間話  姫様御一行の道中話 ①

 ーー聖国アスタリア。国を出た辺りで、愁弥しゅうやが、声を出したのだった。



瑠火ルカ姫。次はどちらへ?」


 ぶっ。


 と、吹き出したのは黒い狼犬のルシエルだ。隣を悠々と歩いている。


「愁弥。なんだそれ?」

「ん? いいじゃねーか。せっかく旅してんだし、少しは笑いありで。」


 愁弥は隣で地図を広げている。その軽やかな口調。さらに笑顔だ。


 すっかり道案内人みたいな役割になってしまった。


「そうだな。色々とあるが……笑うのはいい事だ。それに愁弥にもやっぱり、少しは楽しんでもらいたい。せっかく……この世界に来たんだから。」


 これは本音だ。


 心底そう思う。大変な事に巻き込んでしまっている。それはとても心が傷む。


 だけど……後悔ばかりが、残ってしまうのは嫌だ。せめて、少しでも楽しい記憶を残して貰いたい。


 いつか帰るその時までに。


「俺は楽しんでますよ。こんな美人とちょっと可愛くない犬。なかなか有意義っす。」


 へらっと笑う愁弥。


 こうやって和ませてくれるのだ。いつも。だが……この軽口だけは、未だに慣れない。変にどきっとする。なるべく平静でいる様にしているが。


「だから! 犬じゃない!」

「へいへーい。」


 ルシエルの怒鳴り声すらも、軽く受け流してしまう。この雰囲気は好きだ。


 とても心地よい。


 この空の様に気持ちが晴れやかになる。真っ青な空のように。


「やっぱ。北目指すか? それとも大陸を出るか?」


 愁弥の声に私は少し……思う。


「北の国境付近では船が行方不明になったんだったな?」

「ああ。言ってたよな? あのねーちゃん。」


 難しい顔をしながら地図を回転させる愁弥。その声は、思い出した様だった。


 ねーちゃん??


 私は少し考えた……。あ。“リデア”か。


 商人アクセルの船で出会った冒険者だ。アイスグリーンの長い髪をした、淡いインディゴカラーの眼をした美しい女性だ。


 きらきらと輝く彼女の笑顔が、頭に浮かんだ。


「北には“王国シャトルーズ”があるな。アプラスも言っていたが、商船だけじゃなく“バトルシップ”も襲われるらしいな。」


 ルシエルは大きな頭を近づけている。上から地図を見下ろしている。


 ふーふーと鼻息が頭の上にかかった。


 近いな。ルシエル。そして鼻息!


「バトルシップ……。海上騎士団の軍船だったな?」


 愁弥はルシエルを見上げた。


「魔物討伐に出向いて、いなくなったバトルシップもいるらしい。」


 ルシエル……。顔を近づけすぎだ! わざとか!?コイツ……わざと鼻息かけてるな。


 見下ろすルシエルはぴたっと頭の上にくっつける。鼻を。


「いなくなる? なぁ? それってなんなんだ? 遭難ってことか? それとも沈んだってことか?」


 愁弥は少し声を大きくしていた。解らない事がとてもイヤなんだろう。


「どっちともとれる。アプラスの話だが、最近。海に棲みだした“へクラーナ”と言う魔物。そいつのせいじゃないか。と言っていたな。」


 ルシエルの紫の眼が、煌めいた。


“黒い円球の檻篭”。捕縛の檻。その中にいない時は、こうしてデカくなるが、その眼は獰猛になる。声も太く低くなってしまう。


 いつものキャンキャン喚くカワイイ声ではない。


「へクラーナ? そりゃなんだ?」

「魔物だ。“海蜘蛛”と呼ばれてるらしい。」


 愁弥の声にルシエルはそう答えたのだ。海蜘蛛……。どんな魔物なのか想像がつかないな。


「シャトルーズか。そこに行ってみるか。」

「北の国境を護ってるんだな。近くに国境があるぞ。」


 愁弥は私に地図を向けた。


 王国シャトルーズ。大きな国だ。その側には国境の砦がある。


 私は地図を見ながらある名前に目がいった。


“レドニー”だった。


 この草原の先にある街の名前だ。だが、魔物に襲われ壊滅した。そう聞いた名前だった。


「ん? どーした? 瑠火。顔が怖ぇーけど。」


 愁弥が覗きこんだのではっとした。無意識に顔が強張ったのだろう。


「いや……」


 心配そうなライトブラウンの瞳。余計な心配はさせたくない。


 それに……荒廃した街など……見たくもないだろう。


「レドニーか? 気になるのか?」


 こんっと、私の頭の上を鼻で小突いた気配。見上げればルシエルが、見下ろしていた。


「……全滅したのは知っている。だが……弔いの意ぐらいは手向けたい。素通りする気にはならないんだ。」


 街に入らなくても道はある。通り抜ける必要はない。でも……。


「手を併せるだけなら冷やかしにはなんねーか。」


 愁弥の声だった。


「物好きだな。愁弥も。」

「姫様の意見は聞き入れたいんで。」


 ルシエルの声に愁弥は笑ったのだ。


 この軽い雰囲気が私の心も軽くさせる。澄んでゆく……重い心が。


「ありがとう」

「いや? ナイトっすからね。俺は。瑠火姫の。」


 愁弥はそう言いながら地図に目を向けた。


「あーもー。ざわっとする!」


 ルシエルはふんっと私の頭に鼻息ふいた。


「ルシエル……いい加減にしろ。鼻息。」


 と、私が言うとふんっふんっ。と、頭に吹いた。


 なんなんだ。この幻獣は。


「なぁ? 瑠火。この“紅い土地”はなんだっけ? このレドニーか? 紅く塗られてんな。」


 愁弥は地図を見せてきたのだ。


 レドニーの街は紅く色がついている。この地図は、様々な色分けがされている。


 国の大きさや首都のある場所。聖国、神国。更に国境の国などだ。領地としても色分けで指定されている。


「魔物がでるぞー。そう言う意味だ。禁区だ。」


 と、ルシエルがそう言ったのだ。やっと。頭を上げた。


「あー。禁区か。ん? 街なのに禁区指定されてんのか?」


 愁弥は地図を見ながら、不思議そうにそう言ったのだ。首を傾げている。


「その街には“洞窟や沼、森、鉱山”とかがあるんじゃないのか? 魔物が好む場所だ。」


 ルシエルは愁弥の方に頭を向けた。


「ん? あー。あるな。“彷徨う洞窟”。なんか名前からしてヤバそーな空気だしてんな。」


 愁弥の声に私も地図を覗いた。街の奥の方だ。確かに、彷徨うさまよう洞窟と書いてあった。


「名前は後からつけられたものだろうな。魔物が棲んでるから、人間がつけたんだろ。人間は変な風に呼ぶ。」


 ルシエルは呆れた様な言い方だった。いや。偏見だと思うが。わかりやすくしているだけだろう。


「そうゆう場所は他にもありそうだな。」


 私はざっと地図を見てみた。街や村は紅くなっている場所が、かなりあった。


 多いな。意外にも。


「つーか。禁区のあるとこに住むってのも、何とも言えねーな。コッチじゃ……とーぜんなのかもしんねーが。」


 愁弥は少し顔を歪めていた。魔物がいる所に住む。そんな世界な訳ないか。愁弥の世界は。


「そうゆう場所にはちゃんと、“騎士団の監視所”がある。監視している。」


 ルシエルはそう言った。


「ふーん。交番みてーなもんか?」

「「こうばん??」」


 愁弥の声に私とルシエルは、ほぼ同時だった。聞き返していた。


 愁弥はフッと笑った。


「警察ってのがいるんだ。んー。コッチだと騎士団みてーなのか? いや。自衛隊っぽいよな。騎士団は。」


 じえいたい??


 私とルシエルの事などお構いなしで、愁弥はぶつぶつと言い出した。


「あ。“青年騎士団”だな。近いのは。」


 愁弥は首を傾げていたのだが、ふと。上げたのだ。


「愁弥の世界にも騎士団や、青年騎士団がいるのか?」


 私は聞いてみた。愁弥は地図を折り畳みながら、笑った。


「さすがにあんなワケわかんねー術は、使わねーけどな。似たようなのはいるよ。仕事が似てる。って意味な。」


 愁弥はそう言いながら、ブラウンの皮袋に地図をしまった。


「そうなのか。不思議だな。世界は違うのに、共通点が多い。」

「あー……そうだな。そうゆう意味では、アナログだけど受け入れやすいな。」


 愁弥は皮袋を肩に掛けながらそう言った。


「アナログ??」

「コッチの世界みてーなことを言うんだ。」


 私の問いに愁弥は笑っていた。なんだかその笑みは、優しかった。


 愁弥は聞いてもイヤな顔をしない。こうして応えてくれる。きっと……面倒臭いだろうに。


 聞く私も……私だが。気になる事は聞きたい性分はのだ。


「あ。そーいえばルシエル。」


 と、愁弥はルシエルに顔を向けた。


 愁弥は私より高いので……この頭の上での会話は、何とも不思議な感覚だ。


「ん? なんだ? 俺様は聞きたいことはないぞ。」

「ちーがう。アプラスだ。知り合いなのか?」


 ルシエルは時々……すっとボケた事を言う。愁弥はそれをとても面白いのか、いつも笑っている。


「知り合い……。」


 ルシエルは大きな首を傾げた。のしのしと歩きながら。


 なんか物凄く考えてるな。眉間にシワがよってるぞ。


「知り合い……。そうだな。そうなんだろうな。仲良くはないからな。」


 右に左にと首を傾げてそう言った。


「なんだそれ?」


 愁弥は呆れた様にそう聞いていた。


「なんと言えばいいのかわからん。ただ、戦争で王国に手を貸した。その時に共に戦った。」


 ルシエルはそう言ったのだ。やはり気難しい顔をしている。


「そりゃ“同志”って言うんじゃねーのか?」


 愁弥の声にルシエルは目を見開いた。


「同志? 違う。同じ志を持ってた訳じゃない。俺様は褒美が欲しいし、暴れたかっただけだ。アプラスは、好き好んで手を貸した。」


 ルシエルは……ひねくれ者だ。何故そこで、敢えて否定するのか。素直じゃない。


「あーそう。カワイくねーな。ルシエル。」


 愁弥もそう思ったのか呆れた様に、笑っていた。


「カワイクなくて結構だ! それに本当のことだ。俺様とアプラスはけして! 同志ではない! 目的が違う!」


 鼻息荒く強調したな。これはまた。


 頭の上で怒鳴るな。ルシエル。


「そのワリには助けに行ってたよなー?」

「あーうるさいっ! 助けに行ったのではない! 無様な姿を見たかっただけだ!」


 愁弥の冷やかしの様な声にますます……声を荒げてるし。


 苦し紛れとしか言えない。だが……性分なのだろうな。素直に認めたくもないのだろう。気になって助けに行くぐらいなのだ。


 ルシエルにとってアプラスは、同志と言うよりも、“友人”。そんな関係に近いんじゃないか。と、私は思っていたのだ。


「違う! 助けに行ったのではない!」


 ルシエルはなおも……そう言うと、そっぽ向いた。


 私と愁弥は顔を見合わせて笑ってしまった。このひねくれ者の姿に。


「素直じゃねーな。」

「ルシエルだからな。」


 私達はそんな他愛もない会話をしながら、レドニーに向かった。


 広い草原を。

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