第6話 国境の砦>>港町エレス
ーー王国ミントスから国境を越える為には、ピクスの森を抜ける。
その先に国境の砦と呼ばれる“関所”がある。
広い草原を歩きこのピクスの森に入ったのは、ミントスを出てから直ぐだった。
森は深い。だが道は切り開かれて作られていた。まるで騎士団たちが通る為の道だ。
地面は土だが整備されている。非常に歩きやすい。なだらかなのだ。
「こんな広いのかよ? ハクライの森とは全然違うな。」
愁弥も驚いていた。
「そうだな。ダグラス達もこれなら馬を走らせ、ラクに駆け抜けられるだろう。」
私はこの道を通り帰還したであろう、騎士たちの事を思ったのだ。
「戦争の為に作られたんだ。でも騎士団にとっては、有り難いだろうな。」
さっきからずっと……骨肉をしゃぶっているルシエル。燻製なのだが、ミントスからずっとだ。
いちお答えてはいるが、その顔は肉に夢中。
いつもならとっとと食べてしまうのだが……齧りついたかと思うと、ぺろぺろと舐める。味わっているのだ。
これは、街にいた女魔道士から貰ったものだ。お礼に。
「ん〜うまうま。う〜ま。うまはパッカパッカ!」
「「はぁっ!?」」
あまりにも浮かれた声に、私と愁弥は思わず声を、あげていた。
よっぽど嬉しかったんだな。ルシエル。
満足そうに前足で抑え舐める顔も、上機嫌だ。
「ふんふ〜〜ん。」
鼻歌まで飛び出した。
浮かれ過ぎだ。ルシエル。
✣
ピクスの森を抜けると、門壁は現れた。茶色の頑丈そうな壁だ。
これが国境。森の先に幅かる壁はどこまで、続いているのかわからないが、容易に越えられる高さではない。
ミントス領からここに来るまでは、一本道。森を抜けるしかない。
この先に行くのも、この門扉を潜らなくては行けない。
「すげーな。」
要塞への入口。そんな壁を前に、愁弥は声をあげたのだ。ほぇぇ。と、目を丸くしていた。
「国境越えですか?」
大きな木の門扉だ。その脇に建つ監視塔。そこの小窓から、青年が顔を覗かせた。
「ああ。」
銀の鎧を着た青年は、塔の中から出てきたのだ。ここで警備をしているのだろう。
更に上には騎士がいる。
周りを見渡せる程の高い塔の上だ。そこで、長い筒の様なものを持ち、辺りを見ている。
あれは遠目の効く物なのだろうか?
「王国通行証をお願いします。」
ブロンドの小柄な青年がそう言うと、愁弥が通行証を手渡した。
ダグラスと同じ……鎧だ。光に当たると紅く煌めく。だが、この青年は背はそこそこだが、とても頼りなく見えてしまった。
私と変わらない背格好。それに短い髪が幼く見せる。大人しそうなその顔立ちを。
愁弥から受け取った通行証を、隅々まで眺める。
青年の蒼い眼は少し薄いが、輝きが綺麗だ。光の反射で紫にも見える。
「ミントス王国通行証ですね。許可します。」
笑うと更に幼く見える。私達より若いのかもしれない。
「ありがとう」
通行証を受け取る愁弥の横で、私がそう言うと、少年……であろうな。
塔の小部屋に戻った。そこで、プープーと、金色のツノ笛を吹いたのだ。
ガガガ……
物々しい音をたてて門扉が開く。
それはとても重そうであった。
ゆっくりとではあるが、国境の門は開いたのだ。
だが、大きな門扉を開くと鎖を引っ張る男達の姿が見えた。
大柄だ。それもかなり大きな男たちだ。
伝承で聞く……“巨人族”か?
いや。それにしては小さいか。私達の倍はありそうな身体だ。銀の鎧と兜。ツノを施した兜は、戦士の象徴の様に見えた。
「“巨人族”か?」
私は黒い鎖を引き、門扉を開ける男達を見ながら、少年にそう聞いた。
二人なのだが、この見上げる程高く頑丈そうな門扉を、開けてしまった。
それも軽々と。
「いえ。
ヴァルナ族……。それは聞いた事がないな。はじめてだ。
「おい。嬢ちゃん。開けてやったんだ。通るなら早くしろ。」
赤い髪を伸ばした男性がそう言った。
ん? このダークレッドの眼は、見た事があるな。
ああ。ダグラス。彼の眼に似ている。
「でけー。」
二メートル? いや。彼等はもっとありそうだ。愁弥よりもかなり高い。
ダグラスは愁弥よりも大きかったが……、ここまではなかった。
「すまない。ありがとう」
私達はヴァルナ族と言う男性達の、横を通る。いや。とても迫力のある門番だ。
これなら無理矢理、通ろうとはしないだろう。
「お気をつけてー。」
少年の声が聞こえる中で、男達は門扉を閉めた。太い腕で押して閉めたのだ。
何という力だ。
足の筋肉も尋常ではない。白いズボンの上に着けてる
彼等は胴体だけにしか鎧をつけていない。その為、腕も良く見える。
背中の斧がとても小さく見えてしまう。
「まじか……」
愁弥は押して閉めてしまった彼等を前に、呆然としていた。
「ヴァルナ族は産まれつき大きいんだ。アルティミストでも、謎の種族の一つだ。あいつらは、“戦士の子”とも言われてる。小さい頃から戦う事を教わるんだ。」
ルシエルはもぐもぐと口を動かしながら、そう言った。
「……戦士の子。」
私は門の前に立つ男達に、再度目を向けてしまった。
二人向き合い何やら話をしている。それだけでも、威圧感が強い。
「さっきのギガースだっけか? それはなんなんだ?」
その声に私は、ルシエルに目を向けた。
「
ルシエルはそう言った。
私もそれは聞いた事がある。とても大きな種族だと聞いた。
「へー。なんか色々いんだな。あ。ドワーフと、精霊ってのもいたもんな。そーいえば。」
愁弥はどうやら島で会った、ドワーフのブラッドさん。樹氷の精霊の事を、思い出したみたいだ。
「私も……聞いた事はあるが、実際に会った事のない種族が、たくさんいるんだ。旅をしていれば、こうして会えるんだな。楽しみだ。」
「ギガースなんかに会っても良い事ないぞ。瑠火。奴らは凶暴だ。」
ルシエルは肉を抱えて寝る体制だ。
「ま。会ったことねーもんに会える。ってのが、いいんだろ。」
愁弥がそう笑った。
巻き込んだカタチにはなっているが、嘘でもそう言ってくれるのは、有り難い。
愁弥が元の世界に帰る方法。それを探す旅でもあるのだ。この旅は。
「はいはい。勝手にやってくれ。俺様は寝るから。どうぞ。ごゆっくり。」
ふんっ。と、鼻息吹くと目を閉じた。
なんなんだ? さっきまで浮かれてなかったか? 激しいヤツだな。
✣
港町エレス。
国境の砦を越えると、程なくしてその街は現れた。街の向こうに広がるのは、海だ。
草地に囲まれた大地。その向こう側で、太陽に煌めき広がる大きな海原。
私はそれを始めて見たのだ。
ここからは眺めるだけしか出来ないが、何と壮大なことか。
どこまでも続く果てなき地平線。水鳥たちが一斉に空を駆け抜け……紺碧の色をした、水面は風に揺れている。
これが……。生命の還る場所。
「海だ……」
エレスの手前で、私はその景色に立ち止まってしまった。想像以上に美しいものであった。
「港の方に行けば、近くで見えるんじゃね? 瑠火。俺もこんな澄んだ海は見たことねー。」
愁弥の声だった。
見れば、彼もその瞳を輝かせていた。
仄かに香るのは潮の気配。これが海風。
「でも見た事はあるのだろう? 愁弥の世界の海も……同じか?」
「同じだ。けど、こんなに綺麗なのは始めて見た。」
愁弥のその言葉に、私はとても嬉しかった。同じ。それは安堵でもあった。
似ている所がある。それだけで……少しは、救われるのではないか? と、勝手に思ってしまったのだ。
全く違う世界でも……故郷を……懐かしむ機会がある。記憶を呼び……思い返し、哀しくなるかもしれないが……、心の支えにはなってくれるのではないか。と、半分。願いの様に思った。
愁弥は私に……“帰りたい”とは言わない。だが、それは言わないだけだろう。
本当は帰りたいに決まっている。
「瑠火。また何か考えてんのか?」
「え?」
私は愁弥の声に驚いていた。
愁弥は笑っていた。明るめの薄茶の瞳。輝きつつもあたたかい。
それにこの見ているだけで、ホッとする笑顔だ。私より歳は下だが……、何故かとてもホッとする。
「顔が怖い。つーか……泣きそう? って言うのか。勝手に色々考えんな。なるよーになる。」
愁弥はそう笑うと海を見つめた。
その横顔はやっぱりとても綺麗だった。
「……そうだな。」
私も愁弥の隣で街の向こうに見える海を、見つめた。
今は……この優しい人の傍にいたい。と、思う。それはきっと……我儘なんだろう。
でも……思ってしまった。このまま共に……行ける所まで、行けるといい。そんな事を、思ってしまっていた。
✣
港町エレスは人が多く、忙しない。そんな印象だった。
街の中は少しの潮と磯の薫り。だが、それを掻き消す程の、人の流れの速さ。
皆……大きな荷物を抱え歩く。荷馬車も行き交い、建物の周りには人と荷物。どの建物も保管蔵。積荷を降ろす姿が多く見受けられる。
更に遠くでは帆が浮かぶ。この先には海と、港。多くの船があるのだろうか。
「“ガディル”から積荷が来ない?」
「ええ。船が来ないのは、始めてですね。」
「連絡用の
大きな保管蔵ばかりが建ち並ぶ街。そこを歩いていると、聴こえてきたのはそんな声だった。
男達は開かれた蔵の前で、そんな話をしていた。
「ミントスの事もあるからな。何も無いといいが。」
「そうですね。」
「“ヤンバル”の船が襲われたばかりですしね。」
船が襲われる……。
穏やかな話ではないな。
男達の話を聞きながら、私はそう思っていた。
蔵と店。この大通りはどうやら商人たちの通りの様だ。そこを抜けると開ける。
港だ。
多くの船が停泊し、積荷を運ぶ男達が船の周りにたくさんいる。
海に向かい走り始める船もあった。
大きな商船ばかりではないが、それでも何艘も港に集まっているのは、圧倒される。
海風の吹く港はとても広い。ここが大陸への扉なのだろうか。
旅客船の様なものも停泊していた。商船とは違い、豪華な造りだ。木船に白い帆が目立つ商船だが、この旅客船はネイビー色を基盤にしていた。帆が大きく幾つも並ぶ。
身なりの良さそうな男達が、商人や船乗りたちと話をしている。
「なんかすげーな。この船は」
「貴族の船だ。のんびり遊覧でもしてるんだろ。」
愁弥の声にルシエルが答えた。
貴族の船か。なるほどな。
納得してしまった。船体には確かに金の大きな紋の様な絵が、描かれている。
フクロウか?
私達は慌ただしい港を通り、旅船や商船の出入りを管理する“港の
港の前にある大きな蔵だ。荷物の運ばれるそこに、木のテーブルと椅子を用意した一角。そこに男性がいた。
商人ではありそうだが、緑の羽織りを着た男だ。ブラウンの髪と鼻の下のヒゲ。整えられた髪は、オールバックだ。
「船に乗りたい?」
じろり。と、見上げられた。手元にはたくさんの紙。金色のペンですらすらと何かを書いていたのだろう。
テーブルにたくさん広げてある。書文。
「ああ。聖国アスタリアへの船に、乗りたいんだ。」
私はその男性にそう伝えた。
「アスタリア?」
男性の顔色が変わった。青碧色の眼が私達を、強く見つめた。
「何しに行くのか知らないが、アスタリアは無理だ。定期便ですら止まってる。“封鎖”されてる。」
男性がそう言った時だ。
「“アクセル”さん。“コーネル”行きは明日っすかね?」
と、大きなズタ袋の様な布の袋。それを肩に担ぎ入って来た男がいた。
蒼いバンダナを頭に被った男。見るからに船員であろう。褐色の肌を露出し、腰元に白い布を巻きつけ短剣を挿していた。
グレーに近いズボンに革靴と、動き易い格好で、蔵に入ってくると荷物を降ろしたのだ。
「ああ。コーネルは明日だ。あ。」
アクセルと呼ばれた男は、私達の方を向いた。
「お前さんら、アスタリアに行きたいと言っていたな。」
そう言ったのだ。
「ええ。その船は近くに行くのか?」
私がそう聞くと、アクセルはペンを口元に当て、少し気難しそうな顔をした。
「行く事は行くんだが……側に、国境がある。“通行証”が必要だ。シラークタイトの通行証が無いと、ここからは“オルファウス大陸”に入れんぞ。」
国境か。なるほど。これはクロイが面倒臭い。と、ボヤいていたのがよくわかる。
「ミントスの通行証じゃダメなのか?」
そう聞いたのは、愁弥だ。
「ミントス? ああ。このカース島の“大国”は、シラークタイト王国だ。他の大陸に渡るには、大国の通行証が必要なんだ。大陸同士を繋ぐ国境なら、小国でも通してくれるが……大陸越えは、そうはいかない。」
アクセルの言葉には含みがあった。
小国同士でもいざこざ。が、あれば通して貰えないのかもしれない。
国と国。は、お互いに歴史がある。その歴史を重んじる所は、尚更……根深いのだろうな。
「大陸越えの通行証となると……、早くても一週間は掛かる。王国審査があるからな。」
アクセルはそう言ったのだ。
“王国審査”とは、通行証が発行されるまでの間、王都〈首都〉に滞在する事を義務付けし、その間に王国の者達が素行調査をする。
つまり、監視されると言う事だ。その間に不審な行動をした者は、通行証は発行されず、事によっては厳重に処罰される。
大陸同士の争いを控える為のものなのだと、アクセルは教えてくれたのだ。
「だから。面倒臭い。」
はぁ。と、深くため息ついたのはルシエルだった。
「ほぉ? 幻獣か?」
アクセルの瞳が輝いた。ルシエルの檻篭を覗きこんだのだ。
「お嬢さん。これ。売ってくれんかね? 通行証無しで乗れる船を、紹介してやる。それも船賃はいらん。どうかね?」
アクセルは、私を見るとそう聞いてきた。
なるほど。“こうゆう商売と取引”があるのか。国境越えをしたいが、通行証を貰えない者もいる。
目的は明白だ。
“他国調査”……諜報者。密偵、隠密。それに手配人。罪人。
彼等を相手に船を紹介し、国境越えの出来る者のお付き人として、乗船させるのだろう。
通行証があれば通れるのだから。
「売り物じゃない。」
私はアクセルにそう言った。
「そうか。今なら高く買うんだが。コーネル行きの船なら、紹介してやるが……通行証だ。明日の昼には船は出るぞ。」
アクセルはとても残念そうな顔をしていた。ルシエルは珍しいのだろうな。こんな檻篭に入れられて、ブラついてる幻獣はいないだろう。
「……わかった。」
早くて一週間か。通行証を手配して貰ってるうちに、何か別の行き方もあるか聞いてみるか。
これから先もこんな事は、ありそうだ。
私達はとりあえずシラークタイト王国。そこに向かう事にしたのだ。
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