第9話 オルファウス大陸>>港町エルデン
ーーアプラスは海に潜り、ルシエルは檻篭には戻ろうともせず、甲板で寝入った。
いつもなら声を掛け……“捕縛の檻”に入って貰うのだが……。
愁弥ではないが、ルシエルにそれを伝える事が出来なかった。
不貞腐れた顔で寝入ったのだが、今は……時折。深くため息をついていた。
眼は閉じられている。寝てはいないのだろうが、声を掛けるな。そう言っている様に見えた。
私は肩を掴まれた。
振り返ると愁弥がいた。まだ少し濡れたブロンドの髪。そこから覗くライトブラウンの瞳は、憂いていた。
「そっとしとこーぜ。あんなルシエルは、見た事ねーよ。」
心配。そんな表情だった。声を掛けたいのだろうが、それをするのを抑えている。そんな表情だった。
「そうだな。」
私はルシエルに視線を向けた。
「ねぇ? あれって幻獣よね? 召喚獣じゃないの? いつもは貴女の黒い球体にいる訳?」
そんな私に声を掛けて来たのは、あの女性冒険者だ。アクセルや商人から渡された布で、濡れた髪を拭いている。
船の動く甲板は、海風で煽られる。私はその風で大分乾いたが、彼女の髪は長い。
今もまだ艶めいていた。
「ええそう。召喚獣じゃない。」
ルシエルは召喚獣じゃない。契約はしている。血の契約だ。だが……私は召喚士ではないし、ルシエルも自由奔放だ。
アレを召喚獣と言うのは他の召喚獣に、失礼だろう。何しろ忠誠も律儀さもない。
「そうなの。不思議な関係ね。」
白い布を髪から降ろし、女性冒険者はそう微笑んだ。澄んだ瞳をしていた。私を見つめるその瞳は。
淡いインディゴカラーの眼。深みよりも澄んだ色。白く美しい素肌にとてもよく似合う。
美しい女性だ。
「あ。あたしは“リデア”。貴女は?」
「瑠火だ。」
名を伝えると彼女は笑った。
「ルカ? いい名ね。あたしなんて“野草”の名前よ。女神“ルカーナ”みたいね。」
え?
私は驚いたが
「ルカーナ? そんな女神がいんのか?」
聴いたのは愁弥だった。
「ええ。“生命の女神”。ルカーナは生命を司る女神なの。その名の通り“
微笑むリデアは女神の様に見えた。優しい表情だ。
「へぇ。女神ねー。ガチか。」
愁弥はそう言うと何やら考えこんでしまった。
彼が何を思っているのかは、気になるが……、今は放っておこう。
「リデア。貴女は何処に行くんだ?」
何となくではあった。興味が湧いた。共に戦いの場にいたから。かもしれない。
「あたしは“エルデン”よ。ちょうどエルデンで、海の魔物退治の仕事がある。って聴いたから、この船に乗ることにしたの。商人護衛でお金も貰えるしね。」
リデアは大陸の方に視線を向けた。大陸の横にはアスタリアが見える。
アプラスがいないので、悠々と横を通過出来る。ここから真っ直ぐ。そこに、国境の砦はあるのだ。
リデアはそこを見つめていた。
「魔物退治?」
聞いたのは愁弥だ。リデアは愁弥に視線を向けた。柔らかく笑う彼女は、
「あら。興味あるの? えっと……」
と、そう言った。
愁弥はそんなリデアを見ると
「
と、そう答えていた。
「シューヤ。よろしくね。“エルデン”は大陸行きの船が出てる大きな港町なの。あたしはそこから“ヤンバル”に行くつもり。」
甲板に座りこんだまま、リデアは話を始めた。柵に寄りかかり大陸から覗く国境の砦。その門壁の方を見つめていた。
ヤンバル……。エレスで聞いた名だ。船が襲われた。そんな話をしていたな。
「“ガディルの街”から来る筈だった商船も、消息不明。海の上は元々“禁区”だから、魔物は多いんだけど、ここ最近はちょっとおかしいわね。各国の海上騎士団も巡回しているけど、追いつかないみたいよ。」
リデアはそう言った。
澄んだインディゴの眼は、煌めく海面の光で美しく揺れる。
「ガディル……。その名も聞いたな。」
私はリデアを見下ろした。彼女は腰掛けているからだ。
「ガディルは大陸の向こう側にある港町なんだけど、北門近郊の海で消息が途絶えたらしいわ。」
リデアは私を見上げながら、そう言った。
アイスブルーの髪が、風で揺れる。線の細い髪だ。絹糸の様で美しい。
女性の不思議な色彩の長い髪を、こんなに見る機会はない。里の者たちは私と同じ色。漆黒だった。
「北門?」
愁弥がそう聞くと
「オルファウス大陸には、四つの国境の砦があるの。」
リデアは話をしてくれた。
オルファウス大陸には国境の砦が、東西南北の四ヵ所にあるそうだ。
南門が正門の事で、これから行く場所だ。
リデアの言う北門は、大陸の反対側。その付近にある港町。ガディル。そこからエレスに向かう筈だった商船が、襲われたのだそうだ。
「ヤンバルは何処にあるんだ?」
私がそう聞くと
「“カサンドラ大陸”よ。積荷がダメになっただけで済んだけど、エレスに着た時はボロボロだったみたいね。」
リデアはそう言いながら、海を眺めたのだ。
「ミントスでは魔物に魔獣。海の上でも魔物だらけ。何が起きてるのかしらね。この世界に。」
と、紺碧の海を見つめながらそう言った。その横顔がとても印象深かった。
何処か強い意志を持つ。そんな表情をしていた。
「でも。あたし達はこうして“仕事”になるから、そこは助かってるけどね。この護衛も保険みたいなものだし。」
リデアはそう言うと立ち上がった。手摺に捕まり、海を眺めたのだ。
「保険?」
私が聞くとリデアは笑いかけてくれた。
「ええ。そうよ。商人たちの保険。さっき言ってたでしょ? アプラス退治は認められていない。って。それに彼等には悪いけど、アプラスがこの近海にいるお陰で、魔物も寄り付かない。わかってはいても、保障がないから、護衛を頼むのよ。彼等は。」
そう言ったのだ。
なるほど。アプラスは魔物除けになっているのか。不思議な話だな。商船にしてみれば、厄介だが……魔物に襲われる頻度は減った。
それに……一つ。気になる事があった。
「アプラスは人間を殺すのか?」
私にはとてもそうは見えなかった。確かに襲っては来たが、寄せ付けない。それだけの行動に見えたのだ。
「アプラスに転覆させられた商船の話は、聞いた事はないわね。ただ、海路を遮断されるから商人達にとっては、どうにかして欲しい存在。それは変わらないと思うけど。」
やはり……そうか。アプラスは、アスタリアに寄せ付けない。それだけの為に出て来たのか。
「海国がアプラス討伐指令を出さないのも、アスタリアの事もあるけど……人を殺してないから。そう言う理由もあるんだと思うわ。あ。こんな事言うと……商人達に怒られるわね。彼等は困ってるんだから。」
リデアは甲板で話をしている商人達に、視線を向けていた。
オルファウス大陸の海国とは、海に面している国の事を言うそうだ。それぞれの国境の砦。その付近にある国がそれに当たる。
アクセルの話では、そこに“海上騎士団”がいるそうだ。彼等は海を巡回し魔物討伐、更に遭難船の救助、捜索、国境警備もするそうだ。
「あ。砦ね。」
国境の砦。それは見えて来た。近くで見ると大きな門壁だった。
監視塔が並び水門が開いている。まるで、城塞への入口の様に見えた。
巨大な門壁だ。門壁の側には港がある。大きな船ばかりが目立つ。あれが……“
この商船とは大きさも、帆の数も違う。どんな荒波にも負けなそうだ。
「アレがバトルシップってやつか? リデア。」
どうやら愁弥も気になったらしい。
「ええ。そうよ。国境の砦に停泊して、警備や巡回に行くの。大陸を壁で囲わなくてもいいのは、彼等が監視しているからよ。」
リデアの声に私は確かに。と、思った。大陸の国境は大きな壁に、遮られていた。
だが、大陸は門壁で囲まれてはいない。何処からでも上陸出来そうだが、この監視塔と海上騎士団。彼等がいるからその必要が、無いのだろう。
「へー。けど海賊船みてーだな。軍艦かと思ってたけどな。」
愁弥がそう言うとリデアは、笑ったのだ。
「
リデアは愁弥をくすくすと笑いながら、見ていた。
一方の愁弥はきょとん。としていた。彼に悪気は無い。単に率直な意見を言っただけであろう。
開放された水門。そこには監視の為の騎士がいる。陸の門番だからか鎧を着ていた。だが鮮やかな蒼い鎧だ。とても目立つ。
手には大きな槍を持っている。それすらも、蒼い矛先。商船を見据える門番は雄然としていた。
門番の前には橋が掛かっている。そこに船が停まると、アクセルが降りたのだ。
なるほど。こうして対面して確認するのか。
「通行証はつけてるな。」
「ええ。カース島からです。」
商人たちもそうだが、アクセルも胸元にはシラークタイト王国の通行証を、つけている。私もそうだが、銀のプレートネックレスだ。
シラークタイト王国通行証と、プレートには文字が彫られている。その下に王国の国旗にあった、“盾”の紋が彫られているのだ。
「よし。通っていいぞ。」
「ありがとう御座います」
やり取りは簡単なものだ。これなら商人と手を組めば、ラクに大陸の行き来も出来そうだな。
私達は幾つの国境を越え、大陸を渡り歩くかわからない。その度に通行証となると……面倒そうだ。
大きな海門を潜り抜けると、湾が広がる。そこには港が幾つも見える。
大きな湾に町が集まっているのがわかる。大陸の中心。商業の集まりと言うのが、よくわかる。沢山の船が港には停泊していた。
「ここが大陸の入口だ。」
私達が停まったのは、その中でも大きな港町だった。完全なタウンだろう。エルデン。その街であった。
アクセルは港に降りると、私に茶色の布袋を手渡してきた。
「これは?」
「報酬だ。アプラスを追い払って貰ったからな。それに、また頼むよ。」
掌にずっしりと重みがある。
「ありがとう」
私がそう言うとアクセルは、笑った。
「気をつけてな。」
そう言ってアクセルは、船員たちの方に行ってしまった。
「瑠火。愁弥。また会いましょう。」
リデアが駆け寄ってきた。
「ヤンバルだったな? 気をつけて。」
「ええ。貴女たちもね。」
こうしてリデアはヤンバルに向かって行った。私達は、ここから聖国アスタリア。そこに向かう。
「肉買えそうか?」
ルシエルは悠々と歩いている。それに……やっと話しかけてきた。
「スゴい……。こんなに入ってるとは思わなかった。」
私は布袋を開けて驚いてしまった。クレムの金貨だ。それが、沢山入っていたのだ。
「クレムだっけか?」
「ああ。」
愁弥が袋に手を突っ込むと一枚。取り出した。
「クロスタウンでも思ったけどさ。すげー綺麗な金貨だよな。女神みてーな絵も掘ってあるし。」
眺めながらそう言ったのだ。
「アルティミストの“創世女神”だ。“アルティミスト”……この世界の名は、その女神の名がつけられたんだ。」
私が言うと愁弥は女神の絵を、見つめていた。翼を広げた美しき女神が、降り立った所。その絵が金貨の表だ。
「あー。なるほどな。だからアルティミストって言うのか。」
愁弥は金貨の裏側を眺めた。
裏側はアルティミスト通貨の証明と、文字が彫られている。
「754てのはなんだ? 瑠火。」
「年号だ。聖神暦754年なんだ。」
愁弥の声に私がそう言うと
「754年……色々あった。」
ルシエルがとても感慨深そうにそう言った。
「へ? まだそんなモンなのか? 俺のいる世界はとっくに二千年越してるぞ?」
愁弥がとても驚いてそう言ったのだ。
「二千年? それは凄いな。」
「創世したのはもっと前だ。その年号は、神族が支配してからつけられたものだ。」
ルシエルはそう言ったのだ。
「ああ。そうゆうことか。ん? 年号つーか、この聖神暦ってのは変わんねーのか? たしか。神ってのは追放されたんだよな?」
愁弥がそう言うと
「追放はされたが、神は神だ。創世したのも女神アルティミストだ。世界の誕生は、神がいたからだ。それにこの世界を統治する王はいない。世界は神のものだと理解している。」
ルシエルはそう言った。
「なるほどな。けど……その神族ってのが、この世界を支配しだした。ってのは、よくわかんねーな? 元々が神のモノなんだろ?」
愁弥はピンっ。と、金貨を指ではねた。くるくると回りながら飛ぶ。
それをぱしっと掴んだ。
「世界は神が創り出した。神が統治しているもの。だが……そうではなくなった。人間、多種族。神族は世界で自由奔放に生きる者達に、再認識させたんだ。」
ルシエルは私の隣でそう言った。
「アルティミストが誰のものか。誰のお陰で生きていられるのか。それをわからせるつもりだった。その為に神族が世界を支配している。その象徴に年号を“聖神アルカディア”に、あやかってつけたんだ。」
ルシエルのその声は何処となく……沈んでいた。何となくだが、神族と多種族、人間との混沌。それらの始まりだったのかもしれない。
「それが未だに変わんねーってことか。」
愁弥は金貨を袋に入れた。
私は袋を閉じると、愁弥に渡した。彼が持つからだ。
何故かわからないが、そう言われた。
『アブねーから。』だったか?
よくわからない。
「俺のいる世界の年号と、意味が違うんだな。」
愁弥は自分の革袋に金貨袋をしまいながら、そう言った。
「愁弥の世界は違うのか?」
「ああ。違うよ。天皇が変わると年号も変わるんだ。」
天皇……。それは王なのか? 日本と言う国だったな。愁弥の世界は。
「王なのか?」
「いや。王ってのはいねーんだな。コレが。日本の象徴って言うのか? このハナシはすげ〜長くなるからやめよう。昔のハナシからするしかねー。俺もよくわかってねーし。」
愁弥はとても困った様な顔をしてしまった。どうやら“この世界の国”と、王。それらとは何か違うのだろう。
「いつか聞かせてくれ。」
「え? まじで? あー。悪い。歴史はニガテなんだよ。俺。他の事は教える。“なんでも”。」
ん? 何故……そこを強調したのだ?
何か気になるが……。
「苦手か。」
「そーなんだよ。眠くなるんだな。コレが。」
愁弥は視線を上に向けていた。思い出しているのだろうか。横顔があどけない。何だかとてもカワイイと、思ってしまった。
苦手な事がある。それは私と一緒だからか。
エルデンはやはり大きな港町だった。街はエレスよりも広く大きい蔵ばかりだった。
更に船員や商人たちの多さも比べ物にはならない。
大きな通りが人で埋まっている。それに積荷を運ぶ荷車。人の手で引き押して運ぶものが、やたらと多い。
どれも荷が溢れそうな程、乗っている。
「こんだけデケー街なのに、帝都じゃねーんだな。“マナナン”って言うのが、帝都なんだと。」
愁弥は私の腕を引きながら歩いている。
どうにも私はこの人の多さに弱い。流されそうになるし、ぶつかりそうになる。それを愁弥が、避けてくれているのだが……。
ルシエルはお構いなしだな。周りが避ける。
「帝都もさぞかし大きそうだな。」
「後で行ってみるか?」
帝都か……。
私達がそんな話をしながら、街の中を歩いている時だった。
「瑠火! 愁弥! おお。犬っころ。」
と、声を掛けて来た男がいたのだ。
「クロイ??」
私はその声に振り返った。
そこにいたのは、クロイだった。大柄な男だ。山男並みの。アクセルとは異なる風貌で、商人とはとても思われないだろう。
肌も浅黒く焼け、鍛えられた体格。さらに茶の毛はいつもボサボサだ。襟首まであるのが、とてもむさくるしい。
本人は気にはしていない。今日は無精髭が生えている。こうしていると野生だ。本当に。
それにこのグレーの眼。野生の狼みたいな鋭さがある。
毛皮を着てないからまだ、軽装で狩人みたいだが、これで毛皮を着ていると山男だ。
「犬っころ? 俺様はルシエルだ。」
大きな巨体で睨まれても目の前の男は、ガハハと笑う。
相変わらずだな。この粗野な感じは。
「いやー。まさかここに来てるとはな。何でこんな所にいるんだ?」
クロイは私達をとても驚いた様に見つめたのだ。
「クロイ。時間はあるか? 色々とあったんだ。」
私はクロイにこれまでの経緯を、話した。どちらにしても、クロイに出会えたのは良かった。
愁弥の神剣の話が出来る。
✣
「そうか。」
クロイは黙って聞いていたが、話が終わると一言。そう言っただけだった。
私達は街の中だと人の邪魔になるので、歩きながら話をした。
「神剣のことだ。クロイ。これは一体どうしたんだ? まさか盗んだのか?」
私がそう言うとクロイは、ぽりぽりと頭をかいた。
「ここで会ったのも縁だな。俺も行く所だったんだ。一緒に行こう。」
クロイのその言葉に、私と愁弥は顔を見合わせた。
クロイと再会しーー、私達は聖国アスタリアに向かうことにしたのだ。
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