第8話 海の守護神アプラス
ーー聖国アスタリア。
オルファウス大陸の端に位置する国は、神殿を中心に聳えていた。
だが、その姿は崩壊が目立つ。
それでも大陸の端に白き街並みは拡がっていた。崩壊はしていても、大陸の中では大きな国の一つ。
それがわかるほど、大きな街並みだ。
「国境の砦に行くには……私らの様な船は、ここを通るしかないのだ。国境の砦付近の海流が荒れる。こんな船は一溜りもない。」
アクセルは隣でため息交じりに、そう言ったのだ。
「ああ。だから迂回か。あれが“国境の砦”ってヤツか。」
アクセルの声に答えたのは、
ここからでも見える。
大陸の中心。そこに大きな海門が見える。門壁に囲われた物々しい砦。
あれが国境の砦なのだろう。
確かにあの位置ならば、聖国アスタリアに近づく事なく行けそうに見える。
今、通ってるのはわざわざ遠回りする海路だ。
「この時期は特に荒れる。高波と突風に煽られる。暖流と寒流がぶつかる位置に、国境の砦がある。」
アクセルは国境の砦を眺めながら、そう声をもらした。
その横顔は何とも恨めしそうに見えた。
「寒流と暖流……。なるほどな。だからわざわざこの海路を。」
私はそう聞いた。
「激しいうねりと高波。更に強風。貴族の船……“
アクセルの隣にいる船員。若い男はそう言った。
「あー。そうゆうことか。」
愁弥は海を見つめる。
船は大陸に近づくと少しスピードを、緩め始めた。
「
アクセルは手摺に捕まり、近づく大陸を見つめていた。
「そこに魔物も現れて……海の安全は崩壊ですよ。アプラスに関しては“海国の騎士団”も、手が出せないんです。」
まるで、お手上げ。とでも言いたげな船員の声だ。
「なんかまた……ややこしそうだな。」
少し苦い顔をしたのは、愁弥だった。
つい最近。ミントス王国のいざこざを、垣間見たからだろう。
私もそれは思った。
“海国の騎士団”と“お国事情”が脳裏に浮かんだのだ。
「聖国アスタリアと“協定”があってな。特にオルファウス帝国は、この前の戦争で“和解”をしている。帝国の“海上騎士団”は手が出せない。他の騎士団も同じだ。」
アクセルはそう言うと、私達に視線を向けた。
「戦争をする事になるからな。」
そう言ったのだ。
愁弥はふぅ。と、息を吐くと
「つまりだ。他の国の海上騎士団とやらも、手が出せねーから、“冒険者”に護衛を依頼してるってことか?」
そう聞いた。
愁弥はやっぱり苦い表情だ。
「そう言う事だ。本当なら退治を願いたいところだが、“報酬”が出ない。魔物退治となると、海上騎士団率いる海国から授与されるが、“アプラス退治”は認められていない。」
アクセルはとても深いため息をついた。
するとそばにいる女性冒険者が、口を開いた。
「商人達からは“護衛”ってことで、報酬を貰う契約をしてるの。退治をするとなると、聖国アスタリアが絡んでくるのよ。」
アイスグリーン……白碧。不思議な色合いをした髪だ。
女性は腰に手を充ててそう言った。
小柄ではあるが、長い剣を二本。腰に挿している。この船に乗っている冒険者。その中では、一番“光る人”だ。
「またそりゃ……面倒だな。」
「……こんなのばっかりだぞ。愁弥」
愁弥とルシエルの愚痴である。
同感だ。
「船賃を取らない代わりに、あわよくば……“退治”して欲しい。そう言う事だったんだな。アクセル。」
私はそう聞いた。
アクセルはとても気まずそうな顔をした。
「いや。騙すつもりは無かったんだ。それに腕が立ちそうに見えたしな。あわよくばだ。」
気まずそうではあるが……困っているのは、本当の様だ。
アクセルの後ろにいる船員も、とても懇願する様な眼差しを向けている。
ふぅ。
私の口からは息が零れた。これはため息だ。
「通りすがりの“旅人”なら、お国事情とも縁が無い。それにどうも“シラークタイト王国”と繋がりがありそうだ。面倒事になったとしても……コッチで何とかするだろう。」
私がそう言うとアクセルの表情は、固まった。
「お嬢さん。心が読めるのか?」
と、すっとぼけた声が返ってきた。
固まったのは……驚いていたのか。全く。困った人だな。
「読めない。だが、何となくわかる。そう言う事なんだな?」
悪気の無いのがわかるので、私は逆に呆れてしまった。
「頼むよ! このとーり!」
ぱんっ!
アクセルは両手併せると拝みだした。
「さっきも言いましたけど、海路断たれると厄介なんですよ。時間も掛かるし……船に乗り込む船員も、減る一方。商売になんないんですよ。」
そう言ったのは船員だ。
商人お付きの船員も、これが仕事なのだろう。船を出すとなると人手がいる。
それはこの船に乗り込む船員達を見たので、何となくわかる。
操縦士から積荷運びの者たち。更には船の動力。それらを動かす者たち。
一隻の商船でも多くの船員達が、乗船している。彼等がいて船は動き、安全な海旅が成り立つのだろう。
「近づいて来たぞ」
海を眺めていた商人の声だ。
船は大陸の手前。聖国アスタリア付近に差し掛かった。
停止するのか……減速していた。
やがて……その者は姿を現す。
商人……アクセルの言う通り。アスタリアに近づくと、現れたのだ。
大きな水飛沫をあげながら、蒼き海の守護神は現れたのだ。
まるで、聖国アスタリアに近づく者を拒む様に。
立ち入る者……全てを許す気配がない。
堂々と海の上に浮かぶその姿は、その名の通り……守護神そのもの。
蒼い身体からは海水が流れ落ちる。この商船など、叩き割ってしまいそうな程の大きな尾。
くるり。と先が丸まり“せっかい型”だ。
尾は分かれてはいない。台形そのままにぴしゃん。と、海水を叩く。
水飛沫が飛ぶ。
船の前に立ちはだかるアプラスは、ゆらゆらと揺れる海面を尾で何度も叩く。
それだけで波が起きる。
船は波の波紋で揺れる。
「デケーな。やっぱ。」
隣で愁弥がそう言った。
高さがあるからか、ルシエルよりも大きく見える。
蒼き守護神は神々しく見えた。
「見て! 何か近づいて来てる!」
女性冒険者の声だった。
アプラスの方を指差したのだ。
それは海面に浮かぶ黒き影たち。商船に向かって泳いできていた。
それも何体も。
うようよとうねる様な泳ぎ方だが、速い。
「何だ?」
そう海面を覗きこんだのは、アクセルだ。
この様子だと知らない存在なのだろう。
商船に近づくとそれらは、飛び上がった。
「あ? アザラシか??」
声をあげたのは愁弥だ。
船に飛び乗って来たのは、数体の怪魚だ。アプラス同様の蒼い身体に、黒い腹。
尾もくるりと丸まっている。
甲板にその者たちは飛び乗ると、尾で器用に立った。
身体はアプラスより小さいが、男たちと同じ程度の体長だ。
私よりはデカい。
ペンギンの様なヒレのついた怪魚だった。まるで、アプラスの小型版だ。よく似ている。
「アザラシにしては……顔がクジラだな。」
愁弥は甲板に並ぶ彼等を見て一言。
どうにも緊張感がない。目新しい物を見て、好奇心が勝ってしまうのか。
「アプラスの“お憑き”だ。」
ルシエルがため息交じりに、そう言った。
甲板は歯を剥き出しにして吠える様に、口を開く怪魚たちに、船員も商人も逃げ惑っていた。
喰い付かれそうな歯だ。
「お憑き?」
「子供か?」
子供? その発想はまた斬新だな。愁弥。
「手下だ。瑠火。コッチは何とかしろ。俺様はアプラスをどうにかしてやる。」
ルシエルはそうは言っているが、何だか乗り気ではなさそうだ。
さっきは牙むきだしで、唸っていたんだが。
「ルシエル。もしかして……“知り合い”か?」
私は檻篭に手を掛けながら聞いた。檻を開ける。
「別に」
途端に飛び出す幻獣。何だか不貞腐れた様な声だった。
黒き大きな狼犬は船の上で巨体を晒す。アクセルがとても驚いていた。
「あれま。デカいな。随分と……」
だが、すっとぼけた声だ。
ルシエルは飛び出すと海の上に向かった。海面を走るが、まるで浮かんでいた。
水に触れる事なく駆けて行ったのだ。
✣
対峙する。
紺碧の海の上で幻獣は。
黒く流れる様な毛に覆われた幻獣ルシエル。赤き炎に似た毛が混じる。
更に紫色の煌めく宝石の様な眼。その鋭い眼差しは、蒼き幻獣アプラスに向けられた。
トサカの様に突き立つ赤い毛混じりのたてがみ。海風に揺られ頭を低くする。
海面にまるで浮かぶ様に立ち、身を屈めアプラスを睨みつけていた。
「堕ちたな。海の守護神。」
ルシエルの口から吐かれた言葉。その声は低く響く。獣独特の唸る低い声だ。
ルシエルを見据える蒼き宝玉に似た眼。細く小さな眼だが、目の前の幻獣を強く見据える。
「緊縛された幻獣に言われたくない」
聡明そうな声ではあるが、その口調は強い。青年男性の声に似ている。
「神の国の使者のつもりか? それとも人間に飼われる召喚獣に、成り下がったか?」
ルシエルの前足。長く鋭い爪が海面で煌めく。
「召喚獣を“神の遣い手”。召喚士を“神の申し子”。そう云われているのを知らんのか?」
少し角張った頭。滑らかな肌は光輝く。アプラスは、長い羽の様なヒレをバタつかせた。鳥が羽ばたく前の様に。
「そんな事を思ってるのがまだいるとはな。遠い昔の話だ。」
ルシエルは馬鹿にした様に、鼻を鳴らした。まるで笑う様に。
「封印されし哀れな幻獣。禁忌の島で生き残りの“厄災者”と、傷の舐め合い。その果てが“お供”か。笑えるな。」
アプラスもまた馬鹿にする様な物言いであった。蒼い眼が硝子の様に煌めく。
大きな口元はにたり。と、上がる。
「傷? そんなものはない。俺様も瑠火も傷などついていない。あるのは“生きること”。それだけだ。」
ルシエルは嘲笑う様なアプラスを睨みつけていた。一時も視線を反らさない。
「目的は違えど生きている。それは私も同じだ。お前にどう思われようと、私も生きている。」
「人間に飼われる事が生きているだと? 意志の無い存在は、“生かされている”。そんな事も忘れたか?」
お互いの言葉は強い。それは睨み合いをも、強くさせていた。
相容れない。それがわかった瞬間でもあった。
アプラスは両翼の様なヒレを広げた。その背には大きな波が、湧き上がる。
高波が彼の背に飛沫を上げて立ち昇る。
ルシエルはアプラスの体長を雄に越える高波に、身構えた。
「“
それは大津波であった。
アプラスの背に湧き上がった高波は、強大な津波となりルシエルに迫ったのだ。
蠢く波は襲いかかる。
ルシエルは頭を上げると、
「“
ひと吠え。
大きな黒い円球がルシエルの頭上に、出現する。
大津波と円球の衝突。
津波は割れる。衝突した円球で海面に、散らばる。
大きな水飛沫が上がる中で、紫色の眼と蒼い眼はぶつかる。
「“
海水の光線。それはまるで灯台の光の様だ。ルシエルに向かって突き抜ける。
「“
ルシエルは口を開き黒き波動を放つ。エネルギー波は、一線の海水を打ち砕く。
衝突するお互いの力に、幻獣たちは顔を渋めかした。
互いに一筋縄ではいかない。そう思っている様な顔であった。
✣
甲板ではアプラスによく似た怪魚たち。
私も愁弥もそれを前にしていた。
更に女性冒険者。
彼女は剣を抜いた。双剣使いの様だ。
長い剣ではあるが…レイピアの様に細い。
「とにかく。コイツらを倒さなきゃダメってことね。」
長い髪ーー、美しく煌めくアイスグリーン。腰元まであるその髪は、風に揺れる。
美しい女性だ。
「退く気は無さそうだ。」
私は腰元から剣を抜いた。短剣より少し長めの双剣。
アプラスの使い。と言う事になるのだろうか? 彼等は長いヒレをばたつかせ、まるで威嚇している様だった。
と、一勢に鳴いたのだ。
獰猛そうな歯を見せ大口開けて、鳴き始めた。不思議な事に鳥の鳴き声に似ていた。
「なんだ? カラスの合唱か?」
と、愁弥がそう言った。
ああ。カラス。似ている。確かに。
とても納得してしまった。
何かを呼んでいるのか? それとも……。
私がそんな事を考えている時だった。目の前の怪魚達の口が光り始めたのだ。
これは“波動”か?
私は煌めく蒼き光。
それを前に一歩前に出た。
「“
それらは一勢に解き放った。
光線だった。
「“守護の壁画”」
私が放ったのは守護の囲いだ。
白い光に覆われた壁だ。私だけではない。女性冒険者、愁弥、更に他の冒険者たち。
それらをぐるっと囲む壁を出したのだ。
光線は壁に阻まれ遮られる。
「瑠火……。こんな事もできんのか?」
驚いていたのは愁弥だった。
「ああ。守護の発動の二段階だ。私の術は五段階ある。」
誰にも話をした事はない。
自身の術は己の弱点。語るな。と、言われてきたからだ。
「まじか……。瑠火ってすげーんだな。」
愁弥は光線を防ぎ、消えてなくなる壁を前にそう言った。
凄くはない。けして。
呪われた力だ。特異と言うのはそうゆう事だ。
クェェッ……と、怒りに満ちた鳴き声が響く。怪魚たちは怒りを露わにしたのか……、顔が赤い。
心做しか。
「何か来そうね。」
女性冒険者はそう言った。
風に靡くアイスグリーンの髪から覗く右耳。そこには、ローズピンクの珠石がきらりと光る。
美しい色で思わず見てしまった。
けたたましく鳴く怪魚たち。
ばたばたと羽の様なヒレを動かし、並ぶ彼等は何故か小躍りの様に、丸いお尻を振った。
横揺れする身体にお尻。
なんだ? これは……ふざけてるのか?
私はペンギンのよちよち歩きを、思い出してしまった。
尾で立ってるのだが……動きがそれに、似ている。
「何する気だ?」
どうやら愁弥も不可思議らしい。
奇妙なダンスだ。
キェェッ!
と、一勢に大鳴きしたのだ。一声のその叫び声。
「“
怪魚たちは私達めがけ一気に、水の噴射を放った。
「“旋硫”!!」
放水の様な噴射。
私は地に手を当てた。
風は巻き起こる。
無数の竜巻が地から放水めがけ、噴泉の様に湧く。
竜巻が噴射を貫く。
「え? スゴいんだけど……」
女性冒険者の声が聞こえた。
凄くはない。
水飛沫をあげて噴射は封殺される。風の発動は、その為の術でもある。
敵の攻撃を封殺するのが目的だ。彼等を攻撃する訳ではない。
守りの術だ。
「“
雷の稲妻。無数に落ちるその閃光。怪魚たちの頭上から降り注ぐ。
怪魚たちの身体はまるで、水のヴェールの様なものに包まれていた。
「シールドか?」
蒼い水のヴェール。それに包まれた怪魚たちは、どうやら雷の発動を、受け流してしまったらしい。
「一気に行けそうね。」
そう言って駆け出したのは、女性冒険者だった。更に愁弥もだ。
怪魚たちの動きは止まったからだ。
「俺たちも続け!」
他の冒険者もだった。皆、剣を片手に怪魚たちに突っ込んだ。
甲板にいる怪魚たちと、私達の戦い。それにまるで釘を刺すかの様に、大きな波が船に降り掛かった。
「え?」
女性冒険者も他の冒険者も……そして、私も愁弥も海水を被った。
振り返ったのは女性冒険者だった。
船が揺れる程では無いが、まるで上から水を落とされた。
そんな感じだったのだ。
「もう良い。子らに手は出すな」
声が響く。
「子供なのか。やっぱ。」
愁弥の声が聞こえた。
拘っていたんだな。そこに。
「瑠火。話は終わった。」
甲板に戻ってきたのは、ルシエルだった。その横にはアプラス。
「クェェッ! クェェッ!」
アプラスの姿を見ると怪魚たちは、一気に鳴きだした。
それもまるで雛鳥の様に。ヒレをばたつかせながら。
甲高い声は嬉しそうに聞こえたが、直ぐに彼等は海に飛び込んだ。
「ルシエル」
ルシエルは少し表情が暗い。
だが、
「行けばわかる。聖国アスタリア。」
そう言うと甲板に座り込んだ。
大きな身体が横たわる。フセをしてしまった。
「通ればいい。」
アプラスはそう言うと、海に潜ってしまった。
「なにがあったんだ? なんかおかしくねー? ルシエル。」
愁弥の心配そうな声が聞こえる。
確かに。
「わからない。」
アプラスと怪魚たちがいなくなった船は、動きだす。
オルファウス大陸へ。
私達は聖国アスタリアに向かう。そこに行けば、アプラスの言動もわかるであろう。
封鎖された国ーー、そこで何が起きているのか。
それもわかるだろう。
ルシエルは目を閉じていた。
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