でも、へクラーナは何とかなりましたよ?」
カイトの声だ。
「一気に叩こう。」
私は双剣を握った。
だが、へクラーナはまだ上にも下にもいた。何処からともなくふよふよと、現れた。
どうやらここは、本当に巣窟らしい。ただ、ディープスパイダー。それが怖いのか、堂々と、向かっては来ない。
様子を見る様に、周りにいるだけだ。ディープスパイダーも、それには手出ししない様子。
私は早々に、
「“雷光”!!」
一体に向けての大きな稲妻だ。本来ならその身体を、打ち砕くものだ。
だが、岩石。それも割れる気配がない。堅い甲羅。それに包まれてディープスパイダーは、稲妻をもろともしなかった。
「“親友斬り”!!」
は??
私はカイトとグレンーー。その声に思わず……止まった。
彼等は剣を握り、二人揃ってディープスパイダーに向かって行った。
上段切りをするカイト。下段斬りのグレン。
連携攻撃。それはわかるが……その、ネーミングはなんだ? ふざけてるのか?
二人は甲羅に弾かれ直ぐに引いた。
「ね……ねーさん。堅い。」
カイトは真剣な顔でそう言った。
「だろうな。」
私はーー、そう答えるしかなかった。
「俺様が打ち砕いてくれる!!」
ルシエルは、そう怒鳴ると波動を放った。口を大きく開けて、黒い波動。
だが、蒼い身体のディープスパイダーは、全く微動だにしない。
まるで本当に岩石。硬い岩。
「シールド……」
私はその身体がピシッと、閃光走るのを見つめた。ディープスパイダーの身体は、何かに覆われている。それは甲羅でもあるが、違う。
水のシールド。泡のような円球。それが攻撃を防いでいた。
ただ、ルシエルの波動は少し強かったのか、前面に亀裂が走ったのだ。
だが、蒼い泡の円球は壊れることはなかった。
「守られてんのか?」
愁弥がそう言った。
「たぶん。」
私がそう答えると、愁弥は剣を構えた。
ディープスパイダー。大きなハサミの前足を、上下に揺らした。まるでバンザイ。
なんなんだ? 海の者たちはふざけてるのか? あのアプラスのお憑きといい。
私はアプラスのお憑き。海魚。子供たちの尻振りダンスを、思い出していた。
蜘蛛の脚。それがいきなり地面を削り始めた。高速回転だ。
砂煙どころではない。砂嵐。
それが私達にまるで竜巻の様に、向かってきたのだ。
「うわ!」
突風までも伴う。守護の発動。それすら間に合わなかった。カイトの声を聞きながら、私達は吹き飛ばされていた。
「な…なんだ? あれ。脚だけ回ったぞ!」
愁弥は砂の上。そこで起き上がりながら、そう言った。
「大丈夫か?」
私も直ぐに起き上がり、傍に倒れているルーン。それからスナフさん。彼に手を貸した。
ははっ。
スナフさんは苦笑いだった。まだ、とりあえず女神レイネリス。その言葉が効いているのだろう。平気そうだ。
私の手を掴み立ち上がった。
「砂を操るんですかね?」
ルーンは片手剣。それを持ちながら言ったのだ。
「厄介だな。」
私はディープスパイダーに視線を向けた。蒼い円球に、その身体は護られている。
「ねーさん! オレらが突っ込みます! その後で、何とかしてください!」
カイトだった。
見れば、アーク。グレン。彼等は剣を構えていた。
「一気にいくか。」
愁弥もそう言うと、彼らの横に立った。
「あのシールドはヤバいな。時間差攻撃だ。それしか崩せない。」
ルシエルはぺっ。 ぺっ。と、砂を吐き出していた。口に入ったのだろう。
「わかった。」
私は頷いた。
即興ではあるが、カイト達と、愁弥。彼らがディープスパイダーに、斬りかかる。
「「「もう一丁! 親友斬り! プラス・ワン!!」」」
な……なんなんだ。それは。
私は三人揃い、叫びながら斬りかかるカイト、アーク、グレンに、呆れてしまった。
だが攻撃はたいしたものだった。
カイトが上段、グレンは、中段、更にアークが、脚狙い。
それも素早い連携攻撃。剣撃でディープスパイダーを、斬りつけた。
それでも弾かれている。シールドに護られている。
そこに愁弥だ。
「“
蒼い光の旋風。それがディープスパイダーの巨体を、吹き飛ばした。
斬撃かディープスパイダーの身体を、斬り刻む。
そこにルシエル。
波動を放った。
大きな波動は吹き飛ばされたディープスパイダーの、身体に直撃した。
「「瑠火!」」
愁弥とルシエルの声だった。
私は迷うことなく。
「火炬!!」
炎の火柱。ディープスパイダーを焼き尽くす炎。それを放ったのだ。
大きな火柱はディープスパイダーの身体を、包み焼き焦がす。
「すっげぇ……」
「殺されなくてよかった……」
カイトは目を丸くしていたが、アークはそう言った。
だから。人を何だと思ってるんだ。
ディープスパイダーは火炬。でも、すぐには焼き尽くされなかった。
炎に包まれてはいるが、蒼い円球は崩れない。ルシエル。愁弥。更に私。
そしてカイト達。それぞれ、攻撃を繰り出し、何とか退治した。
ディープスパイダーがいなくなると、彷徨いていたへクラーナたちが、襲ってきたのだ。
「「「“
カイト達の攻撃ネーミング。それはもう……突っ込むところではない。放っておこう。
だが、へクラーナに与えた三連撃。それはまるで、3方向からの斬撃だった。
トライアングル。正にそのカタチ。飛び交い斬り刻んだのだ。
素早い動きで、へクラーナ一体。物の見事に粉砕したのだ。
「雷槌!!」
「“
私と愁弥の連携攻撃。
雷槌の連撃と、蒼い光の剣の槍。混合しながら、へクラーナ大群に降り注ぐ。
そこに
「“斬破”!!」
ルーンだった。
彼はどうやら剣術を使うらしい。 へクラーナ一体に向けて、飛ぶ斬撃。
振り下ろした剣から無数の風の太刀。それがへクラーナを小間切れにした。
「「「親友斬り! プラス・ワン!!」」」
カイトーー、達の上中下段切りの、連携攻撃は……放っておこう。
ルシエルの波動。
それも甲斐あり……私達は、へクラーナの大群を見事に撃破したのだった。
静けさ。それが包む海底。誰もが剣をしまう。魔物のいなくなった沈没船の墓場。
今までディープスパイダーがいた、砂の上。
そこに突如として、船が現れたのはそんな時だった。
「な……なんすか??」
カイトは目の前に現れた巨大な船。それを見るとそう言った。
光に包まれるでもない、突然だ。そこにボロボロになった沈没船が、姿を出したのだ。
帆は四つ。だが穴だらけ。どう見ても、幽霊船。そんな姿だった。
だが、船の先。そこには人魚。その金色の像が美しくも、添えられていた。
「……“神船……マーベルアイズ”……」
そう言ったのはグレンだった。
「神船?」
私がそう聞くと、グレンはとても驚いていた。
「北の墓場と呼ばれているのは、この船が眠っている。そう言われてるからです。これは……神の船です。聖界に繋ぐ船。そう言われています。はじめて見ました……」
グレンは目を見開いていた。
「聖界? なんだそれ……」
愁弥がそう言った時だった。
マーベルアイズ。それは蒼く光輝いたのだ。
眩い光に辺りは包まれた。
私達は、北の海。そこで……神船と呼ばれる神の船に遭遇したのだった。
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